大人の言うことはよく聞くべきでした

 ギルベルト殿下は火の日の朝からは普通に過ごしていた。

 ただ、マーガレットとは一時的に距離を置いているようだ。とはいえスカーレット様と朝食を摂るのはさすがに後ろめたかったのか、朝の短い時間の中で上手くずらしてさっさと食べていたようだ。

 ジュマーナはそんな二人とはすぐ距離をとるかと思ったが、相変わらず仲良くやっているようだ。自分には関係ないということか。

 ちなみにジュマーナは基本的に必須科目しか取っていない。あとは魔術実技だが、風持ちらしくそこはフィニアスと一緒に参加するためにうろうろしているという。

 しかし、ギルベルト殿下の醜聞以来、さらに徹底してフィニアスはジュマーナを避けている。

 イライジャもそれに加担するので、ジュマーナの怒りはイライジャへ向かう。

「大変ですね」

「ま~、これが俺の仕事だからねー」

 魔術の授業でイライジャの愚痴を聞く毎日だ。

 先日の火纏がとても気に入ったらしいが、五重式はさすがに発動が難しいらしく今日も途中で消え失せていた。

「大人しく他のを覚えた方がいいですよ。火柱はもうできましたか?」

「まだ……」

 ならばそちらからだ。

「そういえば、この間フィニアスさんが法律の本を読んでらっしゃいました。かなり専門的なものですよね。授業では扱わないレベルの」

「あいつも頑張ってるんだよ。認めてあげて」

「どういった方向かわからないのでなんとも」

「つれないなぁ」

 そう言いながらもイライジャはどこか楽しそうだ。

「早くそちらのことが片付くと良いですね」

「おお! 早く片付いて欲しいの? フィニアスに伝えておくね」

「そういったわけじゃないです! フィニアスさんほとんど寮から出られなくなっているじゃありませんか」

 元々図書館に通ってよく本を読んでいた。自国のゴタゴタに巻き込まれたくないというのは本当だろうが、学びたいというのも本当なのだろう。

 ジュマーナのせいで行動が制限されているのは可哀想だなと思う。

「まあでも、国はそれぞれの意思を尊重するということだし、そのためにさらにもう一手打とうとしているから、あと半月くらいで結果が出ると思うよ」

 騒がしいのが一つ減るのは良いことだ。

「だから、待ってあげてね」



 女子生徒に呼び止められたのは、スカーレット様を研究棟に送った帰りだ。Fクラスの生徒だったと思う。

「リリアンヌさん、第五調合室に来て欲しいと先生がおっしゃってましたよ」

「先生……ワイヤードせんせいですか?」

「ごめんなさい、わたくし調合の授業はとっていなくて……」

「わかりました。ありがとうございます」

 ワイヤード先生が……ないなぁ。

 確かに薬草学の実技では先生に認められたが、だからといって何か手伝うとかはないだろう。胸ポケットに入れておいたブローチをとりだし、つける。

 さあ、働いてもらおう。

 調合室は第一から第六まであって、第一が一番大きく、授業が行われる部屋だ。続いて第二、第三と何人も同時に使えるよう調合台がいくつもある。そして第五、第六は一つしかないとても狭い部屋だ。

 私はノックして中に入ると、男子学生が一人いた。

「あら、ワイヤード先生はいらっしゃらないのかしら?」

 この狭い部屋に隠れているわけもない。

「それともこれからいらっしゃるのでしょうか?」

「いや、その僕がリリアンヌさんとお話がしたくて協力をしてもらったんです」

 という名の罠か。面倒だなぁ。

「こういったやり方は迷惑です。失礼いたしますね」

 が、まあ当然扉は開かない。

 いらっとしてノブを何度も押すが軽く扉が揺れる程度で動かない。たぶん、向こう側からドアの取っ手に何かしているのだろう。人の気配はしなかった。

「あの、リリアンヌさん、話を聞いてください」

 言葉は丁寧だし頼りなさそうな顔をしているが、身体はリリアンヌよりずっと大きいし体格もいい。たぶん同じ一年ではない。顔に見覚えがなかった。

 距離はとるべきだ。

「ではそこで。動かずにお話だけしてくださる?」

 調合台を挟んでこちらとあちらこの位置でお願いします。

「そんなつれない態度はないでしょう」

「どこにつれる要素があるのか理解しかねますが、とにかくわたくし忙しい身なのでお話はお早めに」

「家を通して婚約のお願いもしたのに」

「ああ、数多の婚約者になりたい方のお一人ですか。申し訳ございませんが、すでに皆に触れ回っている通り二年の星降る宴以降でお願いします。それまでにご自身の有益さをご披露ください」

 じりじりと調合台を回ってこちらへ来ようとするので、私も同じようにぐるりと回る。間が狭まることはない。

「この僕の想いをあと一年以上押さえろと?」

「順番が違うと申し上げております。わたくしはスカーレット様のためになる殿方を伴侶にと思っておりますのよ? わたくしの望みは聞きもせず、そのような態度ではお断りするしかございませんね」

 あと、顔がちょっと好みじゃない。顎が割れてるごついタイプ好きじゃないのよねー、実は。

「なんでそんなことを言うんですか! 僕とリリアンヌはお似合いですよ。周りからも祝福されます。絶対に」

 いやいやいやいや……え、こわっ。

 ちょっと危機感が生まれた。人の話聞いてる?

