晴れ、ときどき、君
緑里ダイ
今日の君のお天気は
ザーザーと音を立てて、天から水が降る。いわゆる、雨。
地面から跳ねた水滴が、ズボンの裾を濡らした。
靴の中まで侵食されるのは時間の問題かもしれない。
コンビニで買えるビニール傘をさし、一軒家のインターホンの前に立つ僕──空井ハル。
特にこれといって言うことがない、高校三年生の男子だ。
ただ、強いて僕のことを言うとすれば。
僕は人よりちょっと、一途だ。そこだけは自信がある。
このままずっと立っていたら、学校に到着する前に制服がたくさん濡れて困ってしまう。
靴下までずぶ濡れになってしまったら、その日はもうなにもやる気が出ないだろう。
靴下が濡れたときのあの不快感は未だに慣れない。
「よし」
小さく気合を入れて、インターホンを押す。
この気合注入は毎朝必ず行う僕の日課だ。
ましてや今日のような雨の日は……より一層気合いを入れている。
玄関の扉を眺めていると……ガチャっと音を立てて住人が姿を現した。
僕と同じ学校の制服を着た、女の子だ。
右手の鞄を肩にかけるように持ち上げ、こちらまで歩いてくる。よく不良漫画で見るような鞄の持ち方だ。
その様子を見ていると、女の子は怒ったような視線を僕に向けた。
そして──一言。
「あ? なに見てんだよ。つか、くんのおせぇんだよ」
開口一番、なかなかキツいセリフである。
女の子は眉を釣り上げ、不機嫌に言い放つ。
分かり切っていたその反応に、僕は苦笑いを浮かべた。
「いつも通りの時間なんだけど? ──おはよう、
「けっ、気安く名前を呼ぶんじゃねぇ。おら行くぞ」
「傘は?」
「さすのダルい。てめぇの傘に入らせろ」
「はいはい……」
先に歩き出した彼女を追いかけ、僕は歩き出す。
左隣に並び、彼女が濡れないように傘の半分下に入れてあげた。
まぁ……俗に言う、相合傘だ。
「ちっ、雨だりぃなオイ」
物騒に舌打ちをする彼女に「そうだね」と相打ちをする。
彼女の名前は──
僕と彼女は幼稚園からずっと一緒で、家もお隣という生粋の幼馴染だ。
そんな幼馴染を毎朝迎えに行く、というのが僕のミッションだったりする。
艶のある綺麗な黒髪は首の後ろで束ねられ、尻尾のように腰付近まで垂れ下がっている。
身長もそこまで高いというわけではないが、メリハリのついたスタイルは魅力の一つだと言えるだろう。
容姿も『美少女』と言ってしまって差し支えがないレベルなのだが……いかんせん、この不機嫌オーラと粗暴な振る舞いですべてを帳消しにしている。
触れる者を皆傷付ける勢いで周囲を睨み付ける。
それが現在の幼馴染の姿だった。
「風花、今日数学の課題提出があるけど……やってきた?」
「あぁ? 知らねぇよんなもん。てめぇの写させろ」
「自分でやらないと意味ないでしょ」
「口答えすんじゃねぇ。あたしの言うことが聞けねぇってのか?」
「うん」
即答。
「……はっ、気に入らねぇ。調子狂うぜてめぇは」
おそらく学校のみんなだったら、威圧感に負けて『わ、分かりましたぁ!』と首を縦に振ってしまうだろう。
しかし、そこは長年の付き合いがある僕だ。
そんな簡単に折れたり負けたりしない。
ふと横をチラッと見ると、風花の右肩が濡れてしまっていることに気が付いた。
僕は何も言わず傘を右に寄せる。
それにより、僕の左肩にジワッと水濡れが広がった。
グイッ──
寄せたはずの傘が、押し戻される。
「風花……?」
風花に顔を向けるも、そっぽを向いてこちらも見ていなかった。
「……てめぇが風邪引いたら誰があたしを迎えに来るんだよ」
ツン……と、それだけ言い残すと風花は黙ってしまう。
粗暴な言動からは考えられない行動に、僕はふっと笑った。
