夜に出会った君との話

チャッピー

夜に出会った君との話

「イイネ!君も飛び降り!?」


 満天の星空が広がる夜更け頃、周りには電灯なんて便利な物が無いから、月の明かりだけが視界を助けてくれていた。

 何といってもここは郊外で、何なら人里離れた場所で、その中でもとりわけ人が寄りつかなさそうな山奥の、廃れて、瓦礫とガラス片と埃で埋め尽くされた、かつては笑顔も溢れていたのであろう何かの施設、その屋上。そりゃあ星もこれでもかと言うほど自己主張。


 だから何だと、私の心は晴れてはないが。


 その廃施設の屋上のフェンスを越えて、下にある草花が全く見えない夜闇の中を、大胆にもダイナミックに飛び込んで、地球と熱い接吻をかましてやった直後にこの世とおさらばしようとしていたところ、後ろから、この場に似つかわしく無い陽気な声を突然にぶつけられた。先程の発言のことだ。


「……何あんた。邪魔しないでよ」


 首だけ回して、そう言い放った。

 自分でも、低くて冷たい声が出たなと思った。

 いつでも周りの事に気を回し、仮面を意識していたものだけど、今になって素を出せた。打算も何も無い、本当の私の声がこれか。その事を鼻で笑う。

 思い返すもの何もかもが嫌だ。


 さて、私の人生最大の見せ場を邪魔してきた輩はどんな様かと目を向ける。まぁ、元々観客を付けるつもりは無かったので、見せ場と言うのもおかしな話だが。


 目を向けた先、そこには、パッとしない細身の男性がいた。

 幸薄そうな雰囲気で、所謂もやしというか…細枝のような身体つき。なのに何故か、腕を組みながらニヤリと不敵な笑みを浮かべて仁王立ちしている。自信の溢れようがすごい。

 服装は、ヨレヨレのTシャツに英文が小さな字で書かれていた。失敗は成功の母とか、失敗が人を作るとか、諦めない心とか、私が大人になるにつれてどんどん嫌いになっていった言葉が沢山あった。名言っぽいのがデザインされているシャツ、それは所狭しと並べられている。別に遠目に見たら何かの絵のように見えるという事も無い。本当に乱雑に名言集みたいに集めて閉じ込められていた。

 センス無いわ。

 下はジーパン。多少は濃い青。靴はスニーカーで、少し綺麗な水色だった。それはかわいいかも。


 最期の最後に、変な人と会っちゃった。ため息も出る。


「……止めても無駄だから」


 私が相変わらずの冷たい言葉で言い放つと、対照的に、男は温かく笑い飛ばした。


「うん?ああ、別に。止めない止めない。いや考えてみてよ。僕と君は初めて会うわけなんだからさ、どこか様子がおかしいことを理由に、君が自殺しようとしてるのを察して止めにきたなんて無理でしょ?そして、ここは人なんて一切寄りつかない忘れられた場所だから、街中のビルじゃあるまいし、たまたま見かけた君を止めにきたなんてのも無理!そんで、僕は悪友連れてこの人気の無い場所で怪しい取引をする輩でもないからね。その点はもうご覧の通りだよ。僕がそんな風に見えないのは、僕が一番知っているさ!最初に言ったでしょ、君も?って。仲間になれると思うんだよね!」


 内容は全く温かく無かった。

 どんな感情でその笑顔、私に見せてるのよ。


「……うざ」


「そう言わないでよ。これから死後仲良くやるかもしれないんだし。まあ、そんなこともないかもだけど。とりあえず、多少は話でもしようじゃないか」


「だから、またフェンス越えて戻って来いって?とりあえず安全を確保しようって?見え見えよ。それから私を襲うつもり?それともヒーロー気取りたいわけ?」


「ああ、声の感じからやっぱり女の子なのね。いや、君は動かなくて良いよ。どうせ僕も飛び降りるつもりだったんだから、僕がそっちに行くし」


 そう言うと、男は本当にフェンスに近付き、その身軽く、慣れたように乗り越えた。

 フェンスを越えた後は私の隣に歩み寄る。

 強引に止めにきたら飛ぶぞと身を固めた。そうなったら、殺してしまったという意識を相手に与えるかもしれないが……私は、飛び降りる確固たる決意を伝えたはずなのだ。

 あんたが悪いんだぞ。などと考えていたら、男は私の隣でストンと腰を落とした。そのまま縁で足をぷらぷらと揺らす。


 ……本当に、止める様子が一切見えない。


「君も座ったら?」


「……これから飛ぶんだけど」


「まあね。それはそうだけど、冥土への土産話ってやつさ。どうせ川を渡る為の六文銭も持っていけやしないんだ。だったら、色んな話術で交渉する必要も出てくるだろう。案外、死ぬ少し前の話で向こうは大ウケするかもよ」


