持ち物一つで異世界転移⁉︎ 〜のちの最強毒使いは愉快な仲間(動物)とともに疎まれたりしつつも楽しく生きることにしたようです
西條 ヰ乙
第1話
部屋は駅から徒歩で十分ほどのアパートの一階でワンルーム。家賃は月々五万円。
両親からの仕送りは月に一回、金額は三万円。
一人暮らしとなると家賃の他に光熱費や水道代、そして食費が必要となってくる。学費は親が払ってくれるという約束なので学費不足で退学の恐れはないが、問題は限られた仕送りの中でどう毎日を生活するか、だ。
仕送りが三万。家賃が五万。
「……うん、無理だわ!」
単純な引き算で楽な暮らしはできないと悟った依澄はすぐにバイトを始めることにした。
一括りにバイトといっても、その中身は多種多様だ。
全日制の大学に通いながらとなると、選択できるバイトは限られてくる。
その中で俺が選んだバイトは派遣バイトだった。
とある企業に登録して、その企業に斡旋されたさまざまな場所に派遣されて仕事をこなす。単発の仕事も多いので、すぐに給料を手に入れることができるのも魅力の一つだ。
と、いっても今の俺はジリ貧生活を強制されている。放課後はもちろん隙間時間にバイト、バイト。
せっかく大学に入ってできた友人とは休日に遊ぶということを一度もできていない。
「なんか、こう……俺の思ってたキャンバスライフと違うというか」
「あらあら、若いのに大変ねぇ」
「うす」
汚れたモップをバケツの水で洗いながら、としえさんの相槌に頷く。
彼女とは歳は離れど、何度も同じ清掃のバイトで顔を合わせている仲だ。たまにこうして愚痴を言い合って一緒にトイレ掃除をしている。
ちなみに今日の派遣先は、今までも何度か訪れたことのあるデパートだ。
高級店もテナントとして入っており、客のレベルが俺とは桁違いである。もちろんそんな店の連なるデパートに俺が客として訪れたことがあるはずがなく、ここに何度か来たのは派遣のバイトでだった。
俺が好きなバイトの一つは清掃だ。
別に綺麗好きというわけではないが、いろんなショッピングセンターやデパートのトイレ清掃をしているうちに、なにかを綺麗にするという行為にやりがいを感じていた。
それはそれとして臭いトイレは嫌ではあるが。
「私は女子トイレの清掃をするから」
「うす、俺は男子トイレの方やってきます」
多目的トイレの清掃が終わり、二手に分かれて清掃を開始する。
トイレ前に清掃中の看板を立てかけ、ブラシと洗剤を持って個室のトイレを綺麗にしていく。
床は最後にやるので、次は小便器の清掃だ。
トイレ掃除に必須、清掃の味方サンキエールを握りしめると、その軽さに気がついた。
「あ、やべサンキエきれそうじゃん」
先程の個室のトイレに頑固な汚れがあって、そこで消費しすぎたのかサンキエールことサンキエがなくなってしまった。
これでは清掃ができない。俺は掃除用口置き場からサンキエの替えを手に取った。
これで清掃作業を再開できる。そう思った瞬間、便器がひかりだした。
「いや、便器ってか目の前が全体的にまぶしい……!」
サンキエを握りしめたまま、思わず目を閉じる。瞼を閉じていても、それでも白を感じる。
しかしそれも少しずつ収まりを見せ、しばらくすれば瞼の隙間から差し込む光は完全に消失していた。
「……なんだったんだ?」
疑問を口にしながら、瞼を上げる。
そこには清掃を今か今かと待ち望んでいる便器たちの姿が――無く、代わりに気持ちの悪い見た目の、そうまさしくモンスターと言いようがない化け物がいた。しかも十体くらい。
「う、うええええ⁉︎」
なんなんだこいつらと悲鳴をあげながら後ずさる。
そして背中になにかがコツンとぶつかった。
「あっ、すんませ」
とっさに謝罪の言葉が漏れて、そして止まる。
背後を振り返ると、そこには前方にいるのと同じモンスターが立っていた。
「うわぁ……」
ここにきて自分がモンスターに三百六十度を完全に包囲されていることに気がついた。
これはもう悲惨的すぎてもはや笑うしかない。
「ははは、終わったわ」
モンスターは意気消沈した俺にお構いなく、全力でこちらに向かって走ってきた。
ぶつかったモンスターも角をこちらに向けて敵意をひしひしと感じた。
このままだと、俺は死ぬ。まったく状況を理解できぬまま、こいつらに食い散らかされてしまうのだろう。
こうなったら。
「しゃあねぇ! やってやらぁ!」
俺は無謀にも立ち向かうことを選択し、唯一手に持っていたサンキエをモンスターにぶちまけた。
良い子は絶対に真似しないでくれよな!
