お飾りの妻かと思いましたが、どうやら前世から蛇神様に愛されているようです。

槙村まき

第1話 結婚


 満開の桜が咲き誇る季節。

 十六歳になったばかりのマーガレット・スプリングは、ウィンター公爵と結婚した。



    ◇◆◇



 花の女神に愛された国、クロリス王国。

 季節折々の花を咲かせる国の中でも、スプリング公爵家の桜は格別だとされてきた。

 美しい光景を見ようと他の領や他国から観光にやってくる人で、春になるとこの街は桜と共に賑わいを見せる。


 街のいたるところで咲く桜。春に咲き誇り、春に散る。

 その様相を美しいと思う人もいれば、少し寂しさを覚える人もいる。

 マーガレットは後者だった。


(この桜を見るのも、もう最後かもしれないわね)


 まだ桜が散るには早いけれど、今日マーガレットはスプリング領を発つことになっている。結婚するのだ。

 いや、正確にはした。

 昨日、街のなかで一番大きな幹を持つ桜の木の下で、夫となる人と生涯愛し続けると誓い、そして指輪の交換と誓いの口づけもした。

 それでいま、マーガレットは夫となった人と一緒の馬車に揺られて、彼の邸に向かっているところだった。


 陽の光に当てられて輝く白銀の髪に、どこか冷たく思える漆黒の瞳の男だった。

 結婚式で初めて顔を合わせて、そして初めてキスをした相手。

 歳はマーガレットと同じ十六歳だけれど、彼はもうすでに爵位を継承している。


 シャルル・ウィンター。

 ウィンター公爵家の次男で後継者ではなかったものの、数カ月前にあった馬車の事故で両親と長男を亡くしたことにより、急遽爵位を継承することになった若き公爵。

 その影響からか、影で家族殺しの公爵と噂されているのだけれど、マーガレットに向ける瞳は優し気でとても人を殺しそうな人には見えない。


(でも、人は見かけによらないものだから)


 窓から視線を外すと、漆黒の双眸がこちらを見ていた。まるで慈しむように、どこか懐かしむかのように――。

 慌てて俯く。

 昔に、こんな瞳を向けてきた人に裏切られたことを思い出したからだ。


(……嫌なものね。前世の記憶って)


 こことは全く違う国で、異なっているようで似たような人生を歩んできた。

 その時の記憶が、いまだにうじうじと脳裏に焼き付いている。


「桜の花びらが散ると、少し寂しさを覚えるね」


 その呟きが自分にかけられた言葉だと気づくのに少し時間がかかり、返答が遅れてしまった。


「――はい。でも、まだ桜が散るには早いですよ」

「そうだね。……だけど、君が少し寂しそうに見えて。やはり、故郷を離れるのはつらいかい?」


 どうだろうかとマーガレットは考える。

 前世の家には自分の居場所はなかった。

 それは今世も同じだった。


 だから家族と離れるのは特別寂しいことではないと、そう考えている自分もいる。

 馬車に乗って送り出してくれた家族たちも特別涙を流したりしないで、ただどこかに買い物に行く相手に対するような感覚で、手を振って見送ってくれたような気がする。

 それは憶測でしかない。この世界の家族とは随分と前から距離をとるようにしていたのだから。別れ際も、手を振る姿は見えてもその表情まではわからなかった。


「別に、そんなことは――」


 何かが喉奥に引っ掛かっていた。

 返答は上手く言葉にできず、また馬車に静寂が訪れた。

 


    ◇◆◇



 クロリス王国は中央にある首都を囲うように、東西南北に四つの公爵領が存在していた。それぞれの寮から首都までは、馬車で移動すると一週間から十日ほどの距離があるため、その距離を短縮するための装置が神殿にある。

 ワープゲートと呼ばれるそれは、どうやら女神の祝福により動いているらしく、同じ魔法陣があるところを一瞬で移動できるそうだ。


 東にあるスプリング公爵領から北にあるウィンター公爵領に、ゲートを使わずに行こうとすれば一週間以上は掛かるだろう。その時間を短縮するために、マーガレットたちは神殿にやってきた。神殿の中には馬車ごと入ることのできるスペースがあり、馬車に乗ったままその魔法陣の上に乗る。


 神官たちが祈りを捧げると、周囲が光で包まれるとともに謎の浮遊感があった。

 ワープゲートを使うのは十四歳の時以来だ。クロリス王国の貴族の子女たちは十四歳になると成人したことを証明するために、王都の宮殿で開かれるデビュタントに参加することになる。マーガレットがゲートを使ったのはその時以来で、今回は二度目だった。

 まだ、ワープゲートに慣れていなかった。


 浮遊感が収まるまで口を押さえていると、背中にそっとシャルルの手が当てられた。


「大丈夫か?」


 頷くと、彼はため息を吐いた。


「大丈夫じゃないのに、大丈夫と答えるのはよしてくれ。……いや、聞き方を変えた方がいいな。――吐き気はするかい?」


 少し迷い、マーガレットは首を横に振った。

 浮遊感と吐き気はもう良くなっている。だからこれ以上の気遣いは必要ないと上目遣いで伺うと、シャルルは眉を顰めていた。機嫌を損ねてしまったかもしれない。


「……申し訳ありません」

「謝る必要はないんだよ。君はオレの伴侶・・なのだから、気を使うのは当たり前だ。いまはただすこし自己嫌悪に……いや、気にしないでくれ」


 そう言ってシャルルはふっと笑った。最初に会った時と同じような、優しい笑みだった。


「ウィンター公爵邸まではここから一時間ほど掛かる。君がもう少し落ち着いたら出発するとしよう」


 背中の手から感じる温もりに、むず痒いものを感じる。

 この温もりが嘘だったらどうしよう?

 そう考えると同時に、信じるだけ無駄だと結論をつけてしまう。



 前世、小春だった時にも婚約者がいた。

 家に居場所がなかった小春は、自分だけを見て自分に優しくしてくれるその婚約者に気を許していた。

 結婚をすればこの家から抜け出して幸せになれる。

 そう信じていたのに、婚約者はあろうことか小春の妹と浮気をしていたのだ。



 裏切られた人生。その二の舞になりたくないのなら、シャルルに心を許してはいけない。

 この結婚は、政略結婚だ。

 両家の結びつきをより強固にして、王国内のバランスを維持するためだけのもの。


 ただ何事もなく静かに暮らすことが、マーガレットの唯一の望みだった。

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