「呼び捨てはやめてください。わたくし、貴方のお名前すら知らないのに」

 そう言った瞬間、彼の表情に背筋が凍る。

「は? そんなわけないだろう。僕はこんなにも君を見ているのに」

 こわああああああ!!! すごいな、よくこんな人材見つけてきたな。しかし拙い。今一瞬魔力が体表を覆った。この人も身体強化使える系だ。学年が違うからわからないが、もしかしたら体術の得意な人なのかもしれない。

 一年相手に負ける気はないが、三年だったらやはり習熟度が違う。五分五分か? 魔術を交えるにしても、地は地面がないときつい。火は、ここにある薬品を考えると使いたくない。そういう意味で調合室は私にとって最悪の場所だった。

 闇!! やっぱり闇だよ闇!!

 無い物ねだりをしていても始まらない。どうやってあの重い扉を突破するか。

 いやそれとも、多少の怪我は覚悟して窓をぶち破る方がいいか? だが、ぶち破る動作をして背を向けるのがちょっと怖い。

 その迷いを彼は的確に読み取っていた。目を少し離した隙にまさかの調合台に足をかけて飛び越えてきた。

 敵から目を離した、私の失態だ。

 身を翻して窓へ駆け寄ろうとするが、左腕を掴まれひねり上げられた。が、そのまま私は腕を軸に回転した。

「やめてください。痛いです」

 ひねられ壁にでも押しつけられるのが一番きつい。

「リリアンヌが逃げようとするから」

「対等にお話をする気がないようですからね。それに、こんな風に腕を掴まれて嬉しがる女性はおりません」

「でも、逃げるだろ?」

 話が通じないのきつい!

 腕を掴む力が強まり、さらに引き寄せられた。力比べでは敵わない。

「話を聞いてくれ、リリアンヌ」

「では、どこかに座って話しましょう」

「このままでも僕は構わないよ」

 私が構う!

 薬品がとか言っていないで、仕方ないから窓に向かって火球をぶっ放すことにした。

 が。

 右手のひらに魔力を集めたところで、部屋の扉が音を立てて崩れ落ちた。扉って開け閉めするものだよ? 突如崩壊するものではない。

 あまりのことにびっくりして二人してそちらを見る。

 そこに現れたのは剣を握ったイライジャ。

 その後ろには、空色の瞳の奥に赤い染みを作ったフィニアスがいた。

「その手を離せ」

 あの威圧感だ。

 ジュマーナがこのあいだ発した、普通の人には作り得ない威圧的な気配。

「扉を斬るなんて非常識な!!」

「嫌がる女性の腕を掴んで離さないお前に言う権利はない」

 そう言うと同時に、調合机が二つに割れた。

「何を!?」

「早く離せ。次はお前が二つに裂ける」

「ひっ、頭がオカシイ」

 いや、お前が言うな。

 だが、フィニアスの本気は伝わったのだろう、名も知らぬ男子生徒はぎこちなく腕から手を離し、そのままフィニアスの横を通って去っていった。

「イライジャ、話をつけといてくれ」

「御意」

 こんなときのイライジャは完璧な従者を演じる。そのまま去って行くが、置いていかないでほしい。

 近づいてきたフィニアスの瞳はいつもの青だけだった。

「腕、捲ってもいい?」

 暑くなってきて、今日はジャケットは羽織っていない。ベストと長袖のシャツのみだ。

 言われるがままにされている。

 腕には手の跡がくっきりと残っていた。

「よくわかりましたね、ここが」

「リリアンヌと仲の良い、グランド商会の息子が伝えてきたんだよ。彼の情報網は侮れないね。君が実習棟に向かうのを見かけたが、滅多に向かわない場所だからと、彼に一報が入ってそれをイライジャに伝えてくれた」

「ユージンさんは、その、商売仲間ですよ?」

 きちんと説明しておかないとユージンの身が危ない気がして思わず言うと、フィニアスは頷きながら笑顔になる。

「本人からもそう聞いてる」

 これは詰められた後か?

 私の腕に指を這わせるフィニアスに、ブローチの存在を思い出した。

「ちょっとまって、フィニアスさん」

「待てない」

「ダメです。今映像をとっているので、待って。少し待って」

 フィニアスの手から逃れてブローチを外す。

「映像?」

「先日大講堂で上映したでしょう? 歌劇座の演目を。あれと同じように今までのやりとりを全部撮ってあるんです」

「……それは、こうなることを予想していたってこと?」

 あれー、また瞳の奥に赤い染みが浮き上がりだした。

「フィニアスさん?」

「皆から、身辺には気をつけろと言われているはずだよね?」

「はい。ですからちゃんと証拠を……」

「自分の身を囮にして?」

「えと……」

 怒られてる。ラングウェル公爵が怒ってるときと同じやつだ! ひぃ……。

「リリアンヌは、本当に怖い目に遭わないとわからないタイプなのかな?」

 じりじりと壁際に追い詰められていく。

「そ、そんなタイプではないと思いますが」

 とうとう後ろに下がれなくなった。

 ぐっとフィニアスの顔が近づく。

「さっきの男にこんな風にされても怖くなかった?」

 ふるふると、首を細かく振る。

「ここまで近づいてませんけど、言葉が全然通じなくて怖かったです」

「私にだって怯えてるじゃないか」

 怯える?

「怒られてるだけで怯えてはないです」

 フィニアスに怯える要因はないのだが。

「男にこんな風に詰められたら怖いだろう?」

 ん?

「フィニアスさんを怖がる理由がないです」

 私の答えに、目の奥の赤が消えた。その代わりに、えーお顔が真っ赤ですね。副作用か何かか?

「大丈夫ですか?」

 口元を押さえているその顔に手を伸ばすと、すっと身体を離された。

「フィニアスさん?」

「……大丈夫じゃないかもしれない」

 やはり赤が浮き出ると身体に負担があったりするのだろうか?

 廊下の向こうから人の駆ける音がする。

 私がそちらに目やると、再びフィニアスが近づいてきて、唇に柔らかい感触がした。

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