「極楽とやらに行くつもりは無いけど?」


 そう言いつつも、私は座ってしまった。たしかに、どうせこれから死ぬのだ。同じくこれから死ぬ者の話を聞くのも悪くはないかもしれない。


「おや、君、スーツじゃん。OLってやつかい。そりゃ大変そうだ」


 相も変わらず陽気に話す男に、私は辟易した。


「話をするんじゃないの?」


「するよお。でも、君の事を知りたいじゃない」


「あんたが話さないんならもう降りるけど」


「ははは、そうか。そりゃ僕の話を聞いてって事だったし、君が話してって言い出したら怒るか!」


 男はカラカラ笑う。

 それはもう、楽しそうに。


 さっさと飛んでしまえば良かったとも思うし、こんな男がどうして死のうと思ったのかも少し気になった。座ってしまった手前、どうせなら聞いてみようという気の方が勝っていた。だが、男が話し始めた内容は、何故これから死ぬのか、自分はどれほど不幸であったか、なんて話ではなかった。


「君はさ、あの世ってあると思う?」


「は?」


 素っ頓狂な声が出た。沈黙、とともに私達の間をひゅーっと冷たい風が通った気がした。まあ、男の前髪は一切揺れなかったので、実際風は吹かなかったのだろうが、こんな漫画みたいな空気になるものなんだなと思った。

 思っていた話題とは違ったし、笑い話というわけでも無いし。


「あんたの死ぬ理由を、これから愚痴みたいに聞かされるんじゃないの?」


「えっ……。それ、楽しい?」


 何だこいつ。何で私が変なヤツみたいな目で見られないといけないのか。あんたのその話題も別に馬鹿話になるとは思えないものでしょうが。

 やめろ、その『うわー、引くわー』みたいな感じでちょっと身体曲げるの。

 男は、私の睨みつける視線にオホンと咳払いをし、改めて姿勢を正した。

 そしてまた、すぐに砕けた表情に戻った。


「で、あると思う?あるとしたらどんな風に存在すると思う?」


「答えないとダメ?それ」


「答えては欲しいね。これから僕らはそこに行けるかもしれないわけだし、多少の心持ちは、ほら、ね?色々考えて、うわー、こうだったかー!ってさ」


 何だか楽しそうにしている男を見て、バカバカしいと息を吐いた。

 揺らす足の下を見る。何も見えやしない。地面すら見えない。吸い込まれそうな闇。

 この先に、希望なんて光は一切無いのだろう。


「……あの世、あるんじゃないかしら。どうせ地獄ね」


「天国と地獄はあると思う派かい。でも、地獄なの?そう思いながらも、君は飛ぶのか」


「天国があったとして、行ける程の徳を積んだとは思えないの。地獄に行く程の罪を背負った覚えは無いけどね。天国は、選ばれる必要があるからプラス点が必須。だとすれば、地獄はゼロ以下よ。どちらも無い私はゼロ。つまり地獄。で、あんたはあの世があると思っているの?」


 私が質問を返すと、男は思案するように拳を口元に当てた。少しの沈黙の後、手を顔から離し、また口を開いた。


「面白いね。点数制かあ。わかりやすい罪状が無いと審査難しそうだけど、天国と地獄があるとすればあり得るか。その人の生涯全て、一挙手一投足を記録し、点数を付けるとなると膨大なデータだね。閻魔様とその配下ってめちゃくちゃブラックなんじゃないの」


「いや答えなさいよ。何あんた、死んだら『無』って考えてるタイプ?」


「うーん、まあ近いね。天国地獄なんてわかりやすいのは無いかな。色々あって最終的には消えてしまって、意識も意志も何もかも無くなるんだろうから、きっと『無』なんだろう。その前に、案外幽霊とかの過程を踏むと考えたなら、死後の世界も結局この世って答えだけど」


