気づけばちんちくりんですわ
目を開けるといつもの見慣れた天井。
おお、やってしまった。でもさすがに吹っ飛ばすのはあちらもやっちまってる。これで多少の不敬も相殺されるだろう。体を張りすぎた。スカーレット様に怒られそうだがまあ致し方ない。
腹の虫が収まらなかったからね!
さあ、今度は別の腹の虫。お腹が空いた。食べないと頭が回らない。起きて身支度を整えたらスカーレット様と連絡を取らないと。できれば公爵様にもお詫びして、てことはお父様にも一緒に行ってもらわないとか。
うん、怒られる。
家を潰されることはないと思うが、さてどうなるやら。
だいたい、陛下も妃殿下もお気に入りのスカーレット様を、勝手に婚約破棄だぁ! ドヤァ! とかして無傷で済むと思うなよである。
呼び鈴を鳴らすとベッドを飛び降りた。
飛び?
部屋の隅にある鏡を振り返る。
母親譲りのオレンジに近い赤髪。父親そっくりの明るい緑色の瞳。それらは確かに私、リリアンヌのものだ。
が、
「は?」
何このちんちくりんな姿は。
「はぁぁぁぁぁ!?」
「どうされましたお嬢様」
「ニーナ! わたし今何歳?」
「……十二歳になられたところです」
ふぅー、一度落ち着こうか。
無理かな。
朝の支度を整えられている間、朝食を摂っている間、ずっと考え込んでいたけれど、結論はでない。
一番現実的なのが、殴られたショックでこれが夢の中だという現実ではないものだった。
しかしその後も寝ても覚めても夢から醒めない。
「殴られてそのまま寝続けてる、とか?」
五日経ったところで諦めた。
夢で昔に戻っているとしたらしたで、せめて夢の中では同じ轍を踏まないようにしよう!
「わたしは、スカーレット様に幸せになってほしい!」
そうだ、あのクソ殿下と婚約なんてさせなければ……。
「ぁぁぁぁぁぁ!! もうしてる!」
確か十二歳の春生まれの殿下とスカーレット様は、春の寿ぎで婚約を発表したのだ。
「これは、円満婚約解消に持ち込むしかない」
なかなか難しいがやるしかない。一つずつこなしていけば、やれないことなどない。スカーレット様のお言葉だ。
明日はスカーレット様のお屋敷にお呼ばれしている。母親のお茶会だが、子どもたちは子どもたち同士で遊ぶのだ。ほとんどが公爵子爵の娘や息子だが、男爵令嬢もいた。
十二歳、つまり、殴られたあの日から四年も昔。細かい事なんて覚えてない。この頃のスカーレット様の様子もはっきりと覚えていなかった。
王立学園入学は十四になる年の秋。あと二年で対策を練ってから乗り込みたい。
そのために現状の把握と過去の出来事を書き出さねば。
「ニーナ! わたし、秘密日記を書きたいの! お父様に秘密日記をおねだりしたい」
「あらまあ、お嬢様。もうそんなものを欲しがるのですか? おませさんですね」
秘密日記とは、自分だけしか開けない血印魔石を嵌め込んだ日記帳だ。だいたい王立学園へ入学するとき親から子へとプレゼントされるのだ。
その秘密日記には、淑女として表には出せない感情を綴る者が多いという。男性も然り。秘密の交友関係や人物の所見など、そして恋愛について書き記すという。
だいたい色恋沙汰の始まる学園への入学祝いの一つとして贈られることが多い。
だが、私には今それが必要だった。
書き出したものを見られては困るのだ。
「お嬢様のお望みはきちんと旦那様にお伝えしますよ」
「大至急よ! お願いね!」
ニーナはハイハイと繰り返す。
「ハイは一回よ!」
茶色の瞳をキョトンとさせたあと、ニーナは笑顔でハイと言った。
そのセリフは今まで嫌と言うほどニーナから私に向けられたものだからだ。
翌日、母親に連れられ馬車に乗り、久しぶり、もとい、初めてのスカーレット様にご対面だ。これまでは私は領地にいた。子爵である父が代々受け継いでいる、王都から少し離れた土地だ。長男夫婦がようやく領地経営をこなせるようになったところ。私はそろそろ年頃だし、入学前に色々とつなぎを作っておくため、王都のタウンハウスに住むこととなった。つまり、この日が正真正銘のスカーレット様との初対面だった。当時は初めての公爵家へと言うことで緊張していたが、今はまったく違った理由でとても緊張している。
王都のタウンハウスでのお茶会だが、さすが公爵家。庭も広いし手入れも行き届いている。
途中、スカーレット様が幼少期より大切にしていた濃い赤のバラの花壇を見つけた。けれど、未来で見せられたときよりも、まだ小さな区画にしか植えられていない。これから毎年少しずつ区画を広げていくのだ。
「あら、リリアンヌはこのバラが気に入ったの?」
「ええ、お母様。燃えるような赤が情熱的で素敵です」
「ふふ。さすが秘密日記をこの年で要求してきただけあるわね。情熱的ですって? どこでそんな言葉を知ったのかしら。……株分けしていただけないか、あとで公爵夫人に聞いてみましょうか」
「いいえ、お母様。ここで見られたから良いのです」
これはやがてスカーレットローズと呼ばれるようになる。私の屋敷にあっていいような花ではない。あの気高きスカーレット様のためのバラなのだ。
「このバラはここで咲いているべきものなのです」
ああ、スカーレット様。
必ずやこのリリアンヌ•クロフォードが、スカーレット様の輝かしい未来をお守りしてみせます。
ふと、何やら騒がしい、この場に似つかわしくない大きな声が聞こえる。
「あら、何かしら」