結局のところ――本質は変わらないのだ。
「それ、自信満々に言うこと?」
「……るせぇ」
僕たちは雨の道を歩く。
一歩、一歩……踏み出すごとにピチャッと音がなる。
隣の彼女は……仏頂面で前を見据えていた。
──雨の日、天野風花は裏切られた。
だから雨の日は……怒りん坊だ。
× × ×
翌日。天気は曇り。
「よし」
小さく気合いを入れて、インターホンを押す。
今日もミッション開始だ。
ボーッと数分ほど待っていると、玄関の扉がゆっくりと開かれた。
そして……一人の女の子がこちらの様子を伺うように顔を出す。
キョロキョロと周囲を見回したあと……視界に僕を捉える。
そして、スッとその目を細めた。
冷たい印象を感じる、そんな目だった。
僕は女の子に向かって手を振る。
「おはよう、風花」
「……どうも」
女の子──風花は素っ気無く返事をすると玄関から出てくる。
こちらまで歩いてくると、そのまま僕を素通りして行ってしまった。
まったくもう……君を迎えに来たんだけどなぁ。
僕は頬を掻き、苦笑いを浮かべる。
「僕も一緒に行くよ」
「勝手にどうぞ」
「勝手にしますよっと」
こちらを気にせず、そそくさと歩く彼女の左隣に並ぶ。
昨日の風花と違って、今日の風花はとても素っ気無い。
首の後ろで一つで束ねていた髪は解かれ、まるでカーテンのようにサラサラと風で靡く。
シンプルなロングヘアースタイルだ。
そして、前髪を目元まで下ろしているのも特徴的だろう。そのせいで表情が見えづらい。
粗暴な印象を与える昨日の顔つきはどこへ行ってしまったのか……。
今の風花は……無表情で、まるですべてを諦めたかのような冷めた顔で世界を見ていた。
「……」
「……」
会話は、ない。
僕が話題を提供しない限り風花は口を開くことがない。
無表情で、無口で……冷たい。
それが今日の風花だ。
「そういえば今日、英語の小テストがあるって言ってたよね」
「……」
返事は、ない。
「前回はボロボロだったからなぁ……今日はいい点数を取りたいよ」
「……」
「風花は……って、聞かなくても大丈夫そうだね。僕よりずっと頭いいし」
「……」
一方的に話を続ける僕に視線を向けることはなく。
彼女は黙々と……歩き続けていた。
──と、思っていたけれど。
「……楽しいですか?」
ようやく風花は口を開くと僕に問いかけてきた。
視線は前を向いたままだ。
質問に対して僕は「なにが?」と聞き返す。
「私と話していて……楽しいのですか? 正確に言えば、私に話しかけて楽しいのか……ですけど」
あぁ、そんなことか。
答えなんて考えるまでもない。
淡々と話す風花に、僕は微笑む。
「もちろん」
たった四文字だけど、これ以上にない答え。
「……そうですか」
四文字に対するは、素っ気無い五文字。
けれど、僕にはそれで十分だった。
「物好きな人ですね……あなたは」
「物……っていうか、君だからね」
「……」
ふいっと、僕から顔を逸らす。
それ以降、学校に到着するまで僕たちの間に会話はなかった。
僕はいろいろ話しかけたけど……返事は返ってこなくて。
でも……それでいい。
物好き、なんて君は言うけど……ちょっと違うかな。
僕は君と話しているから楽しいんだ。
ほかでもない、君とだから。
何度だって話かけるよ。例え君がなにも言わなくても。
結局のところ――本質は変わらないのだ。
優しい君は、無視し続けることなんて……できないから。
隣の彼女は……無表情で歩く。
──曇りの日、天野風花は大好きな人を失った。
だから曇りの日は……冷たい。
× × ×
翌日。天気は晴れ。
お出かけ日和とはまさにこのこと。
と言っても、
「よし」
