夜と私とゲートボール

元気モリ子

夜と私とゲートボール


毎日毎日、来る日も来る日も働いて、

それでも私たちの老後はどうやら安心できないっぽい。


まあ、その歳まで生きていること前提な時点で、なかなか私も厚かましい人間ではある。


とはいえ、夜中になると唐突に老後が不安になる。


お金は大丈夫だろうか、

身体は大丈夫だろうか、

頭は大丈夫だろうか、

何か事件に巻き込まれはしないか、

何より、ひとりぼっちではないだろうか、、、


老後なんてえらく先の不安を、20代そこらでしてしまう。目の前のことにどれほど熱中していないかが見て取れるが、それでもやっぱり怖いものは怖い。



「モリ子さんはゲートボールの才能あるわ」



私の高校は、体育でゲートボールが必須だった。


そのことが主流でないと知ったのは大学進学以降のことで、周りに指摘され恥ずかしくも感じたが、運動神経の有無がさほど影響しないこの競技を選んだのは、先生たちの優しさだったのかもとも思った。


「ゲートボール」

と聞くと、多くの人はお年寄り達が公園で繰り広げるアレを想像するであろうが、全くもってその通りである。

アレ以上でもアレ以下でもない。


ただ、面白い。


詳しくは実際にプレイしてみるか、ご自身でお調べ頂きたいので軽く触れるに留まるが、私の解釈では、ゴルフとカーリングと将棋の要素を持った「頭脳派屋外スポーツ」である。


確かに私たちも、「今日からゲートボールです」と先生に告げられた際にはドヨッとした笑いが起きた。

ギャルたちは「ダッサ!」と手を叩き笑い、物静かな生徒たちも密かに口角を上げた。


しかし、そんなのはほんの最初だけで、実際にプレイし出してからは皆がこぞって熱狂、「ウチらババアになっても同窓会でゲートボールできるやん!」とスクールカーストなど最初から無かったみたいに心は一つになった。


そんな中、才能を開花させたのが私であった。



打てば決まる。

打てば決まる。

打てば決まる。


学期末、ゲートボールの実技を満点で終えた私の背に、先生はこう言った。


「モリ子さんはゲートボールの才能あるわ」



当時の私はその言葉の価値に気付けず、

「そんなもんあっても特別にはなれませんわ」

とだけ確か笑って返した。




まさか、今になってあの言葉に救われるとは。


勝手に真っ暗闇の老後を想像しては塞ぎ込み、

おばあちゃんになった自分へ期待が持てず鼻を垂れる。

若さこそ正義でないと知りながら、自分が老いに勝てる魅力があるとも到底思えず、ここから右肩下りの人生なのだと俯く隙間にいつも滑り込んできてくれる。



ゲートボールの才能



もう先生の顔すら思い出せない。

それでも、16歳の私たちにゲートボールをさせた先生に勝てる日は来ないと思う。


公園でゲートボールをするお年寄りを笑っている内は、まだまだ向こうに笑われているのだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜と私とゲートボール 元気モリ子 @moriko0201

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