2-6.

「まだ手がかりはないのか!?」


 昼休憩で、俺はスマホに向かって静かに声を荒げていた。不良娘たちを支援する団体の飯田からだった。見つかったという報告の連絡かと思いきや、娘の行方に対する進捗は何もないと言う。


 飯田に会ってから、もう一週間が過ぎていた。娘の足取りは一向に掴めない。警察にはもちろん届け出ていない。そんなことが会社に知れたら信用問題につながる。家庭のこともままならない男だと思われたくなかった。


「こちらでもホストクラブなど当たっていますので」


「いくらなんでも時間がかかりすぎじゃないか?」


「……我々も力不足なのは否めません」


「とにかく早く見つけてくれ」


 俺はそれだけ言うと通話を切ってポケットへしまった。


 ひとっこひとりいない、喫煙室脇のスペース。ほんの十年前までは人で溢れていたというのに、今では見る影もない。無性に煙草が吸いたくなったが持ち合わせておらず、持って行き場のないイライラだけが募った。


「はぁ……」


 俺は人知れず、大きな溜め息を吐いた。こんなことが知られてしまったらと考えると、本当に頭が痛い。周囲の目が、評価が、変わってしまうことに恐怖を覚えていた。せっかく築き上げてきたものを、むざむざ失いたくはなかった。


「まったく、どこにいるんだ……」


 言葉を外に出さないように、歯の隙間から押し殺して呟いた。


 深呼吸を何度か大袈裟にしてみる。こんなことで俺の心労がなくなるわけではないが、会社の人間に気取られるわけにはいかない。少しでも平常心を取り戻すためだ。


ブーブーブー。


 再び震えるスマホを、ほんの少しの期待を抱きながら手に取った。


「あ、部長、お昼にすいません。今どこにいらっしゃいますか?」


「社内にいるが、何かあったのか?」


「石崎役員から伝言がありまして、午後イチで来て欲しいとのことでした」


「石崎、役員から?」


「はい。なので、もし外でしたらそのまま向かわれた方がいいかと思いましてご連絡したんですが」


「あ、ああ。わかった。すぐ向かう」


「はい。よろしくお願いします。それでは失礼します」


 石崎が、一体俺に何の用だ。思い当たることは何もない。


 いや、役職付きに面談をしているという話は聞いていたか。通達も連絡も何もなく突然呼び出されるのだと言っていたか。これが会社の判断なのか、石崎の独断かどちらかわからないのが嫌なところだ。


 とは言え、呼び出されている以上行かねばなるまい。面倒に思う心を押し込めながら、石崎の元へ向かった。


「お呼びでしょうか」


「ああ、そちらにかけてください」


 応接セットに座って待っていた石崎。促され、その対面に座ると柔らかな革がぎゅっと鳴った。


「面談、というほどのことでもないんですが、ちょっと色々お話をお聞きしたいと思いまして」


「はぁ、そうですか」


「最近、何か変わったことなどありますか?」


「いえ、特には。仕事も順調ですし、気力にも溢れてます」


 このやりとりに何か意味があるのだろうか。疑問に思いつつ、そんなことはおくびにも出さずにこやかに答えた。


「そうですか。……いえ、実はここだけの話なんですけどね」


「はい」


「砂川さんが昔新人教育をされた岩田トモヒロさん、いらっしゃいますね」


「ええ、はい。彼がどうかしましたか?」


 まさか、岩田のやつ、何かやらかしたのか。


「彼ね、今ちょっとお休みしているんですよ」


「それは、何か、心身の不調、ということですか?」


「いえ。彼、刺されて入院してるんですよ」


「事件に巻き込まれたってことですか?」


「未成年の女の子に刺されてしまったようなんですよね。ほら、未成年が売春していること、あの街へ行ったことがあれば皆さんご存じでしょう? 彼もほんの火遊びのつもりで手を出したんでしょう。それで色々面倒ですし、彼氏自身大事おおごとにしたくなかったんで警察には届けなかった、いや、届けられなかったみたいなんですけどね」


