何でも分かる

鷹野ツミ

何でも分かる

 日野のことは何でも分かる。

 小学生の頃からずっと見ているのだから当たり前だ。


『駅前の居酒屋来い』

 届いた通知は簡素な内容で、機嫌が悪いことが伝わってくる。きっと彼女に振られたに違いない。大学の喫煙所で言い争っているところを見たし、日野の家に彼女が通わなくなった。

 雨がネオン看板に降り注いで滲んでいる。終電前に急ぐ足が水飛沫をあげ、のろのろ歩く俺の足にかかった。



「雨屋なに飲む? 」

 大衆居酒屋だというのに客足が疎らで、日野の声がよく聞こえてくる。

「えっと……とりあえず、ビールかな」

 俺は酒が飲めない。だがここでソフトドリンクを頼めば日野の機嫌は更に悪くなると分かる。フーンと冷めた目で言う日野がビール二つと揚げ物をいくつか頼んだ。

 注文は待つまでもなく届いて、日野はさっさとビールに口をつけた。あっという間に飲み干すと俺をじっとり見つめる。

 急かされていることに気付き、日野に続いてビール流し込んだがとんでもなく不味いし頭がぐわりと重たくなった。呻きながら頭を抑えると日野は鼻で笑ってくれた。

「……オレ彼女に振られたんだよ。結構マジで好きだったんだけどな──」

 俺の予想通りだった。日野のことは何でも分かる。頭痛に苦しみながらも口元が緩んだ。

 ポテトや唐揚げをつまむ日野の声が耳に流れていく。いつの間にか皿が空になっていた。


「雨屋大丈夫? もう出るよ」

 頷いて立ち上がるが、俺の足元はおぼつかない。日野に支えられながらそのまま人気のない路地裏へと向かって行く。誰かの吐瀉物が雨と混ざり合っている。

「日野、どこ行くの」

 いつもならそのまま日野の家で朝を待つ。日野の呼吸と匂いを感じられるから、冷たいフローリングでもよく眠れる。ベッド一つしかないんだと言うから仕方がない。俺が女だったらそこに入れたのかもしれないが、俺は女が知らない日野の顔を知っているのだと思うと優越感に浸れた。

 突然、地面との距離が近付いた。どうやら転んだようだ。いや、突き飛ばされたのか。

 カチカチという音に懐かしさを感じつつ顔を上げれば、日野の手元に何か見えた。

「雨屋には感謝してるんだ。いつ呼んでもすぐ来てくれるし、オレのみみっちい愚痴聞いてくれるしさ。他の奴らに言ってもオレが嫌われるだけだから」

 ひたひたと足音を立てて近付いてくる日野が俺の前にしゃがんだ。

 ようやく見えたそれはカッターナイフだった。

「でもさあ、オレの部屋にカメラ仕掛けるのはないわ。ハメ撮りしてるって彼女に勘違いされたじゃん」

 痛いと思った時にはもう遅くて、もう声も出せなかった。喉元に穴が開くほどカッターナイフを押し込められ、落ちていたビニール袋を顔に被せられ、俺の意識は遠のいた。


 小学生の頃、日野はどうしようもなく腹が立つとそのカッターナイフでよく野良猫を殺していたよね。

 だから、いつか俺も殺されると分かっていた。切っ掛けなんてカメラ以外にもあったと思う。でもいいんだ。日野は素で話せる相手が居なくなって俺を殺したことを後悔する。俺は野良猫とは違うんだって直ぐに気付くよ。


 日野のことは何でも分かるのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

何でも分かる 鷹野ツミ @_14666

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画