平安女子の✨夏の忘れ草special✨短歌
カワセミ
✨はじめに✨「忘れ草」ってなんでしょう?
こんにちは、はじめまして。カワセミと申します。
私はたまに短歌を投稿しております。
今回初めて自主企画を主催させていただきまして、趣旨概要の捕捉材料として、こちらを書いております。
企画につきまして、ご興味お持ちいただけましたら、お気軽にご参加いただけますととてもありがたいです👇
https://kakuyomu.jp/user_events/16818093080873399737
忘れ草とは、七月頃にオレンジ色の花を咲かせる藪萱草(やぶかんぞう)です。
古典、あるいは遡って中国古典では、「憂いを忘れる花」として伝えられてきました。
この忘れ草がどのような文脈で語られてきたのか、『詩経』『万葉集』『古今和歌集』の三作品から引いて、以下にそのあらましを探ってみたいと思います。
◇◇◇
『詩経』国風
伯兮(出征した夫)
伯兮朅兮 邦之桀兮
(
伯也執殳 為王前驅
(
自伯之東 首如飛蓬
(
豈無膏沐 誰適為容
(
其雨其雨 杲杲出日
(「
願言思伯 甘心首疾
(
焉得諼草 言樹之背
(
願言思伯 使我心痗
(
あたしの背の君 腕
あたしの背の君 矛を取り 王様のため
あたしの背の君 東へ
あめあめふれふれ 願えども 願いあえなし
降れば背の君 帰るかと ああもう頭も 痛くなる
いずこにないか わすれぐさ 北のお庭に 植えよもの
背の君想い よもすがら しんじつ心が やるせない
***
📗『詩経』について(超ざっくり)
中国最古の詩集、とも言われます。が『文選』もそう言われてます……。
所収される詩は、前11世紀~前6世紀に民謡的に歌い継がれていたものを集めたものが主とされています。
成立過程については諸説ありますが、年代は春秋時代(前8世紀~前5世紀)の後期であろうと言われています。
テーマは多岐に渡りますが、儒教的道徳が盛り込まれたものが多くあります。
📝忘れ草の扱い
・表記は「諼草」
・不在の夫への思慕や、戦争から戻らないことの焦燥感・不調からの脱却・慰めを求めている
・庭に植えることを企図している。「背」は「北の庭」の意がある
◇◇◇
『万葉集』
a,(334 巻三 雑歌)大伴旅人
忘れ草 わが紐につく
忘れ草を自分に紐で付けてみる。香具山の懐かしい里を忘れようとして
b,(727 巻四 相聞歌)大伴家持
忘れ草 我が下紐に 着けたれど
忘れ草を自分の下着の紐に着けたけど、くっそ、役に立たない草で名前だけだ(キミへの想いはこんなもんじゃ抑えられないよ)
c,(2475 巻十一
我が宿は 軒のしだ草
ウチの軒にはシダ草が生えてるんだけれど、「恋忘れ草」ってのは、まだ生えてないなぁ(苦しい想いが忘れられないよぉ)
d,(3060 巻十二 寄物陳思)作者不明
忘れ草 我が紐に着く 時となく 思ひ渡れば
忘れ草を自分の紐につける。「いつまでだ」って決めないで思い続けてると、生きた心地もしないからさ
e,(3062 巻十二 寄物陳思)作者不明
忘れ草 垣もしみみに 植ゑたれど
忘れ草を垣根にみっちり植えたけど、こんちきしょうめ、いっそう恋しいばかりだ
***
📝忘れ草の扱い
・望郷への憂い(a)と、恋への憂いとの二つがある(b~e)
・自生していたり移植したりと(見立てではあるが)、実際の植物の有様が描写される(c、e)
・「恋忘れ草」という語句が発生する(c)
・自分の衣(下着)の紐に結び付ける
➡前掲『詩経』において「言れ之れを背に植えん」の「背」は「北の庭」の意があるとした。反対に「南の庭」は「襟」と記す。
しかし、この「背・襟」を、文字通り「背中」「胸元」とする解釈がある(顔師古『匡謬正俗』)
また、あるいは「懐に忘憂の草を挟む」(劉義恭『遊子移』)という詩句もある。
「忘れ草を衣の紐に付けるという発想は、そのような解釈や表現の受容からも生まれ得る」(竹生政資、2011年)とあるように、下着に忘れ草を結ぶという様式は、日本の中で生まれたものではなく輸入されたもの、あるいは根拠を元に日本で変容したのではないかとも考えられる
◇◇◇
『古今和歌集』
F,(765 巻十五 恋五)よみ人知らず
忘れ草 種取らましを 逢ふことの いとかくかたき ものと知りせば
忘れ草の種を取っとけばよかった。逢うことがこんなにも難しいものと知ってたなら(そしたら、せっせと栽培して、遭えない間も辛くないからね)
G,(766 巻十五 恋五)よみ人知らず
恋ふれども 逢ふ夜のなきは 忘れ草 夢路にさへや 生ひ茂るらむ
恋しく思っても逢う夜がないということは、忘れ草が夢路にまでも生い茂っているということでしょうか(忘れ草が茂りすぎて、私のこと忘れちゃったんですか?)
