第92話 反転
話は一旦、アージス大戦の四日目早朝に遡る。
アージス平原の南ルートの南側。
つまりアーリア大陸の最南端に場面は移る。
そこは海。
誰にも行く手を阻まれることのない海がアージス平原の南にはある。
そして、そこの浜辺に数十隻の船が到着していた。
船の上から、鼻息荒くなにかを待つ男は、赤い鉢巻をして赤いリストバントをしている。
「おいおい。俺たちの出番はあるのか。もしかして、すぐに終わっちまってんじゃないのか」
「せっかちな男ですわね。赤い煙が出るまでは、待機ですよと。王子様は丁寧におっしゃっていましたわ」
金色のカールヘアーでドレスを着た女性が男性を叱責しながら北の方向アージス平原南を見た。
空に向かって一本の煙が立ち上るはずだが、それはまだ見えない。
「それにしても王国の船は雑魚なのか? 手ごたえがない」
「いいえ。これはただの牽制の船だと思いますわ。本来はもっとお強いですわよ。そうじゃなきゃ、腰抜けの雑魚・・・・・どもですわ」
とってつけたような言い方を女性がした。
ここに来るまでの間に、二人はすでに海で王国の船を数隻沈めていた。
王国は、アージス大戦で海上戦が起こるとは微塵も思っていなかったらしく、アーリア大陸南の海に、もし敵の船が来たとしても、裏だけは取られたくないという保険的な理由で、ただの壁として船を数隻だけ配置していた。
だからこの事から、帝国の船がここに来るとは一切考えていなかったのだ。
しかしそれは仕方ない事なのだ。
なぜなら、帝国の最前線の港の船に動きがなかったからだ。
ということは。
この人物たちはどこから来たかというと。
「おい、ここまで、どんくらいだった?」
「一日と少しですわ。
「そうか。だからこいつら面食らったんか」
「ええ。もちろんですわ。でもこれもそれも、あの王子様の策のおかげですわ」
「まあな。すんげえ人だもんな」
彼らはアーリア大陸最南東の港ササラからやってきたのである。
ここまでの道のりは距離としてかなりであるのだが、二人はたった一日で来た。
元海賊特有の特殊な高速船を駆使してきたから、敵はそれを調べようがなかったのだ。
帝国の深い位置の港。
そこの偵察は、たやすくはできない。
王国が正確な情報を収集できなかったのが、この海戦の敗因である。
彼らの目と鼻の先では、王国軍の右翼軍と帝国軍の左翼軍が戦っていた。
「よいしょっと。ララ! 大丈夫か? 降りられるか?」
「あら、
ヴァンがララの為に手を差し出すが、ララはその手を掴まない。
強情な女性のようだ。
「いやいや。レディーを大切にしようとだな」
「あらまぁ。
「そうだろ?」
「
自分で船から降りた後、空の異変に気付く。
「あら、ようやく来ましたわ」
ここで、赤い狼煙がアージス平原南ルートに上がった。
出番がやってきたのだと二人は不敵に笑ったのである。
◇
「も、もはや。これまでか」
スクナロ・タークは死期を悟る。
それほどの追い込みを敵にかけられていた。
スクナロ軍の両翼はいまだ健在で中央にもまだ兵がいる。
こちらの兵としても余力はまだあってしかるべきなのだが、相手の圧力が上がり、強引に自軍本部隊の方に食いこまれてしまっていた。
スクナロを守る近衛兵すらも戦う羽目になっている現状は、もはやこれまでと思ってもおかしくない。
「スクナロ様!」
「なんだ!?」
「狼煙・・・赤い・・・赤の狼煙が上がっています」
「それはなんだ? 意味があるのか。敵の合図か?」
自分たちが知る合図ではないものが、自分たちの戦場に上がった。
青天の空に真っすぐ赤い煙が上がっている。
「ス、スクナロ様!?」
「なんだ、どうした。なにをそんなに慌てている・・・」
「敵軍の右翼に何かが迫っています!?」
「なに・・・・もしやそれは援軍か。でもなぜ・・・敵軍の右翼なのだ? 敵軍の左翼なら分かるぞ。あっちは中央軍がいるからな。そっちは海しかないではないか」
「そ、そうですが・・・」
スクナロは自分の危機を認識していたが、これとは別の事態に困惑していた。
◇
スクナロ軍から見て左。エクリプス軍から見て右の戦場にて。
「やれ。野郎ども。あっちに負けんなよ」
ヴァン率いる強襲部隊が、エクリプス軍右翼の前方の側面に当たる。
相手を内側に押し込もうとする勢いは相当なものだった。
「みな、
ララ率いる強襲部隊が、エクリプス軍右翼の後方の側面に当たった。
大人しそうな口調であったララは、ここから変調する。
心の奥底にある乱暴者の本性が出てきた。
「殺ってやんのよ。片っ端から敵をよ! 殲滅すんだよ。いいな。屑ども、目の前の野郎どもはお前らよりももっと屑だ! だから遠慮すんじゃねぇぞ。ぶち殺す! 消し炭にするんだぁ」
驚異の破壊力を誇る二部隊は、ウォーカー隊の新戦力。
強襲部隊ヴァン隊とララ隊である。
元海賊の二人は、ササラ港襲撃事件にいた人物。
