総理大臣とマンボウの繰り返し

偽泥棒

総理大臣とマンボウの繰り返し

 テレビの中の総理大臣が「我が国は、今、空前絶後の、勝負のときを、迎えている、わけでして」と言ったタイミングで、彼が「俺なら勝てる」と言い出し、私は聞き返す。

「勝てる?」

「そう」

「ユウトが総理大臣になったら日本は良くなるってこと?」

「もちろん」

「何それ、面白いね」

「冗談だと思ってる?」

「え」

 そこで私はユウトの瞳が信じられないぐらい輝いていることに気づく。でも、全然健全な感じじゃない。演技ではできない深刻さがあった。頬には玉の汗がびっしりと、手の甲には血管が浮き出て、さながら決戦前の武将のようだ。

「俺は真剣だよ。俺が勝つ、俺がやれば勝つんだ」

「ちょっと、大丈夫?」

「大丈夫だ。俺は勝つ。絶対に負けない」

「そういう意味じゃなくて」

 二の次が出てこない。何を言っても無駄な気がする。とっくに、ユウトはどこかのタイミングでもうユウトではなくなっていた。いつこうなったんだろうか。だけど、ちょっと面白いからおちょくることにした。

「まあいいか。じゃあまず、どうやって総理大臣になるの?」

「総理大臣を、殴る」

「一回殴っただけで総理大臣になれるの?」

「そりゃ一回だけじゃない。総理大臣になれるまで、殴る。『いいよ』が聞こえるまで殴り続ける」

「総理大臣を説得できたとして、周りの人には反対されるかも」

「じゃあ、その周りの奴らの『いいよ』も聞きにいく。全員ボコボコだ」

「分かった。総理大臣になれたとして、勝つためにはまずどうするの?」

「日本国民以外を全員殴って、日本国民にする」

「すごいね。どうしてそんなこと」

「国ってそんな二個も三個も要らないからさ。一個でいいよ全部」

「人類皆兄弟?」

「細かいニュアンスは違うけど、まあ、そんな感じ」

「その後は」

「何もしない」

「何もって。それだと、ユウトに日本国民にされた元外国人がクーデターみたいなのを起こしちゃうんじゃないの」

「起こしそうになったときに、殴る」

「予防が間に合わなかったら」

「殴る」

「日本で起こる全ての問題を解決して、起こりうる問題も全て予防できるとしたら、もうやることなくなっちゃうけど」

「なくなっていいよ。俺が勝ってればいい」

「そっか。ところでさ、そのさっきから言ってる殴るとか勝つっていうのは、『殺す』の意味も含むわけ?」

「殺したらもう殴れないし、殺さないよ」

「もしかしたらなんだけど、ユウトってさ、誰かれ構わず殴りたいだけなんじゃない」

「そうかも」

 ユウトは気がつくと結構落ち着いてて、でも多分正気ではなくて、今からどうなっていくのか全然分からない。何が彼をこうさせているんだろうか、は聞いても無駄だと思うし、質問をもっと実際的な意味を持つものに変えてみる。

「じゃあ、今って私のことも殴りたい?」

「正直言うと、めちゃめちゃ殴りたい」

「憎いから?」

「違うよ。愛してる」

「愛してるから殴りたいの?」

「それも違う。誰でもいいんだよ、殴れれば。勝って気持ちよくなりたいだけだから」

知らないけど。

「そっか。じゃあさ、今までもそうやって人をさ、殴って勝ちたいものとして見てきたの?」

「うん。言ったことなかったっけ」

 むしろ、私が悪いんじゃないかという気がしてきた。彼って途中でこうなったとかじゃなくて、元々こういう人間なんだ。今まで見てたユウトってユウトじゃない。本当の意味ではユウトを見てきてなかった。ずっと一緒に居た三年とちょっとも本当にずっと一緒に居ただけだった。悲しい、見た目だけのクレープに三時間並んだり、意味のなさすぎる映画に二時間使ったのって、本当に意味がなかったんだ。意味のないものに時間を使うのって一番浅いところにある幸福だと思ってた。全然違ってたみたい。

 結構なショックを受けるけど、でも言わない。それに意味はない。切り替える。

「話変わるけどさ、明日久々に二人で水族館行かない?」

「いいね、行こう」

「うん、すごい楽しみ」

「そういえばさ。ケイコってマンボウ大好きだったよね。アレなんで?」

「すぐ死ぬところがすごい可愛いから」

「え、すぐ死ぬから可愛いの?」

「そうだよ」

「死ぬって可愛いかな」

「そうでしょ」

「俺が死んだら可愛くなる?」

「そりゃもうね。一番可愛くなると思うよ」

「そっか」

「何、おかしい?」

「ケイコはそれでいいと思うよ」

「意味分かんないんだけど」

「いや、いいよ。何でもない。気にしないで」

「変なの」

 私の目はキラキラと光っていた。

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