「はぁー?あんた、幽霊信じてるの?良くこんなところ来れたわね。信じてない私でも結構怖いわよ、ここ」


「それね。いやー、死ぬか!ってテンション上がってたから来たけどさぁ、ここ本当怖いよね!」


 男は身震いしながら、自分の肩を自分で抱きしめるように掴んでいた。

 ここに来るまでの道順でも思い出しているのだろうか。よくこんなビビりで来れたものだ。


 このボロボロ施設、この屋上もだが、中はそれはもう酷い有り様で、映画の撮影場所に選ばれても納得出来る状態だった。そこを、携帯の明かりだけを頼りに歩く。私も死ぬ気だったのでスタスタ来たが、普通の人ならばまず引き返す怖さだろう。何ならここに辿り着くまでも結構すごい。山道を車でそれなりに走り、途中からは歩くしか方法が無くなる。私は見つかるのを少し遅らせたかったので、何なら見つからなければいいなぁとも思ったので、こんな山奥を選んだわけだが、木々の隙間に蔓延る闇も、時折聞こえる獣の声も、度々襲い来るシミュラクラ現象もかなりのものだった。


 何だかもう良いや、という気分になっていた私ですらそう感じたのだから、こんなに感情ハツラツとしたこの男が、良くぞその恐怖に呑み込まれなかったものだと思ったのだ。

 男は、厳しかった道のりを思い出し、噛み締めるように、うんうんと頷いた。


「いやあ、扉を開けて入って来たけれども、怖すぎたよ」


「扉?キッチリしてるのね。残ってたとしても、相当建て付け悪かったんじゃないの?良く開いたものだわ。私は割れた窓から乗り込んだ」


「わお、ワイルド」


 男は身をしならせながら、驚きと熱っぽい視線を私に向ける。

 ボディランゲージの激しい人だな。

 今はそんな風にキャッキャする状況じゃないでしょうが。


「まあ、そんなこんなでね、もし幽霊って存在があるとして、この世から離れる為に死んだのに、この世から離れられない存在にでもなってしまったら悲惨だなと思うわけだよ」


 男が笑うその言葉に、私は反論をする事に決めた。

 冗談じゃない。

 生きるのがつらいから、死ぬ事に決めたというのに、死んだ後の方がつらいかもしれないなんてのは望んでいない。

 考えもしていなかった事ではあるが、地獄といっても、私は地獄に落ちたとして罪が無いからそうそう激しい責苦を負わされることは無いはずだ、と考えていたのだ。であれば、地獄の様相も少しばかりは想像がつく。だというのに、そんなものとは全く関係の無い、別ベクトルの想像のつかない可能性の話なんて御免だ。

 これから死ぬって時に何だか話が始まって、何だか暗い話のまま進む。それはちょっと腹立ってきた。なので、ほんの少しの抵抗をさせてもらうことにしよう。


「別に、幽霊になったなら、誰からも干渉されなくなるはずでしょ。それに、幽霊ならもう生命活動に必要な機関も無くなってるじゃない。わざわざ食べたり寝たり時間を使う事も無いのよ。便利な身体じゃない。そうなってくると、この現実よりマシだって思えてくるわ」


 私が乗っかってきたとでも思ったのか、男はクツクツと笑いながら片側の口角を吊り上げた。そして、今度は考える素振りも無く、男は直様しゃべり始める。


「そう?欲望が強まった結果、現実の隔たりに耐えられず死を選ぶ可能性もあるけれど……何をやっても欲が満たされずに、楽しさが見出せなくて死を選ぶ事だってある。とはいえ、何かをやらなければ、何も生まれる事が無い。意思があるのに何も出来なくなるっていうのは、良い事と決めていいかどうか、難しいところだね」


 ……それもそうなのかな。

 悔しいが、なかなかその場で反論意見が浮かばない。一時的に苦しみが無くなるとしても、意思がある状態で、終わりも見えず、何もかもを世界に永遠縛られるというのは確かに酷か。

 しかし、この男、随分陽気な口調で話をする割に、それなりには考えているんですよというような内容を語るじゃないか。あれかな。おバカキャラ演じているけれど、頭の中では理屈をこねくり回して、勝手に考え詰めるタイプ。

 腹が立つなぁとは思っていたけれど、これはこれで何かの考えあってのことか、何なのか。まぁ、私に対しても色々と考えていることは確かだろう。


 何故頭の良い人が自殺なんて選ぶのだろうかと不思議に思っていた事があった。だが、こういう風に色々考えられるからこそ、見えてくるモノも違ってくるという事なのだろうか。頭の中で膨らみすぎた思考が、重荷となってのし掛かるのだろうか。


