第18話 謎の女性
「本当に助かりました。近道をしようとしたら逆に道に迷ってしまいまして、どうしようかと思っていたのです」
「ラヴェンナ様、このおばちゃん、よくしゃべるね」
「そ、そんな事言っちゃいけません!」
「そうですよ! 私はおばちゃんじゃなくてお姉さんです」
女性はすごく気さくな人で、気づけば輪の中に完全に溶け込んでいた。女の子も、あっという間に彼女に懐いたようだ。
一緒に下山しながら、この女性は何者なのかを考える。
身長は小柄で、年齢は私より少し上、恐らく20歳くらいだろう。
身につけている服は、平民がよく着そうな身軽な軽装。
しかし、時折見せる言葉遣いや動作からは強い気品が感じられる。
恐らくこの女性は、お忍びの貴族、それもかなり高位の方だ。
箱入りの世間知らずさ故に、訳が分からぬうちにこの危険な山の中に入ってしまったのだろう。
従者や護衛がいない事が気になったが、山に間違って入ってしまう過程で、どこかではぐれてしまったのかもしれない。
聞いて確かめようとかとも思ったが、お忍びで来られているのであれば問いただしては失礼だ。だが、もし興味本位で従者や護衛から離れて迷われてしまったのであれば、なにか事件に巻き込まれてしまうかも知れないので、早めに問い詰めた方がいい。
ここにいる事情を聞くべきか、聞かぬべきか、どうするべきか……。
そんな私の杞憂をよそに、女性は自ら自分の事を話し始めた。
「実は
赤らめた頬を両手で抑えながら、女性はとても楽しそうに話し続けた。
そうか。この方はアレッサンダル様の婚約者だ。
それならば彼女の言動にも納得がいく。王族であるアレッサンダル様の婚約者なのだから、高位の貴族であるのは当然だ。
突然訪問してビックリさせようと、お忍びで気付かれぬようにアレッサンダル様のもとへ向かっている途中なのだろう。
改めて、女性を観察する。
平民の様な出で立ちをしながら、隠しきれない気品を醸しだしている。それでいて偉ぶっておらず、とても愛嬌があり親しみを感じる。
顔立ちはとても整っており、バストのサイズもとても大きい。
ハッキリ言って元は小国の田舎貴族の娘で、今は奴隷である私とは、比べ物にならないほど、魅力的な人だ。
強い劣等感と敗北感を感じた。
……劣等感と敗北感? 何故私はそんなものを感じているのだろうか? 奴隷と主人、アレッサンダル様と私の関係はそれ以上でも以下でもない。アレッサンダル様に恋愛感情を持つことなどあってはならない。……主人の将来の妃になるであろう、この方を私は敬わなければならない。そう自分に強く言い聞かせた。
「その
顔全体を赤らめながら大きな声でまくし立てる様に、女性は話し続けている。私は複雑な気持ちになりながら話を聞き続けた。
「ああ♡ あの方に久しぶりに会えるかと思うと――」
話に夢中になりすぎた女性が、足元を踏み外して崖から転落した。
幸せそうに顔を赤らめたまま、斜面を転がり落ちている。私は女の子と一緒に、慌てて後を追った。
◇
「すいません、うっかり足を滑らせてしまいました」
崖の下にやっと追いついた私たちに、全身血だらけになった女性は、あっけらかんとした顔で舌を出しながら笑いかけてきた。
「大変です! 急いで手当をいたしましょう!」
「え? 大丈夫ですよ。
「何を言っているのです! 全身血だらけではないですか!」
「あー。これは
女性が指差した方向を見ると、巨大なアウルベアの亡骸が横たわっていた。
「転がり落ちてぶつかったら、そのまま動かなくなっちゃいました」
崖から落ちた女性がぶつかった程度で、強靭なアウルベアがこんなになってしまう事は考えられないのだが……。
「でも、怪我はしてないですけど、血で全身ベトベトだし、生臭いし、困りました。うう……どうすればいいのでしょうか?」
「おばちゃん、この近くに池があるから、そこで洗い流そうよ」
女の子の提案に従って、私たちは池を目指した。
◇
「ふー。やっと落ち着きました」
キレイな池で血を落とした女性は、満足そうに笑みを浮かべながら、焚火に向かっていた。
「火打石をお持ちでしたか」
