世界管理事務局社員の異世界出張報告書

若取キエフ

奈落侵食世界編

第1話 プロローグ



「レリク、起きて下さい」


 光に包まれた空間で、白い翼の生やした女性が呼び掛ける。

 青年は虚ろな目をわずかに開けて、その女性に目を向けた。


「……ここは?」


「ここは生と死の境界線。天命を全うしたあなたは、これより神の意向に従い天界へ導かれるのです」


 優し気に微笑む女性を横目に、レリクと呼ばれた青年は辺りを見渡す。

 何もない、白い空間。

 傷だらけだった体は、いつの間にか癒えていた。


「俺は……死んだのか?」


 そこで気づいた。

 自分は戦死したのだと。


「はい。立派な最期を迎えたと思います」


 あっさりと答えるその女性に、レリクは小さく笑った。


「そっか……」


 呆気なく終わった人生に対して。

 勝算の薄い戦いに挑み、敗北した事に対して。

 悔いはあれど、概ね予想通りの結果に納得した。


「私は各世界の英雄達を天に導く存在。『戦乙女ヴァルキリー』が一人、ユーリエと申します」


 ユーリエと名乗った女性に、レリクは問う。


「ヴァルキリー? それに英雄って、何、俺に言ってんの?」


 成し遂げられなかった戦果。

 後悔を抱いたままの自分を見て何が英雄だと、彼はそう思った。


「もちろん。あなたの類まれなる才能は、天界でも大いに貢献出来るはず。どうか私と共に来て下さい」


「俺はただの、敗走兵だぞ」


「そのようにご自身を卑下なさらぬよう。あなたは十分頑張りました。そしてこれからは私達のために、あなたの力を貸して下さい」


 レリクは小さく息を吐いたあと。


「……いいよ、どうせやる事もないしな。こんなんでも役に立てるなら、好きにしてくれ」


 投げやり気味に彼女の頼みを承諾した。


「それでは、これよりあなたを天界へと連れていきます。力を抜いて、私に身を委ねて下さい」


 そう言うと、彼女はレリクを抱きかかえ、白い翼を広げ天高く飛び上がった。




■■■




 二百年後。


 ここはあらゆる命の終着点、あるいは出発点である天界、『エリュシオン』地区。

 何百と存在する世界で、様々な理由から生を終えた者達が暮らし、時には希望に沿った世界へ再び転生させる場所。


 死後の世界を天国、地獄、楽園、冥界、黄泉の国など様々な呼び名で伝えられているが。

 実際は生きていた頃とさほど変わらない、それぞれの役職の元で労働しながら給与をもらい生活してゆく社会システムを築いていた。


 その一角で、幾多の世界を管理する場所、『世界管理事務局』という部署が存在する。

 そこでは各々が割り振られた世界に異常がないかを細かくチェックし記録を残してゆく作業が続き。

 社員達は一つ一つ地道に仕事を片付けてゆくのだが。


「いや片付かねえよ!」


 終わりの見えない仕事量に嘆きの声を漏らす社員もしばしば。

 コンピュータ越しに項垂れるレリク・ルクルスもその一人だった。


「あえ? ……は、はい! 起きてますよ先輩」


「別に聞いてないよ!」


 その隣の席でビクリと姿勢を正し、寝ぼけ眼をこする中性的な見た目の彼はシュゼルシュタ・ミュゼット。

 レリクの後輩であり、八十年程前からここで働いている。


「急に大声出して、どうしたんですか?」


「ごめんシュシュ。俺が管理してる世界、ここ連日国同士の戦争続きで人の生き死にが絶えねえから」


「あ~、今の時期、どの世界も転換期ですからね。世界の発展に伴って争いも起きるでしょう。僕のところもそうですよ」


 レリクの嘆きにあくびをしながら答える後輩社員。


「とりあえず新入社員が入るまでは徹夜が続きそうですね」


「その前に過労死しない?」


「僕ら、すでに死んだ身ですし」


 命が流転する天界に死の概念はなく、不眠不休で倒れたとしても死に直結はしない。

 それ故オーバーワークを強いられる事もあり、生者のメンタルではひと月ともたない。


「せめて何か息抜きほしいよな。どこか旅行に行くとか」


「はは、当分僕らに連休なんて――」


 と、二人が話していた時だった。


「レリク! シュシュ君! お願いたすけてええ!」


 突然、声を荒げながら二人の元へ駆け寄る女性が現れる。


 彼女は長寿族のエルフ、ルディフェルト・リコラス。

 長い耳と高い魔力を内包する人族であり、レリクと同時期に入社した同僚である。


「なんだルディー、俺達は見ての通り手が離せないんだが?」


「めっちゃ腕組んで雑談してるじゃん!」


 彼女は言葉と状況の不一致に不満を漏らしながらも。