 もう少しだけ、私は話に付き合う。


「でも、幽霊になるとは思えないわ。そりゃ、世の中にはこの人に覚えていて欲しい、とか。この人やこの世界が許せないと思いながら死ぬ人はいると思う。だから未練で幽霊になるんでしょ。私は違う。ただこの世から離れたいから死ぬのよ。未練なんて無いわ」


「どうかな。未練があるから幽霊になる。この世にしがみつく想いがあるから魂だけでも存在する。あり得るけれども、君のように『この世から離れたい』っていう、強い想いのせいだけで、この世に縛られる可能性だって否定はしきれないよ」


「あんた、性格悪いわ……。幽霊になるつもりは無いからわざわざ言い返したのに……。屁理屈こねすぎ。これから死ぬってのに、何なのよ」


 前言撤回。

 やっぱり付き合ってられないかも。

 私は面倒くさくなってきたし、男から視線を外す。

 死のうと思ってフェンスを越えて、かなり経つ。

 明るくなって陽に照らされながら死ぬよりも、暗い暗い闇の底でひっそりと死にたい。そうしてこの世を離れたかったが、幽霊の可能性を聞いて、私も考え始めた。

 こういう風に話をされると、多少なれど考えはしてしまう。

 ひっそりと死んだ後、ひっそりとこの世に縛られる可能性。


 ……本気で性格悪いわ。私は少しだけ座り直した。


「私達、これから死ぬんだからさ、メリットについて話してくれない?」


「ははは。これからの事に希望を見出せるよう考えられるなら、そもそも死ぬんじゃなくて、これからも生きていく上でこんな希望があるんじゃないかって考えられるはずでしょ」


「そういうのいいから。私は死ぬ、その決意でここに来てるの。今回限り、決めた道で希望を抱くのよ」


「うーん…とはいっても、やっぱり天国があって、死んだら今よりはマシなんだろうってくらいじゃない?」


「メリットの話になった途端、雑ね」


「デメリットや無意味の方が考え付くからこそ、僕達はここにいるからね。そりゃ満天の星が輝いてるし、ロマンチックな話でもして最期は明るい気持ちのまま死ねれば万々歳だけど、それは無茶だよ。どう?今、この星空を見て。まあ、末期だからこそ美しく映るということもあるらしいけれども、僕の場合は違ったかな」


「…まぁ、感動する気持ちが残っていれば、他の景色も見てみたいとか、生きる活力が湧くかもしれないわね。そういうエピソードもあるわけだし。とりあえず、私も今はそんな風には感じない」


 そうかあ、なんて言いながら男は笑う。

 笑いながら、星空を見上げている。

 その目には、私と同じように感動なんて映っていなかった。

 むしろ、私よりもっと深い闇。変わらぬ世界に、飽きてしまったと言うように。

 二人とも、少しの間黙っていた。私の、ふぅ、という息がやけに大きく響いた気がした。それから男は、また話を始める。


「うん、まあ、たしかに。暗すぎてつまらないのは最もだ。僕から話そうって言ったのにこれはいけないね。じゃあちょっと頑張るよ、君のため」


「…ありがとう?」


 一応お礼は言ったけど、疑問符がついてしまった。

 そりゃまあ、お願いしたわけでもないし。でも頑張ると言ってくれた手前返さないと変だし、みたいな。

 陽気な声音も相まって、軽薄にナンパされてる感じ。でも、内容と彼自身から滲み出る雰囲気に差異があって、不思議にも感じ始めた。


「生きる為に必要だったことってさ、何だったと思う?」


「絶対楽しくならない」


「た、楽しまないことが必要だった……?希望を抱けば絶望も必ず知る事になるから的なこと?えらいこと言うね君……。哲学好きなの?」


「違うわよ。あんたが頑張って馬鹿な話でも始めるのかと思ったら、そうは思えない話題が出て来たから言ってるの。今さら人生振り返って楽しくなれるわけ無いわ」


「ふっふ……お任せあれ、お嬢さん。僕の話術は相当だよ。話術に加えてサプライズもすごいからね。リピーターになること間違いなしさ」


 その自信とキャラなら自殺に至らないでしょ、という言葉が喉まで出て、口を通る前に呑み込む。

 先程も思ったが、敢えて言わなかった事だ。

 それにこれから死ぬヤツを非難するのは気が引ける。我慢だ私。


 ……ん?