それを見事に説得して抱き込んだフュンは、二人を仲間に加えたのだ。
アージス平原南ルートで暴れ狂う二人は、敵陣を抉りだす。
二人は今が恩返しをする時なのだ。
自分たちのような半端者を受け入れてくれたことに対する礼をするのは今しかない。
フュンの勝利の為に二人は死力を尽くす。
ヴァンは片手盾と片手斧のバランス重視の戦闘スタイル。
そしてララは、両手斧の破壊力重視の超攻撃特化型。
なので、敵の軍をより深く押し込んでいるのは、ララだった。
「切り刻め。骨も肉も、何もかも、隊列すらもだ。ワタシに続け、屑ども!」
荒々しい物言いのララの大きな戦斧が相手を薙ぎ払う。
一度に複数を巻き込んでいるその威力は、敵数名を遠くへと弾き飛ばし、そのせいで大いに隊列が乱れる。
敵は立て直そうとするにも、一度振り切られた斧が返す返すで、再びやって来て、さらに隊列を乱すのだ。
暴風のような彼女の攻撃に敵は対応できない。一方的な惨殺である。
「負けんな負けんな。あの馬鹿力に。こっちも力の限り、押すぜ」
海賊特有の独特な武器を持つ両部隊。
鎖鎌などは通常の戦争で使用しない武器なだけに、相手をしているエクリプス軍の兵士たちは戸惑っていく。
自分たちと波長の合わない攻撃を止める術がないのだ。
明らかに軍の動きが悪くなっていた。
◇
「あれは、かなり崩れているぞ。やはりあの軍は味方だったか」
「スクナロ様。そのようですね。しかも五千もいます」
「そうか、助かるな。ならばここがチャンス。ここが勝機だ! 左翼を押すのだ。あれと連動させて、一挙に挟撃をする。そこから敵を包み込むようにして攻撃するんだ。いいな。ここが踏ん張りどころだぞ。俺に続け。俺も出陣する」
ここが勝負どころだと信じたスクナロは大将自らが敵軍に突入する。
ヴァンたちのおかげで、スクナロ軍の反撃が開始された。
◇
赤い狼煙が上がった頃。
その頃のフュン部隊。
「来ました! サブロウ、今なのですね!」
後方で待機していたフュンは立ち上がった。
ずっと防御陣を敷いて待ち続けていたウォーカー隊が動き出す。
「いきます! ゼファー! エリナ!」
「はっ殿下」「フュン、なんだ?」
「中央を囮にしてディレイで行きます。あなたたちが主攻です。包み込むようにしていきますよ。混沌を生んで早期決着を・・・僕らは仕掛けます。よいですね」
「はっ」「おうよ」
「では、いきます。ザイオン! 思う存分暴れなさい。突撃です」
「おうよ大将! 遠慮なく行くぜ!」
フュンは右翼軍としての最後の指示を出した。
「おっしゃああああああああああああ」
待機の指示が出ていた各部隊長。
その部隊の一つ。ザイオンは後方から雄たけびを上げながら前に出て、部隊を引き連れていく。
自分の出番がようやく来たんだと、鬱憤を晴らすかのようだった。
ウォーカー隊はここにきて、敵に全速力で前進した。
今までの防御から一転の攻勢に、敵は戸惑う。
そして、中央のザイオン部隊は、突進の猛烈な勢いを利用してぶつかるのではなく、何故か敵軍の陣の中央で止まり、二手に分かれて左右に走り始めた。
敵の分厚い防御陣を裂いていった。
しかしそれでは敵の中に入りこんでしまっているので、簡単に包囲されてしまうはずが、敵の包囲の前に、ウォーカー隊の左右両翼が敵の陣の中に端から一気に入っていく。
敵の綺麗であった隊列が、徐々に歪になっていく。
それはあのミランダの得意戦法。
混沌である。
フュンはついに彼女の戦法を選択したのだ。
入り乱れる敵と味方の配置。
それは個々人の力勝負へとなっていくのである。
ならばこの部隊の最大の強みが出るというものだ。
「こ、これはまずい。退却をしろ。逃げ続けろ。このままでは軍を維持できん」
サバシアは自分たちの不利を認識して退却を指示。
即座に持ち場を放棄してサバシア軍は撤退に入った。
この判断は正しい。
その場に残っても混沌の渦の中に飲み込まれるだけであるからだ。
隊長たちがいる前線に到着したフュンがさらに指示を出す。
「ザイオン! あなたがあれを追いなさい! 必ずこの戦場よりも奥に押し込みなさい」
「おう! まかせろ」
「いいですか。ミシェル。押し込んでからの動きは分かりますね」
「はい。フュン様。見張れですね」
「素晴らしい。流石ですよ。あなたにウォーカー隊の追撃部隊を任せます。ザイオンを上手く使ってください。頼みます」
「はい、お任せを」
ザイオン部隊に追撃指示を出し、全てをミシェルに任せた。
彼の部隊八千が敵一万五千の背を追う。
「エリナ! ゼファー! 僕についてきなさい。僕らが戦場を駆けて、この戦争を逆転させます」
「おうよ」「はっ」
ウォーカー隊はフュンを先頭に戦場を駆けていく。
その走破は、この戦争を終結へと導く鍵である。
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