第27話 森の異変

 北の荒地にほど近いレムカの町には、中央に次いで二番目に大きな教会がある。

 

 有事に備え、優秀な聖女が相当数配置されているのだが――彼女たちは今、負傷した冒険者たちの治癒に追われていた。

 

 聖堂に運び込まれたのは、一般的な回復薬やクレイユの治癒魔法ではどうにもならない、重症者たちだけだ。

 

 それでも十人以上いて、軽傷者を含めるとこの倍はいる。

 

(……どうしてこんなことに)

 

 クレイユは壁にもたれるようにして立ち、懸命に治癒魔法を展開する聖女たちを見守りながら、森での出来事を回想する。

 

 魔族に使役されていない限りは滅多に姿を現さない、地龍との遭遇を不思議に思ったクレイユは今日もまた森に入ったのだが――。


 普段なら下級クラスの魔物しか出ない場所で、ベア系の魔物の中でも上位クラスの個体が暴れていた。


 クレイユなら一瞬で倒せる魔物でも、薬草採取を目的に森へ入った初級クラスの冒険者たちにとっては大きな脅威だ。

 

 駆け付けた時には既に被害は甚大で、今の時点で一人も死者が出ていないのは奇跡に等しい。

 

(仇なす魔族は魔王討伐までの過程でほぼ討った。魔王の支配が消え、暴走する魔物がいてもおかしくないが、それにしても違和感がある)

 

 冒険者の話を聞いても、異常が起きているのはここ数日の間だけだ。魔王討伐の影響なら、もっと前から出ているだろう。

 

「ヘレナ!! ヘレナぁ〜っ!!」

 

 背中に深い傷を負った娘に、剣士の兄が縋りついている。

 彼もまた、腕がちぎれそうなほどの怪我を負っていたが、聖女のおかげで治ったようだ。

 

「お兄さん、落ち着いて。邪魔をしたら助かる者も助からなくなる」

 

 治癒魔法を施す聖女が困った表情をしていたので、クレイユは見かねて兄を引きはがした。

 

「勇者様! ヘレナは助かりますよね!?」

「ああ。先ほどよりも顔色が良くなってきている。きっと大丈夫だよ」

「勇者様が言うならそうですよね。良かった……」

 

 クレイユが微笑みかけると、兄は安堵したようで、その場にふらふらとへたり込む。

 

「妹が冒険者になりたいと言った時は反対したんですけど、森の入り口で薬草採取したり、下級クラスの魔物を討伐するくらいなら、まぁいいかと思ってたんです。まさか上位クラスの魔物と出くわすなんて……」

「今回の件は僕も不思議に思ってる。早急に調査するよ」

 

 冒険者として北の地に足を踏み入れるのなら、相応の覚悟を持つべきだ。


 しかし、薬草採取や下級クラスの魔物討伐、ドロップアイテムの採取で生計を立てている者、その流通品を必要としている者がいることで、国の経済バランスが保たれているというのも事実だ。

 

(当面、Bランク以下のパーティーの立ち入りを禁じるとして、早いところ原因を見つけて解決しなければ)

 

 悩むクレイユのもとに、北部の教会を統べる初老の女性がやって来る。

 

「皆様、一命はとりとめたと思います。これ以上の処置は大聖女様でないと……」

 

 彼女はここで一番治癒力の高い聖女のはずだ。それでも、ルビリアには及ばないらしい。


「ヘレナは!! ヘレナは無事なんですね!!」


 クレイユが返事をする前に、妹を案ずる剣士が横から口を挟んだ。


「はい。ですが、傷跡や後遺症は残るかもしれません」

「そんな……まだ嫁入り前だっていうのに……」

 

 がくりと項垂れた剣士の肩に、クレイユはポンと手を置き、初老の聖女に向かって言う。

 

「ルビリアに協力要請を出してほしい。必要であれば僕の名前を使ってくれて構わない」

「承知しました」


 何のことだと言いたげな顔で振り返った剣士に、クレイユは微笑みかける。


「大丈夫。大聖女なら傷跡まで綺麗に治すよ」


 ――協力してくれればの話だが。


 ローリエが森で迷子になった一件の後、ルビリアから手紙が届いた。


 そこには、中央教会から緊急招集があり、急遽帰らなければならなくなったこと。

 ローリエを森に誘ったのは自分だが、失望されるのが怖くて嘘をついてしまったこと。

 そして、それに対する謝罪が長々と記されていた。


 クレイユは「そういうことだったのか」と納得しかけたが、マリアンヌは懐疑的だった。


 彼女曰く、ルビリアがローリエに嫉妬して、わざと森に置き去りにしたのではないか、ということだ。


 純粋無垢、誰にでも優しいあのルビリアが、まさかそんなことをするとは思えなかったが、マリアンヌの勘はよく当たる。


(……これほどまでに勘が外れてほしいと思ったのは初めてだ)


 勇者パーティーの一員として、旅の道中、苦楽をともにした仲だ。

 ルビリアの言葉が真実であってほしい。


 ――ローリエを危険な目に遭わせたことについては、二度と起こらないよう釘を刺すつもりだが。


「この場は任せても構わないだろうか」

「ええ。ご心配なく」

 

 クレイユは初老の聖女に軽く頭を下げると、聖堂を出て冒険者ギルドへ向かう。


 これまで初級クラスが務めていた採取や討伐のうち、重要度の高いものをAランクのパーティーに任せ、ひと組しかないSランクパーティーには調査協力を依頼するつもりだ。


 それでも足りないようであれば、各地へ散った勇者パーティーのメンバーを呼び戻すしかない。

 

(北の城は――心配だけど、ルビリアの防御魔法がまだ効いているはずだし、いざとなればマリアンヌもいる)


 今は冒険者と領民の安全が最優先だ。


「はぁ。ローリエの焼いたパイ、食べたかったな……」


 一刻も早くローリエのもとに帰りたい気持ちを抑え、クレイユはギルドの扉を開けた。

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