第5話 ご主人様との出会い
「領主さま、もうこの辺で手を止めてくだせえ」
「そうですね、もうだいぶやってますかね。分かりました」
荒廃した畑を耕す事をやめて、アレッサンダル・ヴィヒレアは農民達の元に向かった。
「これ食べてくだせえ」
「よして下さい。食料が不足してるせいでお腹が減ってるのは皆さんも同じじゃないですか」
「でも……」
「僕は大丈夫です。皆さんで食べてください」
農民たちは互いに顔を見合わせて申し訳なさそうな顔を浮かべながら、サンドイッチを食べ始めた。
それを軽く目で伺った後、アレッサンダルは辺り一帯を眺めながらため息を吐いた。
(どうしようもならないな……)
不毛の地獄、バルダハール領。かつてこの地は世界一の農業大国、ヴィヒレア連合王国の中でも、有数の肥沃な大地を誇っていた。
だが20年ほど前に起きた魔族との戦争で、この地に赴任した魔族軍の指揮官は自身の命と引き換えに土壌が劣化する呪いをかけた。
これによりバルダハールは、農業には非常に困難な土地になった。
そして農業以外に目ぼしい産業がなかった同領は、瞬く間に衰退。
多くの領民が別の土地に移り、残った僅かな領民は、なんとか作物を少しだけ作ることができる、ごく限られた耕作地で非常に限定的な経済活動を営んでいた。
「あの、領主さま……」
先ほどまで一緒に作業をしていた農民の1人が、話しかけてきた。
「なんです?」
「領主さまって女王様の甥っ子なんですよね?」
「え、ええ。一応は」
「じゃあ早く移封を申し出てくだせえ。ここは糞みてえな場所だ!」
「自分たちが生まれ育った場所のことをそんな風に言うのは……」
「俺らは生まれ育った場所で、こんなになっても愛着あるから仕方なくここにいるんです! でも領主さまは違う。俺らに無理して付き合うことなんてねえ!」
「だ、だからこそ、この土地を少しでも昔の様に豊かにする為に僕は領主として……」
「そう言って今まで沢山の領主が赴任してきたけど、どうなった!? そんな夢物語言ってんじゃねえ!」
「……」
「……すんません。でも俺らと一緒に農作業してくれるような領主さまなんて、今までいなかったから……もっと良い場所で頑張って欲しいんです」
戦後何人もの領主が、バルダハールに赴任した。皆、当初は意気込んだものの、術者が死んでしまったため解除できない呪いの力は強力で立て直すことができず、最後は疲弊して職を辞していった。
アレッサンダルも叔母からバルダハール赴任の勅命を受けた時は、初めて領主の職務につくのに、こんな所を押し付けるのかと反発した。
だが、こうして領民と一緒に土を耕し彼らの苦労を共有していくうちに、この領地に対する思いも変わった。
「僕がここを去ったら、次に来る領主はまた新たに苦労する。それに、それは皆さんを見捨てることになる。だからできません」
強い決意をもって農民達に自分の意志を伝える。だが土壌が改善する気配はいっこうになく、その為の妙案もなにもない。
しかし暖かい領民たちを見捨てる事もできない。
焦りと絶望感にかられながら彼は、重い責任を背負った日々を過ごしていた。
「そんな……自分の事を一番に考えてくだせえ! 一刻も早く女王様に移封を願い出て……」
「いざとなったらそうします。でもまだまだ大丈夫です」
農民に微笑みかけ、アレッサンダルは再び鍬を動かした。
◇
「どうすればいいんだ?」
農作業を終えて屋敷に帰ったアレッサンダルは、吐き捨てるようにつぶやいた。
赴任してから具体的な改善策を講じる為に、調査をして色々な施策を講じてきた。
だが、バルダハール領の状況は一向に改善できず、結局一緒に汗を流す事しかできる事がなくなってしまっている。
自分の本当の役割は領地を豊かにすること。農民と一緒に汗を流し、畑を耕すことではない。
だが、改善策が見当たらず、慈悲深い領主として共に汗を流し、領民たちの同情を得る事しかできない状況に追い込まれている。確かに同情を得る事はできた。