気合いを入れて、インターホンを押す。
一昨日や昨日ほど気は張っていない。
なぜなら今日は……晴れだから。
『はいはーい!』
家の中から明るい声が聞こえてきた。
十秒ほど待っていると、玄関の扉が開かれる。
と、同時に一人の女の子が姿を現す。
もうわざわざ言うまでもないけど――風花だ。
昨日とはまた違い、長い髪を頭の後ろで結ったポニーテールスタイルの風花は、僕を視界に捉えると笑顔を浮かべて手を振る。
「おはよ、ハルくん!」
「うん、おはよう晴香」
「いやー、今日はいい天気だねー」
「だねぇ」
風花は僕の右隣に並び、一緒のタイミングで歩き出した。
隣の彼女は穏やかな顔で前を向き、楽しそうに鼻歌まで歌っている。
ずいぶんとご機嫌だなぁ……と、僕はそんな風花を見て笑みをこぼした。
「ね、ね、ハルくん」
「ん?」
風花は少し前に出ると、僕の顔を覗き込むように身を屈める。
「雨ちゃんと雲ちゃん……大丈夫だった?」
その質問に、僕は目をパチパチとさせる。
――雨ちゃんに雲ちゃん。
改めて僕は……幼馴染の顔をジッと見つめた。
彼女たちは、互いの存在を認識している。
一昨日、昨日、そして――今日。
三日間とも同じ『天野風花』であるはずなのに、三日間とも別人のような性格で僕と接していた。
粗暴な風花。
冷淡な風花。
元気な風花。
どれも正真正銘、天野風花だということは間違いない。
僕が知っている……幼い頃から知っている、風花だ。
言ってしまえば――彼女は。
己の中に多数の人格を保持しているのだ。
風花の言葉に、僕は頷く。
「うん、なにも問題ないよ。相変わらず君は君だったし」
「えー、ちょっとそれどういうこと?」
「そのままの意味だよ」
風花を追い抜かすように横を通り過ぎると、「待ってよハルくん~!」と早足で僕を追いかけて来る。
再び隣に並ぶと、風で乱れた前髪をササッと整えていた。
「ごめんね……こんなんで」
風花は胸に手を当て、申し訳なさそうに言った。
僕はゆっくりと首を左右に振る。
「何回も言ってるでしょ? 謝ることないってさ」
「でも……」
「でも、じゃないよ。風花はなにも悪くない」
風花がこうなった原因は、もちろんある。
元々彼女は、今のような穏やかで優しい性格の持ち主だった。
僕が知っている最初の風花こそ……今の姿だ。
きっかけは――
とある出来事で風花が心を閉ざしてしまったことだ。
一つ目は……小学三年生の頃。
風花がとても慕っていた……彼女の祖母が病気で亡くなった。
大好きだった祖母を亡くしてしまったことで……風花はとても悲しんで……心を閉ざしてしまった。
当時、同じくまだ子供だった僕に言った一言。
――『どうして人間は死んじゃうの? どうしていなくなっちゃうの? おばあちゃんはどこに行ったの?』
僕は……なにも言えなかった。悲しみに暮れる彼女に……なにもしてあげられなかった。
溢れる悲しみに心が耐えきれなかった結果――
冷淡な『天野風花』が生まれた。
その日の天気は……『曇り』だった。
あれから曇りの日になると……『風花』は昨日のような人格で僕たちの前に姿を現す。
それが『曇ちゃん』の正体。
「……雨ちゃんから酷いことたくさん言われてるんでしょ?」
「そんなことないって」
「うそ。『わたし』だから分かるもん」
「ホントホント。言葉はキツイけど……嫌だなって思ったことはないって」
「ハルくん……ドМなの?」
「それは違うかな……!?」
そんな無垢な顔で『ドMなの?』とか聞かないでほしい……。
なんかこう……ちょっといけない気持ちになっちゃう。
僕の印象が著しく損なわれてしまうから、そこはしっかり訂正しておこう。
――さて。