H,(801 巻十五 恋五)源宗于
忘れ草 枯れもやすると つれもなき 人の心に 霜は置かなむ
忘れ草なんてもんは、まあ枯れさせてしまえってなもんで、つれないあの人の心に霜が降りないかなぁ(私を忘れ去れるような草は霜枯れさせて、想いをもう一回燃え上がらせてほしいよ)
I,(802 巻十五 恋五)素性法師
忘れ草 何をか種と 思ひしは つれなき人の 心なりけり
「忘れ草は何を養分にしてるんだろう?」と思ったけど、つれない人の心だったんだね
J,(917 巻十七 雑上) 壬生忠岑
「住みやすいよ」と海人が言ったとしても、長居をしないようにね。「人忘れ草が生える」と言うよ(住吉詣りもいいけど、こっちのことも気にして、早く帰っておいでよ)
***
📝忘れ草の扱い
・ほとんどが恋を歌ったものだが(F~I)、一部そうでない場合もある(J)
・「憂い」を忘れるという機能が薄まり、恋であれば「熱が冷める」(G、H)、また単に忘れる(J)のバリエーションが増える
・「草」の縁語として「種」が登場する(「生うる(子種)」を強化する要素を認めるかまでは、判断が難しいか)(F、I)
・「忘れ草」が実存以上に、より観念的な存在へ変化している
➡夏草であるのに「霜」と並列させるのは、季節性からの脱却と意味づけることができる(H)
➡下紐に付ける、の実践の手順が消失している
・「人忘れ草」という語句が発生する
◇◇◇
📕まとめ
『詩経』から『万葉集』にかけての千年近くに対して、『古今集』までの数百年での多様化が著しい事がわかるのではないでしょうか。
時代により変化があるのは当然ですが、反対に一貫しているのは、時代を超えて思いを託す手段として用いられているという点だと思います。
また、ほとんどが、相聞・寄物陳思・恋、の部立に分類されることからも、恋との馴染みがよく、多くの人々の関心事でもあることからも、今日にまでその名が残っているのではないかと思います。
と申しましたが、そもそも、中国古典が全く網羅的でなくて申し訳ありません。
『白氏文集』や『文選』にもあたりたかったのですが、色々と不足でした(-_-;)
ともあれ、以上、忘れ草を歌の側面から見てきました。
少しでも忘れ草についての理解を深めていただく一助となりましたら幸いです。
また、これをお読みいただき、もし、当自主企画にご興味をお持ちいただけた方がいらっしゃいましたら大変ありがたいです。
◇◇◇
👇最後に、調べた中で出てきたエピソードをふたつ👇
🍉 忘れ草ことヤブカンゾウは、姿からして分かる通り、ユリ科ワスレグサ属に分類され、私もそう思っておりました。
ところが、近年の遺伝子研究の成果で、ススキノキ科ワスレグサ属であることが解明されたそうです( ゚Д゚)
ススキノキ? って全く姿が違うよね??
と驚いたのですが、そもそも、ユリとキスゲの違いもわからない門外漢なので、へ~、と無抵抗に納得しておきました(^^;
🍉 Fの歌では「忘れ草の種を取っとけばよかった~」と詠んでいますが、このヤブカンゾウ。
先史以前に日本に定着したらしいのですが、日本にやって来たものは三倍体。
種はできず、根茎で増えているそうです。群生するのはそのためですね。
現代科学の光は、物事を明るく照らしてくれますが、他方、身も蓋もない事実があからさまにもなります。
もちろん、昔の人はそれを知りませんし、それで歌の心を損なうものではありません。
むしろ、そうした常識を超えた発想力こそ、歌の真価であろうと思います。
と綺麗にオチをつけた(?)所で。
私もこの後、恋に限らず五首詠んでいこうと思っております。ご覧いただけますととても嬉しいです(*^^*)
――――
参考資料
松枝茂夫編『中国名詩選(上)』、岩波書店、1991年、49頁〜51頁(なお現代語訳は除外)
竹生政資『佐賀大学文化教育学部研究論文集』「万葉集334番歌の「不忘之為」の解釈について」、2011年、 2頁
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