「でまあ、ちょいとお話を戻して……生きる為に必要だったことってさ、お金?夢?伴侶?どうなんだろう」


「あんたからは言わないのね。まぁでも、そこらへんなんじゃないの?お金があれば何でも出来るし、夢があれば突き進めるでしょ。彼氏や夫は別に……いないけど、いたら楽しいのかもね。多分問題も増えると思うけどね、私は」


「君には無かった?」


「豪遊出来る程のお金は無かったわ。夢だって特に無かった。今の会社は、名前があるから、世間の目があるから入っただけ。彼氏を作らなかったのは……そうね、一番の理由は、時間が無かったからよ」


「……ちょっと当て推量。お金は特に困って無い。夢は無かった。破れたわけじゃなく、そもそも熱中するものが無かった。仕事に追われ、時間は無くなり、その中で自分なりには必死にいても周りからは好き放題言われ、上司や何だと怒鳴られたり手前勝手に言われたり、他にも色々なハラスメント……生きる理由は見つからないのに、死にたい理由は積まれていく。言い方は悪いけれども、何処かぼんやりとしたものがあって、それのせい、という感じ?」


「うーん……まぁ、合ってると言えば合ってるけど、合ってても合ってなくても嫌われるからやめた方がいいわよ。そういう当てずっぽう」


 彼は、少し笑っていたが、頬を人差し指で掻いたり口角が引き攣っていた。

 申し訳ないと思ったのか、それとも相変わらず私がズカズカと言ってくるので引いてしまったのか。

 結構、繊細なところがあるのかもしれない。


「うーむ、申し訳ない。誰かと話すの、慣れてないんだ。随分と久しぶりでね」


「……あんたはあんたで、大変なのね。別に良いのよ。責めてるわけじゃないし。ほら、さっきのなんか、これから死ぬってのに誰に嫌われるって言うんだーみたいなツッコミ待ちよ。私は私で楽しんでるんだから、気にしすぎないで」


「……君、優しいねえ。それに……いや、何でも無い。お金をいっぱい持っていなくても、夢が無くても、生涯誓い合った相手がいなくても、それでも生きている人はいるでしょ?生きる上で重要な事って、たしかにあるだろうけれども、重要ではあるが、必須では無い。これって結構大事だと思うんだよね。むしろ、あったらまあ良い、くらいのものと考えて十分なのだろう。生きる為には、もっと小さな何かだけでも良かったのかもしれない」


「……私には、それすら無かったわ」


「かもね。君の人生を見たわけでも無いし、今詳しく聞けたなんてこともないから、そこは何とも言えないや」


 ちょっと意外だった。

 普通なら、そんな事は無いんだよなんて言うものだろうけれど、彼は否定せずに、その可能性もあるだろうと考慮した。

 そういえば、先程も別に否定をしたわけではなくて、こういう可能性もあるよねと提示をしてきただけだ。面倒くさいと思っていたけれど、意外と話しやすくもある、のかもしれない。


「君もさっき似たような事を言っていたけれど、ちょっとだけ、綺麗な景色を見てみたいかも、とか、その程度の事だけで良かったのかもしれない。後、ほんのちょっとだけ生きる理由なんてさ。別に、何年先も見据えて生きる理由が必要だったわけじゃなくて、明日を迎える為に、今日だけを、ほんの少しを生きる理由だけで良かったのかもね。その一日を積み重ねていくだけで。美味しい物を食べてみようかとか、その日に発売される本を読むためとか、ちょっとした愚痴を知り合いに聞かせてやろうとか、そんなほんの少しで、良かったのかもしれないね」


「……そのほんの少しの為に、叫びたくもなるようなつらい現実を生きないといけないわけ?」


「それもそうか!つらいねそれは!」


 思わず、はぁ!?と言ってしまった。

 何だかしんみりした空気でやたらと語り出したかと思えば、いきなり一蹴してしまった。

 何だったんださっきまでの雰囲気は。

 というか、頑張ってする楽しい話はどこいったんだ。

 いや、これはあれかな?

 生きることの大切さを実感するように誘導し、それによって楽しかったことを思い出させる作戦だったとか?

 全然、私が釣り針にかからないから諦めて一気に梯子を外したとか?


 わ、わからない……!