「そんな……」


 馬鹿なやつだと思ってはいたが、ここまでのやつだとは思わなかった。そんなやつの新人教育をした俺の立場はどうなる。ふつふつと怒りが湧いて来た。


「社内でもごく一握りの人しか知らないことです。会社からはなんらかの処分が近々下るでしょう。……もちろん、砂川さんのつもりだなんて、これっぽっちも思ってないですよ。こうなってしまったのは岩田くん、彼自身の問題ですしね。ただ、お知らせした方が良いかなと思いまして、こうしてお伝えしているわけです」


「そう、ですか」


 わざわざこんな話を聞きたくなかった。いやでもここで石崎に聞いていなかったら、別のやつに見下されたような形で聞かされていたかもしれない。それよりは随分ましか。


「お知らせくださって、ありがとうございます」


「そんなことはありませんよ。やっぱり可愛がっていた部下が、と思うとおつらいでしょう」


「いやはや、まったく」


 俺はハンカチで額の汗を拭った。


「そういえば砂川さんのお子さんも、ちょうど高校生くらいでしょう?」


「はぁ、そうですね」


「思春期のお子さんでは色々と大変でしょう。こんな話も身近にあるくらいですし」


「いや、家庭のことは全て家内に任せてありますので」


「そうは言っても、奥様だけでは色々限界があると思いますよ。ご家族、というチームじゃありませんか」


「やはり男親というのは、ここぞという時だけガツンと言うものだと思いますので。それ以外の細々としたところは……」


「はぁ、そうですか。……それじゃあ、娘さんが家出するのも頷けますね」


 俺の心臓が飛び跳ねた。石崎のその答え方は、まるで俺の状況を知っているみたいじゃないか。どうして石崎が知っているんだ。瞬きができない。視線の先にいる石崎から目をそらせない。じわりと嫌な汗が身体に纏わりついた。見られていたのか。俺の積み重ねてきたものは。地位は。役職は。実績は。急激に喉が渇いて、かさかさとした風が喉を逆撫でした。


「私の知り合いがね、見ていたらしいんですよ。あれはそうじゃないかなと思ったらしいんですけど、とても話しかけられる状況じゃなかったと、そう言っていました」


 いつのことだ。どのことだ。娘と口論しているところか。それとも探し回っている時か。どちらにせよ、知られていいことなど一つもない。俺の頭は物凄い速さで動いているのに、どこにも辿り着けずに空虚さだけをありありと感じた。


 それにその見ていたという人物。それは一体誰だ。どこの部署の者だ。石崎に言えるくらいというと、そこそこ上なのか。それとも外部の、俺を知る人間なのか。一体誰だ。誰も彼もが疑わしく、そうと見えてしまう。


「私は砂川さんを責めようだなんて、これっぽっちも思ってないですよ。思春期の娘は本当に大変らしいですし、ましてや砂川さんは会社でも大きな仕事を任される立場にいますから、その心の疲れはいかほどだろうか、とお察しします」


 和やかに石崎が言った。その目には、本当に労わりの色が浮かび、俺の恥部を責めたてるような、そんな卑しい心は見つけられなかった。


「ひとまず、有休を消化するのはいかがですか? 良い機会ですし、ちょっと仕事詰めだったから奥様との時間を取りたいと言えば、社内でも大きな噂にはならないでしょう。むしろ砂川さんの株が上がるというものです。娘さんを探すのは、その期間内にどうにかなりますよ」


 石崎の言葉を噛みしめた。やっと手に入れた地位だが、石崎の言う通りなら少し休んで娘を探すことに専念してもいいのかもしれない。


 いや、石崎に休みを進められている以上、それ以外を選択することなどできるはずもない。


「わかり、ました。お心遣い、感謝します」


「きっと大丈夫ですよ。その知人にもしっかり口止めしていますし。今はただ、砂川さんのできることをなさってください」


 優し気な笑顔を見せた石崎。知れたのが、こいつでよかったと思うべきだろうか。いかにも口が軽そうに見えるが、実はそうでもないのか。この若さでこの地位にいるということは、やはり信用が置けるということなのか。


 尚も微笑み、それ以上は話すことなどないといった石崎の態度にやっと気がつき、俺は静かに立ち上がって部屋をあとにした。

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