「いや、忙しいのはわかってるんだけど、少しでいいから私の話を聞いて!」


 涙ながらにレリク達にヘルプを求めた。

 現在どの世界も周期的に訪れる転換期の真っ只中。

 世界が発展する際に、あらゆる生命体が活発に行動を起こす時期だった。


 すると必然的にこの部署は繁忙期となり、寝る間もなく事務仕事に追われる日々が続く。

 その状況下でトラブルが発生すると、どれだけ仕事に支障をきたすか。

 それはレリクも十分に理解していた。


「はあ~……、とりあえず、休憩室行こっか」


 レリクは溜息混じりに承諾し、三人は小休止を兼ねて場所を変える事にした。



■■■



「実は私が担当してる世界で、突然魔物が凶暴化したの」


 休憩室の片隅で、ジュースを片手にルディーは語る。


「年周期で徐々に強くなる個体はいるけど、数週間前から突然に、それも爆発的に規模が広がっている。一つの種類じゃなく、全体的にね」


 レリクはルディーに尋ねる。


「システムエラーとか?」


 自分達が世界を管理する為のコンピュータ。そこに異常がないかと考えた。


「それも調べた。でもこっち側の異常は全くなかったの。システム管理会社の人にも見てもらったし」


「では、その世界で何か生態系を崩すアイテムや、急激な環境の変化などはありましたか?」


 と、シュシュも原因について尋ねるが。


「それも調査済み。そんな危険因子が存在するならもっと早くに検知出来ると思う」


 ルディーはこの仕事に就いて早二百年。

 多少のイレギュラー対処は片手間で出来るほどに慣れている。

 その彼女が音を上げる程に、今回の件は類を見ない異常現象だった。


「このまま凶暴な魔物が大量発生したら、最悪人類滅亡しちゃうかも……」


 大きな溜息を吐くルディー。

 そんな中、レリクはぼそりと呟く。


「まさか自然発生じゃなく、人為的な何か……」


 レリクの中で一つの疑念が生まれた。

 世界規模の災害を起こせるような組織、あるいは個人が介入しているのではないか。


 自分の担当ではないが、世界が滅んでいく様を黙って見ていたくはない。

 しかし皆が忙しい中、仮説の範囲で人を動かす事は出来ない。

 そんなくすぶる気持ちをシュシュは察して、彼はルディーにある提案をした。


「ルディー先輩、魔物の異常現象が起きた発生源は分かりますよね?」


「うん、座標はモニターに記録してあるけど」


「なら、実際行って確かめるのはどうでしょう」


 レリクとルディーは一瞬ポカンと硬直したあと。


「シュシュ、お前……」


「それって地上界に転移するってこと?」


 突拍子の無い提案に二人は何を言っているのだと目を丸くした。


「モニター越しじゃ、細部まで分からない事もあるでしょう。出張申請書類を出せば最短で明日から転移出来るのではないでしょうか」


「いや、でも私一人で地上界って行った事ないんだけど……」


「一人じゃありませんよ」


 と、たじろぐルディーにシュシュは言う。


「僕とレリク先輩を加えて、三人で行けばいいじゃないですか」


 レリクは喉に運ぶはずだったコーヒーを口元でピタリと止めた。


「待って、なんで本人の許可なく当然のように俺を数に入れた?」


「さっき息抜きに旅行したいって言ってたじゃないですか」


「言ってたけども!」


 そういう事じゃないと不満を露わにするレリクだが。


「期間は三日にしましょう。それくらいの遅れなら巻き返せる仕事量のはずです」


「ウソだろ、付け入る隙もないまま話が進んでいくんだけど……」


 お構いなしにシュシュは着々と詳細を決めてゆく。

 そして、彼に言うのだ。


「レリク先輩、もちろん手を貸してくれますよね?」


 これはシュシュの善意だが、素直になれないレリクを後押しする目的でもあった。

 世界が滅ぶのを、黙って見過ごす事の出来ない男を補佐する為に。


 レリクは渋い顔をしながらも、仕方なしにと了承した。


「……わかったよ、行くよ。帰ってからの報告書作成がめんどくさいけどな」


 そんな投げやり気味に返す彼に、本当は気になって仕方がない彼に。

 シュシュは笑った。


 レリクもまた、シュシュに上手く丸め込まれたと思いながらも。

 ルディーの世界を調査するという大義名分が生まれ、彼自身も首を縦に振り易くなり。

 若干不満はあれど、少しばかり感謝も混じる。


 こうしてシュシュの提案により、三人は地上界への出張が決まった。


 しかし彼らが転移する頃、その世界はすでに滅亡間近の危機に瀕していた。



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