サンキエをかけられたモンスターは悲鳴を上げ、よろめくとそのまま倒れ込んだ。それを見て他のモンスターたちはたじろぎ、今がチャンスとばかりに俺がサンキエを構えるとモンスターたちは自ら逃げていった。
「……ふぅ、なんとか危機は脱した、のか?」
周囲にモンスターの姿はない。とりあえずの脅威は去ったと見て問題ないだろう。
「いやぁにしてもここ……マジでどこ?」
荒れ果てた荒野。緑はなく、そこにあるのは赤褐色の地面だけだった。
「トイレどこ?」
白は見当たらない。それどころか人も建物も見当たらない。
ここは本当にどこなのだろうか。なにかのドッキリで瞬間移動でもさせられたのだろうか。
「いやぁ、瞬間移動って……」
自分で考えておきながらあれだが、それはないだろう。
俺が目を閉じていたのは長くても三十秒ほどだ。そんな短時間でセットの入れ替えや人一人を移動させることは現代科学において不可能だろう。
なにより目を瞑っている間に誰かに引っ張られたりした記憶はない。
つまりこれは……
「異世界転移ってやつだな!」
俺は知っているぞ。アニメで見たことがあるやつだ。
異世界転生だとかもあるが、今の俺の姿は自分で見る限りは容姿が変わっている様子はない。つまり転生ではなく、転移というやつの方だろう。
よくある勇者さまを異世界から召喚するのじゃ〜というやつだろうか。
「……うん、違いそう!」
それなら周囲にはモンスターではなく、俺を召喚した人がいるはずだろう。しかしここに俺以外の人間がいる様子はない。
つまりなんでか知らないけど俺は異世界に転移した。以上。
「ま、待って。待て待て待て。まだ希望はある。こういうのって大体神様? とやらがチートを付与してくれんじゃん。俺もチート持ちってことだよな」
いでよ、テート能力! と叫んでみる。
これを誰かに見られていたら小っ恥ずかしくてしばらく引きこもること間違いなしだ。
「……チート寄越せや!」
転移前に神様とやらと出会うイベントがなかったからだろうか。なんか知らないけど理不尽に強いチート能力、というやつが出てこない。
「なんかこう、さぁ。あるじゃん、俺にしかない能力とかさぁ」
不満を空中にぶつけながら、サンキエを振り回す。
元の世界から持ってこれたのはこのサンキエ一本だけだ。
先程のモンスターはサンキエでなんとかできたが、もしまた襲われたらサンキエが無くなるが先か、モンスターが溶けて無くなるが先かの問題になってしまう。
「サンキエ強え……けど一本しかないんだよな」
あのよくわからんモンスターを倒せるだけの酸性がサンキエにはある。のに、一本しかない。これがなくなるとき、それは俺の終わりだ。
「チートがあればなぁ」
ずっとここにいてもしかたがない。
適当にふらつきながらぶつくさと現状に不満を漏らしていると、サンキエが光った。
いや、サンキエが光ったのではない。サンキエの先の空間が光っていた。
それはRPGゲームのウィンドウのようなものだった。
「えっ、なんか固有魔法とかいうのあんじゃん」
そこにはたしかに固有魔法・トレースと書かれていた。
俺は直感的にそれを選択し、どのアイテムをトレースしますかという問いに少し迷って、そして手元にサンキエしかないことを思い出してサンキエを選択した。
するとあら不思議。先程まで一本しかなかったはずのサンキエが二本になっているではありませんか。しかも中身が容器いっぱいになった状態でだ。
「すっ……げぇ! これ結構強い能力じゃね? つまりあれだろ、お金とかトレースしたら億万長者も夢じゃないってこと⁉︎ やっぱ異世界最高!」
ワクワクとドキドキが詰まってんだよ、異世界には。俺はほくほくと笑顔を浮かべながら、足取り軽く前に進む。
今進んでいるのが前なのか後ろなのか、ここがどんな世界なのかすらわからないが、この固有魔法さえあれば向かう所敵なしと見た。
なんたって俺には優秀な固有魔法と、掃除の味方サンキエがついている。
戦う前から勝利は約束されているようなものだろう。たぶん。
いつまた襲われてもいいようにサンキエを片手にしばらく歩いていると、目の前にチカチカと光るなにかが見えた。
近づいてみると、それはコインのようだ。この世界の通貨なのかよくわからないが、少なくとも元の世界で見たことがあるものではなさそうだ。
「あっ、そうだ。このコインもトレースしてやろ」
これがいくらの硬貨なのかはわからないが、物は試しだ。先程と同じように固有魔法・トレースをしてみる。
エラー。
もう一度選択。
エラー。
「……あれ、もしかして不正防止のためにお金はトレースできないようになってる? …………いや、これ違う。なんかさっきまでと違う文言出てるじゃん。なんだよ、トレースできるアイテムの種類は一つだけって! そういうのは先に言っておけよぉー!」
虚しさ溢れる男の叫びが周囲にこだました。
もちろんそこ声に反応して、ぞくぞくとモンスターが姿を現す。
「……ひどい仕打ちっ!」
こうなってはしかたがない。俺はサンキエを握りしめ、応戦することにした。
さすがはしつこい汚れも酸で落とす掃除用洗剤。先程とは違う姿のモンスターにもバッチリ効いている。
サンキエ最強、というよりももうサンキエで勝つしかない。固有魔法をサンキエ専用にしてしまった俺は泣き笑いながら、サンキエマスターになろうと心に決めた。
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