「これは狼煙を上げる為に持ってきたんです。それも兼ねて火を起こしました」
「なるほど、賢明ですね」
不敵な笑みを浮かべた後、自分の身体の匂いを嗅ぎ始めた。
「うー。ついた血は洗い流せましたけど、血生臭い臭いはとれてないです」
確かにかなり臭って来る。臭いを消すものを作れないかと思い、周りを見回した。
今あるのは、モンスターの鼻を誤魔化す為に持ってきたラベンダーと、先日の村で少しだけ分けてもらったミント。近くにはローズマリーが自生している。
さらに岩場の陰には、ミストローズがある。
これらのフレーバーを適度にブレンドして、香水を作ってみる事にした。
ラベンダーを主軸において、そこにミストローズを加え、ミントとローズマリーを少しだけ抽出してブレンドする。
「えーーー! そんな事ができるんですかああ!?」
女性は、とても驚いた様子で目を見開いていた。どうやらこの魔法は、私の想像以上に珍しいもののようだ。
今、作ったのは精油だ。このままだと使い勝手が悪い。ちゃんと香水として使えるように、簡単な水魔法を使って希釈する。最後に混ぜ合わせて、完成だ。
「どうぞ使ってみてください!」
女性は不可思議そうな顔をして、私の手の平にある香水の匂いを嗅ぐ。そして恐る恐る、それを指先で触り、首筋に塗った。
「すごい! すごすぎます! 魔法もそうですが、この香水も絶妙なバランスで香りが調和しています! ラベンダーの落ち着いた香りに、ミストローズの甘く芳醇な香り、そしてミントとローズマリーが爽やかなアクセントを加えていて、まるで森林を歩いているかのような清々しさがあります。こんな繊細で洗練された香水は初めて見ました!」
とてつもなく感動しているようだ。嬉しくはあるが反応が大げさすぎて、恥ずかしい。
「あの、もしよろしければ、こちら全部つけて頂いて――」
「いえ、その様な勿体ない事出来ないです! こちらに入れてください!」
「は、はあ」
そう言って女性は、懐から小瓶を取り出した。
私は驚きながらも、小瓶に作った香水を丁寧に移し替えた。
「こんなに気に入って頂いて何よりです」
移し替え終わり小瓶を渡そうとすると、女性は手を振って断った。
「これはアナタが持っていてください!」
「え!?」
意味が分からず目を白黒させる私に、女性は言葉を続けた。
「今回のご恩返しをさせて頂きたいと考えております。差し支えなければ、お名前と、お住まいをお伺いしてよろしいでしょうか?」
「お礼をしてもらうほどの事はしていませんが、私はラヴェンナと申します。住まいは――」
「おーい! ラヴェンナー! 返事をしてくれええ!」
住まいを伝えようとしたその時、私を呼ぶアレッサンダル様の声が耳に入ってきた。
狼煙を見て、私を探しに来てくれたのだろう。
領主自らが奴隷である私の為にモンスターが沢山いる山の中に……。恥ずかしさと申し訳なさで胸がいっぱいになった。
「ここです! アレッサンダル様!」
私の声を聞いたであろう、アレッサンダル様が、凄い勢いでこちらに駆け寄ってきた。
「どうして僕の到着を待たなかった! こんな危険な山に1人で入って! なにかあったらどうするんだ!」
「お言葉ですが、私はただの奴隷です。私の命など、こちらの女性と女の子の命に比べれば安いものです。だから心配なさらないでください。ですがアレッサンダル様は領主です! にも関わらずこの様なモンスターが徘徊する山に1人で入って、なにかあったらどうするのですか!」
「心配しないなんて、無理だ!。君が独りでこんな危険な場所に来ていると聞いて、いてもたってもいられなかった。君が無事で、本当に良かった。でも、今後はこんな無茶をしないでほしい。君に何かあったら……」
アレッサンダル様の声が、途中で震え、言葉を失った。その表情には、怒りよりも深い心配と、何かを言いたげながらも言えない複雑な感情が浮かんでいた。私は、その優しさに胸が熱くなり、言葉を返すことができなかった。
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