しかし、領民たちの生活環境は相変わらず過酷なままである。
自分は問題の根本的な解決から目を背け、人気を得る為だけに偽善的な行動だけをしているのではないか。
屋敷に帰ってくると、いつもそう自問自答し心をすり減らしていた。
「これはこれは坊ちゃま。お帰りなさいませ」
「!?」
見ず知らずの男が揉み手をしながらすり寄ってきたことに、アレッサンダルは激しく動揺する。
「どうやってここに入った!?」
「どうやってと申されましても普通に玄関からでございます。しかし、王族ともあろう方が屋敷に使用人1人いらっしゃらないなど、なにかあられたのですか?」
「貴様は誰だ?」
ひっ迫している領の状況を鑑みて、屋敷に使用人や警備は置いていない。だが、外出する時はいつも施錠し、頑丈な魔法の結界をはっている。それを突破してくるなど、この男はただ者ではない。狙いは金品か命だろう。だが、領の状況を見れば金品など屋敷にない事は想像できるはずだ。
ならば目的は、王族である自分の命。
男に鋭い眼光を向けながら、アレッサンダルは腰元の剣を握る。
「はい。私はヒセキ・コウスケと申します。昔、坊ちゃまにはお会いした事があるのですが、小さかったので覚えていらっしゃらないのは無理がございません」
「ゲス勇者か。あちらこちらで下らぬことをしている様だな。目的は私の命か?」
「滅相もございません。本日はお買い上げ頂きたいものがあり、お伺いしたのです」
「お買い上げ?」
「はい、こちらでございます。この女を奴隷としてお買い上げ頂けないでしょうか?」
ゲス勇者の後ろには、女性が1人で立っていた。
立ち居振る舞いや身なりを見るに、貴族だろう。
しかし、身につけてる衣服はボロボロで髪が乱れ、表情は怯えている。どこかから連れ去ってきた事は明白だった。
怒りに震えたアレッサンダルは、剣を抜きゲス勇者に斬りかかった。
「ひいいい。坊ちゃまどうしたのです!」
「我が身に聞いてみろ!」
「我が国で人身売買が禁止されている事は貴様も知っているだろう!」
「ですが、影で買っている貴族や大商人は沢山……」
「私は王族だ! 見過ごせるか!」
「ま、待ってください。坊ちゃま、この女、ラヴェンナというのですが、領の再興にも役立つ大変役立つ珍しい魔法が使えるのです」
自分が奴隷を買う事などあり得ない。また、王族として人身売買をしている者を見過ごすことなどできない。しかし、行き詰った領の再興に今は藁にもすがりたい状況だ。アレッサンダルは手を止める。
「……」
「お? 興味がございますか? ご覧に入れますので少々お待ちください」
悪魔の囁きに良心を痛めながらアレッサンダルは後ろの女性に目をやった。
◇
私は彼が事前に用意したラベンダーとじゃがいもを手に取った。
この方はこの地を治める領主さまで、しかもヴィヒレアの王族だという。本来私の様な田舎の国の貴族の小娘が謁見できるような方ではない。緊張でふるえながら右手でラベンダーのエッセンスを抽出する。
「な!?」
領主さまは驚いている。役に立たない魔法だと妹にバカにされ続けた私にしかできないこの魔法は、彼の言った通りヴィヒレアの王族ですら驚いてしまうほどの大変珍しい芸だったようだ。
その事に嬉しさを感じながら、左手でじゃがいもからエタノールを抽出する。
抽出されたエッセンスは、それぞれ私の前で光り輝き浮いている。
後は簡単な水魔法を使いながらこの2つを手の平でギュッと握り、しばらくすると、ラベンダーの香水ができた。
手の平に出来上がったラベンダーの香水を私は恐る恐る領主さまに見せた。
本当ならば小さな瓶に詰めたものを見せるべきなのだろうが、そんなものは無いのでこうするしかない。
「君は、いったい何者なんだ?」
「グリマルディ王国から来ましたラヴェンナと申します」
出来上がった香水を見て震えている領主さまに、私も振えながら返事をした。
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