第23話 今宵ダンスを

 拍手喝采の中、ローリエをエスコートして席に戻ったクレイユは、険しい表情の兄に微笑みかける。


「どうやら皆に認めてもらえたようなので、兄上の心配は無用かと」

「腹黒勇者め。よくも進行をめちゃくちゃにしてくれたな」

「ローリエを守るためなら僕は何だってやりますよ」


 二人の間に再び、ぴりりとした空気が流れた。


 もう少し、兄弟仲良くできないものかと思うローリエだったが、自分はそんなことを言える立場にないことに気づく。


 義姉ともう少し上手くやれていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。

 けれど、もう一度過去に戻ってやり直せたとしても、義姉と仲良くなれる気はしなかった。


「父上はやはり、お前に甘すぎる」


 レインベルク王子は、肘掛けを指でトントン叩きながら言う。

 大衆の前なので、あからさまな態度はとっていないものの、苛立ちが隠しきれていない。


「甘いというよりは、生まれたと同時に魔王討伐の使命を背負わせた、後ろめたさがあるのでしょう。ところで兄上、――」

 

 クレイユは腰を屈め、兄に耳打ちをした。


 何を言ったのか、ローリエには聞こえなかったが、囁かれた瞬間、レインベルク王子の眉間の皺が一層深くなる。

 

「……出鱈目だ」

「モントレイ伯と、言ってることが殆ど同じなことに、お気づきですか?」


 クレイユはにこりと笑って、モントレイ伯の悪事の証拠だと言っていた紙の束を、王子に押し付ける。


「それは控えなので、お渡しします。後でじっくりご覧になってください。兄上のことですから、きっと賢明なご判断をされることでしょう」


 そこには、何か都合の悪いことが書かれていたのだろうか。

 王子は内容を一瞥した後、舌打ちをして書類を椅子に放り、祝辞のために席を立った。


「上手くいったようで何よりね」


 ローリエたちが席につき、王子のスピーチが始まった途端に王太子妃が口を開く。

 無口な人だとばかり思っていたので、ローリエは驚いた。


「アーシェ妃殿下。ご協力をありがとうございました」

「私はただ、人を紹介しただけ。何もしてないわ」


 状況が飲み込めないが、どうやらクレイユと王太子妃は協力関係にあったらしい。

 相変わらず姿勢良く座っている彼女だが、僅かに口元が綻んでいるように見えた。

 

「兄上のことで困ったことがあれば、いつでも言ってください」

「ありがとう。でも大丈夫。私も彼のことは飾りとしか思ってないから」


 王太子妃は悲しんでいるふうでもなく、あっけらかんと言ってのける。


(でも、きっとこれが普通なんだわ)


 高貴な人たちの世界では、体裁を保つための愛のない結婚や、政略結婚は当たり前なのだろう。


 セリナの結婚も、モントレイ家がユリウスの家の借金を肩代わりすることで、話がついたとメイドたちが噂しているのを聞いた。


 クレイユのように、しがらみを断ち、権威を捨ててまで、好きな人と結婚しようとする人の方が珍しいのだ。


(クレイユ様の好きな人が私で良いのかは、まだよく分からないけど……)


 突然、視界が揺れ、脳裏に薄暗い映像が浮かぶ。


 森、湖、蛇のような巨大な魔物。


 それは、ルビリアに連れて行かれた場所の景色とよく似ていたが、ローリエの記憶にはないものだった。


(……今のは?)


 覚えのない風景が見える。それは、覚醒しながら、夢を見ているような感覚だった。


「疲れた?」


 クレイユと目が合うと、彼は甘く、柔らかく、笑いかけてくれる。


 ローリエは咄嗟に「いえ、大丈夫です」と答えたが、もしかしたら本当は疲れていて、そのせいで変な映像が浮かんだのかもしれない。



ꕥ‥ꕥ‥ꕥ



 開会の儀が終わってからは、豪華な献上品の数々が国王の前に並んだり、返礼と称して高価なお酒が振る舞われたりと賑やかだった。


 人々はモントレイ伯のことなど、とうに忘れて、思い思いにパーティーを楽しんでいるようだ。

 そんな彼らの明るい表情を見ているだけで、ローリエも楽しい気分になる。


 クレイユの配慮で、ローリエはほとんどの時間を座席付近で過ごしていたが、ダンスのための演奏が始まると、彼はチラチラとローリエの方を見た。


 結婚のお祝いを伝えに来てくれた公爵夫人は、「若い二人の邪魔をしては駄目ね」と言って去っていく。

 

「踊ろうか」


 差し伸べられた手を見て、ローリエは視線の意図を理解する。


「でも……私、まだあまり上手には……」

「大丈夫。どうせ皆、酔っぱらって満足には踊れないよ」


 ボールルームの中心に目をやると、確かに皆、音楽に合わせてなんとなく体を揺らしているだけで、フォーマルな踊りの場ではなさそうだ。


 ローリエは思いきってクレイユの手をとり、部屋の中央へ向かった。


「実は今日、上手くいくか不安で緊張していたんだ」


 覚えたてのステップを必死に踏んでいるローリエに、クレイユは心情を吐露する。


「堂々とされていて、緊張していたようには見えませんでした」

「それなら良かった」


 ローリエにはいつも通り、完璧で余裕そうに見えるが、どうやらそういうわけではないらしい。

 人並みに緊張するし、失敗することもあるとクレイユは言う。


「そういえば、先ほどレインベルク王子には、何をお伝えしたのですか?」

「ああ。あの人はモントレイ伯の悪事に気づいておきながら、中央へ納める税の追徴だけして放っておいたんだよ」


 辺境領を治めたがる人間は少ないうえ、中央の税収が増えるのならそれで良いと、悪政を容認していたらしい。


 このことが明らかになれば、レインベルク王子はモントレイ伯もろとも、非難の的になるだろう。


 クレイユが王子に突きつけた証拠は、悪く言えば脅し、良く言えば交渉のネタというわけだ。


「それにしても、ローリエはよく頑張ったね。お姉さんにあんなにはっきり言えるとは思わなかった」

「自分でもびっくりしています。あれで良かったのでしょうか」

「うん。感じたこと、思ったこと、もっと口にして良いんだよ。少なくとも僕には伝えてほしい」


 ゆったりとした音楽に合わせて、ステップを踏むことにも慣れてきた。

 躓きそうになっても、クレイユが支えてくれるので怖くない。


(お姉様に怯まず言えたのも、きっとクレイユ様が隣にいてくれたから)


 ローリエは端正な顔を見上げ、思ったことを率直に告げる。


「クレイユ様はかっこいです! 見た目も、でもそれだけではなくて、優しくてお強いところも……素敵だなと思います」


 クレイユは驚いたようで、美しい碧の眼を瞬かせ、それから蕩けるような笑みを見せた。


「ありがとう」


 窓の外、王都の夜は更けていく。


 クレイユの傍にいて感じる『好き』という言葉は、もう少し先にとっておこう。

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