次にちょうど話に出た、風花の二つ目の人格である『雨ちゃん』について……だけど。
『曇ちゃん』と同様に、心を閉ざす出来事があった。
あれは中学二年生の頃――
風花は一番仲がよかった親友に……裏切られて、酷いことをされた。
その内容も……まぁうん。なかなか辛いもので……。
その一件が原因で彼女の中に抑えられないほど強い悲しみと……なにより『怒り』が芽生えて……心を閉ざした。
自分の感情を上手くコントロールできなかったのだろう。
溢れる怒りに心が耐えられなくなった結果――
粗暴な『天野風花』が生まれた。
その日の天気は……『雨』だった。
あれから雨の日になると……『風花』は一昨日のような姿になる。
それが『雨ちゃん』の正体。
――そう。
僕の幼馴染は……天候にとって人格が変わるのだ。
「わたしは……さ、こういう感じだから気味悪がられることが多いけど……」
「……うん」
「ハルくんだけはずっとそばにいてくれるよね」
天候によって人格が変わる女の子。
昨日まで優しかったと思ったら、突然冷たくなって……。
かと思ったら暴力的になって……。
そんな風花を受け入れられず、遠ざけようとする人たちはいっぱいいた。
そこは……人の感情だから仕方がない部分もあるだろう。
万人が等しく受け入れられるものなんて、この世に存在しないのだから。
「義務感……とかじゃないの?」
不安そうな風花を安心させたくて、僕は「違うよ」とすぐに答えた。
「僕が一緒にいたいから。それだけだよ」
「一緒に……って……も~!」
風花を恥ずかしそうに顔を赤らめて、ぷいっと顔を逸らした。
子供っぽい姿がなんとも可愛いらしい。
「ハルくん……」
顔を逸らしたまま、風花は僕の名前を呼ぶ。
僕はなにも言わず、続きを待った。
一、二、三――
四秒。
風花は……その言葉を口にした。
「――ありがとう」
ありがとう。
五文字の中に、どれだけの想いが詰まっているのだろう。
どれだけの……『風花』の気持ちが込められているのだろう。
僕には、分からない。
けれど……嬉しい。
今はそれだけで……いい。
「……うん、どういたしまして」
本当は……どういたしまして、なんて言う資格は僕にはないのかもしれない。
――僕は、なにもできなかったから。
風花が辛いとき……僕は助けることができなかった。
君の手を掴んで……引っ張り上げることができなかった。
もう……君にあんな顔をさせたくない。
悲しい想いを……させたくない。
僕はずっと――
『君』のことが大好きだから。
他人に誇れるようなことはなにもないけれど。
他人より優れているところはなにもないけれど。
それでも……強いて言うとすれば。
僕は他人よりちょっとだけ、一途なんだ。
『君』がどれだけ存在していようと、僕は『君』が……大好きだから。
怒りんぼうな君も。
冷たい君も。
全部……僕にとって大切な『君』だから。
それに。
これは僕にとって……償いでもある。
「ほら、風花。あんまりのんびりしてると学校に遅れちゃうよ」
声をかけると、風花がこちらを向いて「たしかに……!」と言った。
「ねぇ、ハルくん」
穏やかな声で――僕を呼んで。
「どうしたの?」
風花は優しく……微笑んだ。
「今日も一日、よろしくね!」
──雨の日、天野風花は裏切られた。だから彼女は怒る。
──曇りの日、天野風花は大好きな人を失った。だから彼女は冷たい。
そして。
晴れの日はきっと――君は綺麗に微笑む。
ちなみに。
雪の日の風花は……おっと。
それはまた別の機会、かな。
晴れ、ときどき、君 緑里ダイ @dai0624
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