第17話 完璧なる結果を得る
飛び降り自殺未遂現場には警察や消防が駆けつけて、なかなかの騒ぎになっていた。どうやら誰かが通報していたらしい。
あのスーツの人が助かったことと莉緒は無関係じゃないと俺は疑っていたのだが、当の莉緒はカフェにあるテラスのテーブルで頬杖をついて、トロピカルジュースをストローでちゅうちゅう吸っていた。
表情には影がある。どうやら、風華ちゃんから莉緒に戻っている。
言うべきか、言わざるべきか。
悩んでいる最中、俺は、「思ったことをきちんと出していく延長線上に、人を幸せにしたりすることがある」と莉緒へ言った自分の言葉を思い出した。
自分でこう言った以上、尋ねたいと思ったことを内に溜め込むべきじゃないよな……。
「ねえ、莉緒」
「……なに」
「君って、不思議な人だよね」
「……あんな水着を選ぶ人に言われたくないんだけど。最後に選んだのだって結局ビキニだよね?」
元々影のある表情へさらにジトっとした恨みを滲ませて言う。
お店を出た直後は安堵していたけど、よくよく考えたらおかしいことにようやく気づいたらしい。今さら気づいても後の祭りだ。
しかしそれを言うなら、俺が選んだ水着を黙って着続けた君のほうがよっぽどおかしいよ、と俺は言ってやりたかった。
「不思議ってのはさ、そういう意味じゃないよ。性格的な話じゃなくてさ、たとえば体から風が出たりとか」
単刀直入にぶっ込んでやったら莉緒はトロピカルジュースをブッと音を立てて吐き出した。
俺は慌ててペーパータオルでテーブルを拭く。
「汚ったな……なに吐いてんだよ」
「……悠人が悪いんでしょ。いきなり何言ってんの?」
「そうだよね……あ、ねえ莉緒、ちょっとこっちに来て」
俺は、莉緒に手招きして近くへ寄るように合図する。
こんなことをいきなり言われた莉緒は怪訝な表情を作りながらも、俺に言われるがままテーブルに両肘をついて前のめりになってくれた。
俺も同じような姿勢になり、莉緒の頬を、両の手のひらでそっと掴む。
「…………っっ!!」
俺は、驚いた顔をする莉緒の瞳を覗き込んだ。
黒い瞳は、さっき見た鮮やかな青色の兆候を全く示してはいない。
莉緒がハーフとかだったら、実はよく見れば元からそういう色が混じっていたりして、光の加減で青く見えることもあるのかな……なんて思ったのだけど。
まあ、あれはそんなレベルの色合いではなかったしなぁ。
結局、いろいろ角度を変えて観察したところで色合いが変わることはなかった。
黒だと思っていた瞳は案外茶色な感じに見えて、ああ、日本人の瞳ってよく見るとこんな色なんだ、とか感慨深げに覗き見ていると。
俺の手のひらが、なんだかホカホカする。
見ると、顔を真っ赤にした莉緒は、ツンツンした表情を維持できなくなってあどけない顔を晒したまま、「近くに寄ってこい」という俺の命令を健気に守ってじっと固まっていた。
「……やっぱり、ひ、瞳の色が変わったりするとか、妄想かな」
とか誤魔化しついでに言ってみたけど……!
いやいや、そんなふうにドキドキされると、俺もやばい。
え、これって、
「……そ、そんなこと、あるわけ、ないじゃん。ってか、キスされるかと思ってびっくりしちゃったじゃない」
どこかホッとしたように言った莉緒のこの無邪気な一言が、俺の体のどこかにある何かのスイッチをカチン、と入れた。
瞬間、ボワっ、と燃え上がった熱に脳が溶かされる。
ほんの一秒前に考えていたことが何かすら、消し飛んで跡形もなくなり思い出せない。
思考を経ることなく、脳を焼いた熱は俺の体を勝手に動かして。
気が付けば、俺は莉緒の唇に、自分の唇を触れさせていた。
思ってもなかったことだが、遅れて莉緒が反応してきた。
莉緒の舌が、俺の唇をこじ開け俺の舌を求めて口の中を這い回る。
体って、案外オートで動くものだ。どうすればいいかを体が勝手に選択していく。
俺は、「したいか、したくないか」だけを心に決めればいいらしい。
ふと瞼を開けた時、莉緒の後ろを通り過ぎようとした店員さんの驚愕と好奇が混ざった視線に気付き、俺の理性が呼び覚まされた。
バッと体を離した拍子に、テーブルがガチャンと派手に音を立てる。
それで初めて莉緒も周囲の視線に気付いたようだ。
俺たちが慌てて周りを見回すと、店員さんだけでなく、他の客さえもこちらをジロジロ見ながら微笑ましそうにしていた。
バクンバクンと鼓動の音がうるさい。
顔が熱くなって、汗が噴き出る。
やっぱエアコンの効いた店内のほうが良かったかな、とか特段今考えなくてもいいことを考えつつ、俺はシャツをつまんでパタパタさせる。
莉緒は両手を膝の上にして、チンチンに顔が熱されたままうつむいて、もうすぐしたら溶けてしまうんじゃないかと思うくらいにぽっぽと蒸気をあげていた。
俺だって恥ずかしいけど、見る限り莉緒は完全にそれ以上だ。
こんな莉緒に、俺、なんて言ってあげればいいんだろう。
いきなりこんなことしてごめん、って?