母は険のある美人だ。支配されたい属性を多大に持つ甘顔の父が毎日褒めているその鋭い眼差しを、騒ぎの方向へ向けた。
私も気になりそちらへ視線を向ける。
耳に届くはまだ幼さの残る、麗しの美声。
「こら、リリアンヌ」
フラフラと吸い寄せられる私の肩を、母の扇でトンと叩かれる。
案内係が少々お待ちくださいませとそちらへ向かった。
「会場はあちらよ。先に行ってましょう?」
「いえ、お母様。わたくしは確かめねばなりません」
そう、静止を振り切り歩を進める。
やがて現れた風景は、私の記憶を鮮烈に蘇らせた。
そうだ、この頃のスカーレット様は、それはもう、まごうことなき、我が儘公爵令嬢だった。
「わたくしはそれを寄越しなさいと言ったのよ」
地団駄を踏む勢いでまくしたてるスカーレット様。それはそれは可愛らしい、姿形だった。
対して、なにやら後ろ手に隠してイヤイヤと首を振っているのは確か伯爵令嬢だったはず。
親はいないようで、使用人たちがスカーレットの気を収めようとしているが、立場からなのか? 上手くいかないようだ。
余計な手出しをして良いものかと周りを見渡すが、母はこちらを遠巻きに見ているだけだった。だだし、私の動きを見逃す気はないと眼光鋭くこちらを睨んている。
さて、今日の目的はスカーレットと仲良くなり、親世代に取り入ることだった。親世代の信頼は、今後の動きを円滑に行うために必要だ。
どちらが重要かと言えば、間違いなく後者だ。つまり、スカーレット様を一時的に敵に回すこともやむなし!
すすすとスカーレットと涙目の伯爵令嬢――そう、たしかカタリーナ――の間に入り込み、スカーレット様直伝の完璧なカーテシーを作り上げる。この体になってから、何度も練習したものだ。
「なに? あなたは何者?」
目上の者からは声をかけられるまで答えてはいけない。つまり、かけてもらえればこちらのもの!
「お初にお目にかかります、スカーレット様。リリアンヌ•クロフォードと申します。クロフォード子爵の長女でございます」
ハキハキとした受け答えに、今までの勢いが少し削がれる。
「なにやら話し声が聞こえましたがどうなされました? ぜひわたくしにも教えてくださいませ」
我ながら大人のような言い回しに――中身は十五ですからねっ――スカーレット様は少し戸惑いながらも事の次第を語りだす。
「そこの娘に腕にしているリボンを見せてみろと言っただけよ。そうしたら後ろに隠して首を振るの」
「あらあら、何か理由があるのかもしれませんわね……カタリーナ様? リボンを見せられない理由があるのですか?」
だが、カタリーナは茶色の瞳に涙を溜めながら首を振るだけだ。
困った。口を割らせないと話が進まない。
「カタリーナ様、スカーレット様は別にリボンを見せないあなたに怒っているのではございませんよ? 理由も言わずに頑なに拒否するあなたに苛立っておられるのです。自分の主張はきっちり言葉にしなければ伝わりません。もちろん、性格上上手く伝えられないなどもあるでしょうが……もしよかったら、こっそりわたくしにお教え願えますか?」
にっこり笑って自分の耳をカタリーナの耳元に寄せる。
甘系のお父様のお顔に似ていて良かった。これが母の系顔だったら、逆効果だ。
そして、語られた言葉に瞑目する。
思い出した。この時期のスカーレット様はまごうことなき、我が儘公爵令嬢。スカーレット様に甘々な公爵様に育てられて好き放題の時期でした。そしてそれが急転直下、すばらしく人を気遣う完璧な公爵令嬢に変身する事件が起こる。その事実に震えながらも今はこの場を収めなければ。
「スカーレット様、以前カタリーナ様から強奪したリボンはどちらにありますの? カタリーナ様はまた、強奪されるのかと不安に思っておられるのです」
「ご、強奪ですって!? わたくしそんなこと――」
不意に途切れる言葉。
スカーレット様、やりましたね?
「ほら、強奪なんてしませんとおっしゃられてますから、カタリーナ様、ぜひそちらの可愛いリボンをスカーレット様に見せて差し上げて? 単に可愛いものを愛でたいのですよ。もちろんわたくしもぜひ拝見させていただきたいわ」
そう言って、耳元で囁く。
前のリボンのことは忘れなさい。これは間違いなくとられないから、見せれば場は収まります、と。
すると、カタリーナはおずおずと左手首に巻かれたリボンを持ち上げた。
「あら、可愛いリボンですわね。カタリーナ様の栗色の御髪によく似合いそう。今日のドレスにも合っていますね。まあ、お母様が結んでくださったのですか? 素敵ですね、そう思いませんか? スカーレット様」
「そ、そうね。カタリーナ、あなたによく似合っているわ」
「さあ、そろそろ会場に向かわなくでは。案内してくださる? わたくし初めてなのです」
さすがにスカーレット様には頼めないので、以前リボンをとられ、ここへ来たことのあるカタリーナに手を差し出す。
カタリーナの右手をリリアンヌが、そして、左手を少々乱暴にスカーレット様がとる。
「この庭園を一番知っているのはわたくしよ! ついてらっしゃい」
そうやって少しツンケンとしながらも、導いてくれた。
「おや、もう仲良くなったのか」
スカーレットの父であるラングウェル公爵が相好を崩す。
そんな彼に私はにっこりと微笑みながら心の中で毒づいた。
おめーの激甘子育て尻拭いをこれから私がするんだよ、と。
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