第31話 記憶の欠片を一つずつ

「ヘイル……?」

 

 ローリエは狼の魔物を見つめ、ふと頭に浮かんだ名前を口にする。

 

 暗い森の中、身を寄せ合って眠ったこと。背に乗せてもらい、駆け回ったこと。そして、一緒に少年を助けたこと。

 断片的な映像が次々とローリエの脳裏に浮かんでくる。

 

『そうだ。かつて、魔王の命で君の世話をしていた。魔法の使い方は思い出せるか?』

「魔法……」

 

 意識した瞬間、体がふっと温かいもので満ちた。

 

(そういえば、昔は当たり前のように魔法を使っていたっけ)

 

 次々と浮かんでくる映像は、やはり忘れ去っていた過去のようだ。

 魔力と思わしき何かを取り戻したのと同時に、思い出した記憶もすっと体に馴染んでいく。

 

「これはどういうこと? 何で貴女から魔力の気配がするのよ」

 

 訝しげに尋ねてくるルビリアに「私にもよく分からない」と答えようとして、また一つ記憶が蘇る。


 それは、ローリエを森から連れ出した『お父様』の姿だった。

 

(ああ、そうか。あの時、魔力と記憶を封じられたんだ。私が人の世界で生きて行けるように――)

 

 ローリエは靴を脱ぎ、料理をする時のために腕に巻いていたリボンで髪を一つにしばる。


 流石にドレスを脱ぐわけにはいかないが、幸いなことにパーティーの時の装いと比べれば、軽くて動きやすい。

 

「私も少し混乱していますが、どうやらこれが本当の私みたいです」


 意外にもローリエは冷静で、過去の自分を取り戻しつつあるおかげか、いつもよりハキハキ答えることができた。


「クレイユ様の前で塩らしく振る舞っていただけで、それが本性ってことね……」

 

 ルビリアは勝手に納得したらしく、魔法の詠唱に入る。


 彼女ほど優秀な使い手なら、中級魔法くらいまでなら詠唱は省略できるので、大がかりな魔法を使うつもりなのだろう。

 

『攻撃に集中すれば良い。防御は我がサポートをしよう』

「やっぱり、戦わなければならないの?」

『この女にされたことを忘れたのか? 気絶するくらいまでボコボコにしてやれ』


 どうやら、ヘイルはローリエの代わりに怒ってくれているらしい。


(私にできるかな……。でも、何もしなかったら、ここから逃げることすらできそうにない)


 ルビリアなら、防御魔法を応用して足止めしてくるだろう。


『来るぞ』

 

 ローリエは身構える。

 森で暮らしていた頃、魔物を相手にしたことはあるが、人と交戦するのは初めてだ。

 

『セイントアロー!!』

 

 おびただしい光の矢が、全方位から飛んでくる。


(でも、ヘイルならこれくらい止められる)


 ローリエは大きく息を吸って、意識を集中させる。

 なにせ、十数年ぶりに使う魔法なのだ。昔のように、自由自在とはいかない。


 ヘイルが張ったバリアに全ての矢が吸収された瞬間、ローリエは砂埃の中から弓矢のような魔法を模倣して返す。

 

「チッ。犬のくせに防御魔法を……――っ!!」


 相手は勇者パーティーメンバーの一人。簡単にやられるわけはなく、ルビリアは当然バリアを張って防ぐ。


 マリアンヌとの戦いを見て、真っ直ぐの攻撃は止められてしまうと分かっていた。


(狙いは足元!)


 今度はヘイルの氷柱攻撃を真似る。但し、拘束しやすいよう工夫して、地面から静かに蔦を生やす。


「なっ!!」


 正面からの攻撃に気を取られていたルビリアが気づいた頃には、急速に伸びた蔦が彼女の全身を覆って魔力を奪う。

 

「……無詠唱。無属性。貴女、魔族か何か?」

「かもしれませんね」


 ローリエは苦笑する。

 もし、純粋な魔族だったなら、とっくの昔に勇者パーティーに滅ぼされていただろう。


(私は中途半端な存在だから……。他の魔族に気づかれないよう、お父様は私を森に隠し、それから人としてモントレイ伯に預けた)


 ほとんど、全てを思い出した。

 魔王の娘――それがローリエだ。


 しかし、魔王が誰かに産ませた子ではなく、元は人の子だという。


 どのような経緯でそうなったのかは知らないが、魔王が瀕死の赤子ローリエに自らの血を注いだために、人でありながら魔族同然の力を手に入れてしまった。


 その後、育児のできない魔王に代わって面倒を見てくれたのが、魔族にも引けをとらない戦闘力と高い知能を持つ、フェンリルのヘイルというわけだ。


「魔族の貴女とクレイユ様が結ばれるなんて、ますますあり得ない。このことを知ったら、クレイユ様は貴女を討つでしょうね」


 蔦に魔力を吸われて苦しいはずだが、ルビリアは吐き捨てるように笑った。


『耳を傾けるな』

 

 ヘイルはそう言うが、ローリエは内心動揺する。


 幼き日の約束を守って、彼は迎えに来てくれた。

 何も覚えていないローリエにも優しく寄り添い、蕩けそうなほど甘い眼差しを向けてくれていた。


(でも、クレイユ様が、私が何者であるかを知ったら……?)


 目の前が真っ暗になる。


(クレイユ様の初恋の人が自分だったら良いのに、と思っていたけど、そんな簡単なことじゃなかった)


 魔王の血を分け与えられたローリエは、勇者であるクレイユにとって討ち滅ぼさなければならない存在だろう。


 幼いローリエも分かっていた。いつか再会できたなら、それは勇者に殺される時だと――。


(結局、叶わぬ恋なのね)


 ナイフを突き立てられたように胸が痛む。


 心が乱れた隙に、拘束が緩んだらしい。

 ルビリアはすかさず内から蔦を破壊する。

 

「私が降参するとでも思った? 見くびってもらっては困るわ」

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