2-7.

「えー、来てくれてありがとう~。フウカ、とっても嬉しい」


 大きく胸元が開いた、艶めかしさが手に取るようにわかる洋服を身に纏ったフウカは身体をくねらせた。妙な暗さのある店内で、その白い服と肌が浮かび上がって見え、俺は思わず生唾を飲んだ。


 石崎に言われるままに有休休暇を一ヶ月も取ったが、相変わらず飯田からはなんの連絡もなく、また、娘の手掛かりもなかった。家にいればその分、美智子の泣き言を延々と聞かされる。生産性のない、不毛な言葉を聞き続けなければならないのは苦痛でしかなかった。


「それで、相談ごとってなんですか? キヨシさんがそんなこと言うなんて珍しいですね」


 卓にある酒を慣れた手つきで作りながらフウカは聞いて来た。


「あぁ、知り合いの娘が家出してしまってな」


「えー大変~」


「それで探すのを手伝ってるんだが……。この街にいるらしいんだが、虱潰しにするのは効率が悪いだろう? だからこうして、ここに聞き込みにきたわけだ」


「なんとかしてあげようっていうキヨシさんは素敵。そのお知り合いも、きっと感謝してるよ~」


 グラスに入った氷を意味もなくくるくると回すフウカ。しなやかな細い指がすうっと動く様を、ついつい目で追ってしまう。そこから無理やり引きはがすように、俺は自分のグラスをぐいと傾けた。しっかり冷えた焼酎の麦臭さが、喉を伝って胃袋へと落ちて行った。


「それで、キャバクラっていうのは若い子だって働いてるだろう? この娘なんだが、見覚えはないか?」


「えー、なんだか探偵になったみたい! 見せて見せて~」


 俺は娘の写真を画面に表示し、フウカにスマホを手渡した。


「カワイイ~。JK? 素材がいいって羨ましい~」


「見覚えはないか?」


「うーん、ちょっと私はわかんないな~」


「そうか」


「他の子にも聞いてみるから、あとで写真送って?」


「あ、ああ」


「だから最近キヨシさんはお疲れなんだ。ね、今日くらいはそういうの忘れて楽しくお酒飲も~?」


 いつの間に飲み干していた俺のグラスをさりげなく受け取り、フウカはまた酒を作った。そのどうということのない所作はいつまでも見ていられるような、若さと瑞々しさに溢れていた。


「はい、愛情込めて作ったから、きっとキヨシさんの疲れも取れますよ~」


「ああ」


 俺は素直にグラスを受け取ると、ぐいと酒を流し込んだ。冷たい液体の後に、カッと焼けるような熱さが喉を走っていく。思考が鈍る。いや、こんな程度では酔いはしない。この非日常な雰囲気に当てられているだけだ。


「だいたい、家出するような躾だからダメなんだ。自分の子供のことくらい、なんでもわかるようじゃなくちゃ」


「だけど年ごろの娘さんじゃ、難しいんじゃない~?」


「それでも分かり合おうとするのが家族だろう」


「そんなふうに言ってくれるキヨシさんの家族は幸せ者だな~」


 そうだ、俺は家族のことを考えているんだ。それを理解しない妻や娘にだって責任がある。


「一家の大黒柱というのは、そういうことを常に考えているものだからな」


「頼りがいがあるキヨシさんのこと、奥さんはきっと自慢だよ~」


 そうだ、俺がどれだけ身を粉にして働いて、今の生活を提供していると思っているんだ。一ヶ月も有休を使わされた挙句、美智子のヒステリックが待っているとはなんという仕打ちだろうか。


「ああ。だから家の中のことは妻に任せてある」


「信頼してるのが伝わってきます~。けど、キヨシさんがこうしている間、奥さんはおうちで待ってるんでしょ? それを思うとちょっとかわいそうかも」


「俺だって息抜きくらい必要だ」


 俺は空にしたグラスをフウカへ突き出した。


「それもそうですね~」


 にこやかに微笑み、次の水割りを手早く作っているフウカ。


 そうだ、俺はこんなに頑張っているのだから息抜きくらいしたって、誰に咎められることもないはずだ。息抜きついでに、娘の情報を探しているのだから、ただ酒を飲んでいるわけではないし役目をはたしている。


 そもそもあのNPOの飯田がさっさと見つけてくれれば、こんなことにはなっていないんだ。この街のことは熟知しているという口ぶりだったが、とんだ体たらくだ。どこでも口ばかりで行動に起こさない奴はいるもんだ。そういう奴は仕事ができない。俺の嫌いな人種だ。


「また難しい顔してる~」


 ニコニコと笑うフウカに、眉間を人差し指で撫でられた。ふっと力が抜ける感覚があった。


 こんなふうに労われた最後はいつだろう。


 会社では仕事のプレッシャーを感じ、だがそれに立ち向かい、ようやく今の地位を得た。しかしいつしか家庭は、美智子は、不満げな顔で黙ったまま俺を非難するようになっていた。何が気に食わないというんだ。俺の努力に、成果に、もっと感謝してもいいはずなのに。


「おい、帰ったぞ」


 ほろ酔いで開けた玄関は暗く、冷たかった。すりガラスから漏れる光で、リビングに明かりが点いているのはわかっていた。亭主が帰ってきたというのに、出迎えがないどころか、返事もないとは。……舐められたもんだ。


「おい、起きてるなら返事ぐらいしろ」


 リビングに続くすりガラスのはまったドアを開けながら、俺は言った。


「……こんな時間まで外でお酒なんて。よくそんなことができますね」


「ただ飲みに行ってたわけじゃない。そこの連中に娘のことを知っているか、聞いて回ったんだ」


「あなたは危機感がなさすぎます」


 いつものヒステリックさは鳴りを潜め、静かに告げていく美智子。


「大丈夫だ。NPOにも頼んでいるし、俺だって有休を使って探してる。すぐに見つかるさ」


「ココネがいなくなって、もう二週間ですよ? どうしてあなたはそうしていられるのですか。警察にも届けず、毎晩飲み歩いて」


「だから、俺なりに努力しているだろ。それに警察なんかに届けてみろ。それこそ娘のこれからに影響があるんじゃないのか」


「私が、どれだけ、あの子のことを心配しているか。どれだけ、心が引き裂かれそうな思いで毎日を過ごしているのか。あなたはちっともわからないんですね」


「社会的信頼を失うかもしれないリスクを負って娘を探している俺に、お前はそんな仕打ちしかできないのか? そもそも家出なんぞするような子供に育てたのは、お前の責任だろう?」


 美智子は身じろぎもせず、上目遣いに俺を睨みつけた。毎日泣き腫らしている瞼はぼってりと腫れ、目の下には隈がくっきりと浮かんでいる。酷い顔だ。まるで山姥だ。ギラギラとしたその目で、じっとりと俺を見つめる美智子は恐ろしかった。


「……とにかく、明日にでも見つかるだろうよ。疲れたから俺は寝る」


 俺は美智子から視線を外すと、そそくさとリビングをあとにした。


 なぜだか物音を立てるのが憚られ、暗闇の中で静かに着替えた。俺は何をしているんだ。自分の家だというのに、安らぎの一つもないのか。仕事に打ち込み、家族のために働いてきたっていうのに、なんて惨めなんだ。


 溜め息を吐くと同時に、ベッドに投げたスマホが静かに震えて暗闇に冷たい明かりが灯った。


『他の子に聞いてみたけど、まだ見つからないの。でももっと色んな子に聞いてみる。明日、またお店で待ってるね』


 フウカからのメッセージが表示されていた。


 読み終わると、さっきよりも家の中の温度が下がったような気がした。

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