運命の赤い糸を君にー魔女の口付けと奇跡の烙印ー
新田 アラタ
Chapter0 在りし日の記憶
#0 なぜ俺の時間は再び動き出したのか
あの日は、夏にしてはとても涼しく、20〜30°cが常識だった例年に比べて10°cも低い、地球温暖化の真っ只中とは思えない冷夏だった。
あの日の記憶は、今も鮮明に覚えてる。
人生の歯車が狂い始めた、あの日の記憶は───
その部屋の中はしんと静まり返っていて、お坊さんがお経を唱える声とその合間合間に叩かれる木魚の乾いた音と参列者のざわめきが、空間に消え入るように響き渡っていた。
お坊さんの前にあるのは、沢山の献花で埋め尽くされ、笑顔を浮かべた男女の写真と遺灰。
その間に入るように、喪服を着た少年が一人。
虚な瞳に光はなく、ただ言われるがままにかつて両親だった遺灰を掬い上げる。
遺灰は笑う事もなければ、声をかけてくれる事も、一緒に寝てくれる事もない。生きていた頃の温もりと重みが嘘だったように、遺灰は軽かった。
その時、目の前に両親が現れる。
父は骨太な大きい手で少年の頭を撫で、母は女性らしい細く白い手で少年の頭を撫でる。あり得る事のない一瞬の夢想が、少年の正常な判断を鈍らせる。
少年の目に光が僅かに灯り、手を伸ばした刹那。
両親の姿は風と共に霧となって消え去り、一時の安心から少年を現実へと引き戻す。
耳を通り抜ける読経の声、ただ無機的に叩かれる木魚の音、風に揺れ互いに擦れ合う木々のノイズが、少年の意識を現実に向かい合わせる。
意識していないのに手が震え、嗚咽と共に零れ落ちた涙が遺灰を濡らして行く。
それを見かねた親戚の人が少年の方に手を置き、両親に別れの言葉を言うように諭した時、彼の中に押し込まれた何かが弾けた。
「───違う」
蚊の鳴くような声で、少年は言う。
違う、これは何かの間違いで、両親はきっと生きているんだ。そして、家で帰りを待っているんだ。
頭では理解していても、心では受け入れられない。
その想いが、彼の感情を爆発させた。
「こんなの───こんなの!!お父さんとお母さんじゃない!!」
涙混じりの声で叫んだ少年は遺灰を叩きつけ、あろう事かお坊さんに掴み掛かる。
彼の取った暴挙に親戚が怒りの声を上げるが、それを力ずくで押しのけると、まるで式場から逃げるように飛び出して行った。
雲一つない快晴の空。
木々が風に擦れる音を掻き消しながら、少年の慟哭が澄み渡る青に溶けて行く。
西暦2105年/8月/10日。
9歳の夏。
あの日から、俺の中の時間が動く事はなかった。
そして、あの日から約6年の時が立ち───
「10人中10人が、お前の存在を否定するとしたら、俺がお前を肯定する11人目になってやるよ」
ずっと止まっていた俺の時間は、再び動き出そうとしていた。
運命の赤い糸を君にー魔女の口付けと奇跡の烙印ー 新田 アラタ @Arata_Nitta
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