「さて、話は戻るけどね。死んだら楽になれるって考えるのは、ちょっと難しいと思うんだ。そりゃあ天国に行く人も極楽浄土に行く人もいるかもね。だけど、それはこの世界に生まれる事ときっと何も違わない。良いかい、天国に行く人もいれば、地獄に行く人もいる。それは点数制なのかどうかわからない。無になって消えてしまう人もいれば、幽霊となってこの世に縛られる存在もいる。それは何で決められているのかわからない。わからないんだ、何もね。命を失うなんて、この世で最大限の痛みをこれから与えられる君に、もたらしてくれるモノは何なのか、何もわかっていない。人生を変える大博打の方法が、自殺ってのはちょいと粋がすぎる気もするね。特に、幽霊になんてなったら最悪さ。生きている者ですら、見える人は少ない。そうなるとね、幽霊同士だとお互いを認識出来るなんてのは考えが甘かった。幽霊は、本来見えないモノなんだ。だから、幽霊だって幽霊を認識する事は出来ない。そして、この世に残る想いとは、非常に面倒なものだった。『この世から離れる為に死にたい』という願望が、捉えて離さない。その地に縛り付けられ、願望を叶える為に幾度と繰り返されることになる。別にふわふわ飛べるわけじゃない。どこか好きな場所に好き勝手行けるわけじゃない。幽霊になったから特別な力を得るなんて事は無いんだ。『この世から離れる為に死にたい』『その為にした、ここで飛び降りるという行為を成功させなければならない』いつも同じ時間に発生し、いつもと同じ行動をして、最後は飛び降りる。目が覚めれば、また同じ。まるで機械のように……っと、随分熱くなってしまった」


 彼は、はははと笑いながら、話を切り上げた。それ以上、語らなかった。


 ……流石に、私も気付いた。


 風が吹く。


 今度は気のせいなんかじゃない。風は吹いた。

 私の唇に、私の髪の毛が触れる。片目を覆う。

 彼の髪は、一切揺らがなかった。


「……そう。あんた、せっかく出会えた運命の女性と、伴侶になりたくなかったの?」


 今思えば、不思議な点は他にもあった。

 月明かりが照らしてくれていたが、それでも暗い。

 だって、人工の光が無いから、ここまで星が輝いていたのだ。

 普通は見えないところまで、私には見えていた。


「……人はね、何度も眠りにつけば、嫌な思いも薄れさせてくれる便利な機能があるんだって。僕は、深い眠りにつきすぎた」


 さっきまでのように、快活には笑わず、彼は哀しげに微笑んだ。


 始めて、彼の本当の顔が見えた気がした。


「本当の孤独は嫌なものだったけれどね。あるかわからない幸せを求めて、呪いのような行いをすることはもう懲りたよ」


 彼はそう言うと、立ち上がって伸びをした。

 そして、山奥のその先が、少しずつ黒から青に変わり始める様を見据える。


「飛ばないのは、初めてだ」


 次期に空は赤くなって、また青へと戻る。

 鳥の声が聞こえ始める。

 お別れの時間という事だろう。


 気付いてしまうと、彼に聞いてみたいことがこちらからいくつも出てくる。

 失うとわかると、何だか名残惜しくなってくる。

 彼との会話を思い返してみると、なるほど、大した話術で、あっと言わせるサプライズじゃないか。

 私がここに来るまでは、満天の星空を見ても何も思わなかったものだが、彼と話始めてはどうだろうか。

 最初は何だか面倒くさくて、だけど不思議な雰囲気に引き込まれ、そして私の感情は発露し始めた。

 途中からは、私も長々話すようになり、彼に対する距離感も変わった。


 ほんの少しの、意識が変わる。


 もう時間は無くなった。私は、最後に一つだけ彼にこう聞いた。


「……なんで、私に話がしたかったの?」


 彼はその言葉に、優しくこう返した。


「生きる為の、ほんの少しさ」


 日が出始めて、私はそちらに目を向ける。眩しくて一瞬目を閉じる。


 もう一度彼に目を戻した時、そこには誰もいなかった。


 私は少しの間呆けて、その後鼻で笑って、立ち上がって、彼がやったように伸びをし、目を細めながら山のその先を見た。


「……まぁ、多少は綺麗な気もするわ」


 それは、生きる為の、ほんの少しの時間だったのか、ほんの少しの意識の為のものか、それとも私に対してでは無く、彼の為のものだったのか、実際のところの真意はわからない。


 さて、とりあえずの、今日だけ。


 私はフェンスに足を掛け、向こう側へ戻る事にした。

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