いや、謝ることなのか。嫌なことをさせたのだろうか。
なんとなくだが、それは莉緒が嫌がっていたと判明したなら、結果そう言えばいいことだと思った。
なら、今、この場においては何が適切なんだろう。
「めっちゃ気持ちよかった!」か? いやいや、それは確かにそうだが、あまりにもあからさまで直接的で肉欲的すぎる。ムードのかけらもない言い方だ。
そうこうしていると、うつむいていた莉緒が、おずおずと顔をあげて上目遣いで俺を見る。
結局、俺は莉緒を見つめて、何も言わずに微笑んだ。
莉緒は盛んに視線を泳がせながらパチパチと瞬きをしていたけど、また俺に視線を戻した時には、彼女もまた照れくさそうに微笑んでくれた。
俺は、莉緒とのキスの味を消したくなくて、コーヒーには口をつけずにいた。
莉緒もまたトロピカルジュースには口をつけていない。
莉緒は時折、控えめに舌で唇をなぞる。
唇に残った俺の唾液が、俺とのキスの味をもう一度味わわせてくれると莉緒が考えているように思えて、俺は莉緒がたまらなく愛おしくなった。
俺たちは、そのまま何も喋らずに、しばらく見つめ合ったり、微笑み合ったりして過ごした。
◾️ ◾️ ◾️
〜莉緒の脳内会話〜
「はぁ……もう死んでもいい」
『よかったじゃん! 大成功だよ、このデートは。飛び降り自殺志願者が出た時にはどうなることかと思ったけど、見る限り、奇しくもあの案件もまたこのキスに繋がっていたという。風華たちの存在も含めて、全ての要素がそれぞれの役目を果たした結果、って感じだねぇ……なんか運命を感じるよ』
【我が弟子ながら良くやった。昼の弁当を一緒に食べることから始まり、水着売り場では極限の羞恥心に耐え、悠人のSっ気を引き出すことに粉骨砕身したことが最後のギフトにつながったのだ。お前の努力が身を結んだ会心の結果だ、莉緒】
「ありがとう諸先輩方。正直最初はこいつら何言ってんのって感じだったけど、言われてみたら全部繋がってたってのはあながち嘘じゃないよね。私一人じゃ、絶対にこの結果にはなってなかったよ」
【確かにそうだが、しかし全てのミッションを成し遂げたのは、莉緒、お前自身だ。自分を出さずに生きてきたお前が、初めて大切なものができて、全てをかなぐり捨てて挑んだのだ。俺たちは、そのサポートをしたまでだ】
「アニキ……やっぱ最高だよあんた」
『そんでさ、悠人とのキスはどうだった?』
「ええっとね……めっちゃ柔らかかった」
『食レポ下手くそなリポーターか。もっとあんでしょ、桜まんじゅうでもおんなじ感想出るわ』
「えぇ──……そんなこと言われてもなぁ。……まるでマシュマロのようなふんわりしたまろやかさと、唾液でうっすら濡れた瑞々しい感触を私の唇が感知した瞬間、私の体にビリッと電気を走らせて──」
『ごめん私が悪かった。それにしても、とうとう莉緒もオトナの仲間入りかぁ。でもまだ恋愛の沼に足を片方突っ込んだレベルだね。次はセックスかぁ……』
「えっっっ!! ちょっ……それ、もうやるの!?」
『だってあんた、ぐっちゃぐちゃに愛し合いたいって言ってたじゃん。その夢をとうとう叶える段階が来たんだよ』
「それはそうだけど……でも、怖いなぁ……」
【怖い気持ちは分からんでもない。誰でも最初は怖いのだ。しかしだ莉緒、好きな男と結ばれるんだぞ? これまで蓄えた事前知識を使ってどんなことを二人ですることになるのか具体的によく想像してみろ。その結果、愛する人と一つになって、まるで溶け合うような感覚を味わえるんだ】
「ごくっ……」
『くっくっく……』
風華の押し殺した笑い声が多少気にはなったが、今日の完璧な結果をもたらしてくれた神様二人のことを、もう私は疑ったりするつもりはない。
二人の神様たちと脳内会話している間、いまいち意識はしていなかったが、ふと気づくと、私はカフェを出てすぐの路地で、悠人の胸に顔を埋めていた。
並んで歩いているだけじゃわからなかった「悠人の匂い」がシャツ越しに私へ沁みて、思考をどんどん真っ白にしていく。
私のことを優しく抱きしめていた悠人は、そんな私の頭を優しく撫でてくれた。
それからはいろんなお店を見てまわりつつデートを続ける運びとなったが、その頃にはもう、私たちは手を繋いでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます