生きづらさについて

@MIDUKATSU

一、言葉の定義

・「生きづらさ」の定義

 私も何度も「生きづらさ」を感じたことがある。私にとっての「生きづらさ」とは、閉塞感である。


 自分にとって居心地の悪い時や、居心地の悪い場所にいると、その環境が変わってほしい、また変えたいと思う。そして色々と試みてみるものの、その状況を打開することができずに苦しむことである。先行きが見えないと言っても良い。


 言葉というのは意味のラベルであり、意味は言葉を使う人の頭の中にある。ここではこのように「生きづらさ」を定義した。第一章では本稿で使う言葉や(書けたら)次作以降のヒントになる言葉の定義をする。


 まずは「主観」と「客観」の定義をする。


・人は主観で生きている

 人にはそれぞれのレンズ(主観)があり、それぞれのレンズを通してものごとを解釈している。


 例えば、私たちは学校で、クラスメイトと全く同じ授業を受けてきた。全く同じものを見て、聞いていた。それにも関わらず、授業の理解度や成績はみんな違う。


 人によって関心や価値観などが異なり、それぞれの人が自分のレンズの中の世界、主観の世界の中で生きている。


・細工されたサイコロ

 私たちはそれぞれが、それぞれの主観で生きている。この世は誰かの主観だらけだ。しかしながら客観というものも存在する。ついでにこれについても考える。


 例えば、1が出るように細工されたサイコロがあるとする。このサイコロを振ってみて、1が出るように細工されていることを知るにはどうしたら良いか。


 1回サイコロを振って1が出たら、それは細工されているとは言えない。細工されていないサイコロでは、1/6の確率で1が出る。1回サイコロを振ってたまたま1が出ただけ、"偶然"1が出たと思われる。


 しかしこれを10回、100回、1,000回と振って、全てに1が出てたらどうだろうか。そうすれば、私たちは「このサイコロは1が出るように細工されている」と思う。


 客観に似た言葉に、普遍という言葉がある。普遍というは、主観から独立したもので、偶然の偏りを受けないものである。


 偶然の偏りというのは、先ほどのサイコロの例で、1回だけ振ったら偶然1が出たということである。


 このサイコロを100回振って、99回1が出て、1回だけ2が出たとする。細工されているサイコロで2が出るということは、偶然である。この1以外の数字が、100回のうちに何回現れるかによって、「このサイコロは1が出るように細工されている」かを判断する。1回だけ出てきた、2を偶然とみて、「このサイコロは1が出るように細工されている」とすることが普遍である。


 そして客観とは、この例で言う「何回振って何回1が出た結果」のことである。その結果について説明をし、真の姿を求めるのが科学である。そして真の姿を知ることは難しい。というのは、このサイコロを1万回、1億回振って全てで1が出たとする。しかしながら、1以外の数字が必ず出ないとは言い切れないからだ。


 「何回連続で1が出たこと」と「このサイコロが細工されている」ということの間には、埋めるに埋められない溝がある。私たちはこの溝を、自分の判断で埋めている。何で埋めているか。それが主観である。


 こうした、こうなったという結果が客観であり、それに対しての意味付けが主観である。そして多くの人がするその意味付けが普遍である。



・私的な私と公的な私と

 自分を表す時、「私」という言葉を使う。この「私」には二面性がある。一つは私的な私、もう一つは公的な私である。


 私的な私とは、自分の中で完結するものである。私が自分自身に対して使う「私」のこと。自分の世界の中の自分のことである。


 それに対して公的な私とは、他人との間で使われる。相手に対して「私」を示すために、声や文字で「私」を使う。外の世界にいる自分のことである。外の世界と私的な私を繋ぐものである。


 人はこの二つの「私」を無意識にうまく使い分けている。



・自分と外のバランス

 人は一人では生きていけない。これは詳しく書くものではないくらい当たり前のことだ。そして誰もが何かしらの共同体に属する。ここでいう共同体は、私とあなたという一対一の関係から、私の住む街、国、地球、(もしかしたら宇宙まで!)私の属する場所と、そこにいる人を指す。そしてそこの中にいる「私」とは、公的な私である。


 では私的な私はどこにいるか。それは内的精神的自由なところ、自分の世界である。


 私たちは眠っている時に夢を見る。しかし起きた時、その夢は夢であり、現実とは違うと感じる。


 この夢や妄想などを含む自分の世界と、そうではない現実、外の世界が存在する。無意識に私たちは、自分の世界と外の世界とを分けているのだ。


 そして私たちは自分の世界と外の世界のバランスをとっている。外の世界は公的な私に影響を与える。そして外の世界から影響を受けた公的な私は、私的な私に影響を与える。逆に私的な私は、公的な私に影響を与える。私的な私から影響を受けた公的な私は、それを外の世界に発露する。


 私的な私と外の世界、互いに影響を与え合いながらもバランスをとっているのである。

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