第4話 噂
マーガレットがウィンター公爵邸にやってきて一週間が経った。
あれからほとんど部屋にこもりがちだったマーガレットだったけれど、メイドのデイジーの提案で昼前に数分だけ庭園を一人で散歩することになった。一人なのはそっちの方が気楽だからだ。
庭園には春の花が色とりどり咲いている。
マーガレットは幼い頃から花を眺めるのが好きだった。花を眺めていると独りぼっちの心が満たされて落ち着く感じがするのだ。特に春に咲く花は格別だ。スプリング邸の庭園には季節関係なく常に春の花が咲いていた。女神の祝福によるものらしい。
(それにしても、なんでこんなにたくさんマーガレットが咲いているんだろう)
白い外見のウィンター邸にはあまり似つかわしくない花だ。しかもなぜかオレンジ色ばかり。白やピンク色のマーガレットの花はどこにもない。
(これも女神の祝福で保存されているのかしら)
それからしばらく花を眺めて邸に戻ろうとした時、ふと庭園の端の方の会話が聞こえてきた。
「お飾り、なんでしょう」
そこまで大きな声ではなかったけれど、意外な言葉だったから耳に届いたのかもしれない。
庭園の端には使用人用の通り道がある。邸から水汲み場に向かう通路だ。そっと覗いてみると桶を抱えたメイドが二人、のんびりと会話しながら歩いていた。
「お飾りって誰のこと?」
「奥様よ。昔から冬の公爵と春の公爵は仲が悪いって有名だったじゃない? 特に先代の公爵はひどく春を嫌っていたって」
確かに先代公爵の時代、スプリング家とウィンター家の仲は悪かったと聞いたことがある。
「だから二つの家が仲直りするために、奥様を差し出したって」
「それって本当なの?」
「でも、いまのご主人様って、先代公爵と長男を殺したって噂もあるし」
「あー、私も聞いたことあるかも」
先代ウィンター公爵は不慮の事故だった。
冬にウィンター公爵領は綺麗な雪景色に覆われる。傍から見ると綺麗な雪も当事者たちにとってはそうではない。
冬前になるとウィンター公爵は領地の視察に出かける。備蓄品や地盤の調査、それから雪崩の影響が村や町に及ばないか調べたりするらしい。
例年までは公爵が中心となって視察を行っていたが、その年は後継者である長男と次男であるシャルルが一緒だった。
だけどそこで事故が起きた。車輪が壊れた馬車が転倒をして、それがちょうど崖を通りかかった時だった。その馬車には公爵と長男、それからシャルルも同席していたらしいけれど、御者を含む三人が命を落としてシャルルだけが生還した。
それでシャルルが何か手を下したのでは、と噂が流れるようになったのだ。
「それにいまのご主人様が当主になってから、それまで勤めていた使用人をほとんど解雇したって話じゃない?」
「それで私たちも運よく公爵家で働けるようになったんだよねー。でも奥様がお飾りって本当なの?」
「これ他のメイドから聞いたんだけど、初夜の後なのにシーツに痕跡がなかったって……。それにご主人様って前から想い人がいるらしくって……」
メイドたちの声がどんどん遠くなっていく。
息を潜めていたマーガレットは邸へ続く道に戻った。
先ほどのメイドたちの会話から察するに、やはりシャルルには、別に想い人がいるのだろうか。そう考えれば初夜の時のやり取りにも納得ができる。
それにお飾りという言葉もあながち間違いではないのかもしれない。実際、この結婚は両家の結束を固めるためだと父から伝えられている。
(結婚適齢期の娘が私しかいなかったからだと思っていたけれど、家族から愛されない私にはもってこいの縁談というわけね)
お飾りということなら、家族殺しと噂されている公爵に嫁がされたことにも納得ができる。
これはしょせんはただの噂だ。
だけど、もしそれが事実なら?
シャルルは噂とは違って優しそうな人だった。ここに来た日もそうだけれど、この一週間も塞ぎがちのマーガレットを何かと気にかけてくれた。
だからもしかしたらここに居場所ができるのかもしれないと、少しだけ淡い期待をしていたのかもしれない。
「っ……。同じことよ」
前世の婚約者も家族から嫌われていた小春に優しくしてくれたけれど、最後には裏切ったのだ。
だから期待しすぎなければ、辛い思いをしなくて済む。
たとえ胸が少し痛んだとしても。
そんなことをぼんやり考えていたからだろうか。
邸に向かっていたはずなのに、ハッと気づいたときには反対方向に歩いていることに気づいた。
空を切る音が聞こえてくる。
邸と西側にある建物と言えば、ここは――。
「どうした、力が入っていないぞ。走っただけでへばったのか!」
張り上げるシャルルの声に引き寄せられるように建物の陰から顔を出すと、漆黒の瞳と目が合った。
「ストップ。皆、訓練場を追加で十周だ!」
ウィンター公爵邸の西側には、騎士たちの訓練場と兵舎がある。
シャルルは公爵として騎士を束ねているけれど、実際の騎士団長は別にいる。だけどたまにはこうして訓練に顔を出すと話していた覚えがある。
マーガレットの姿を見つけたシャルルは満面の笑みを浮かべて、だけど騎士たちの前だからからかすぐすました顔に戻り近づいてきた。その手には剣を握られていた。
「……ッ」
その剣が一瞬赤く血に染まったように見えた。
「っ、え、マーガレット!」
背後からシャルルの呼び声が聞こえてくるが、構わずマーガレットは背を向けて逃げ出していた。
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