正しき贋作裁判

弟夕 写行

正しき贋作裁判

正野しょうの見造けんぞうは自分の名を毛嫌いしていた。

正しく見たものを造る、まさしく贋作で日銭を賄う自分のことを言い得て妙でいて、芸大を卒業した日の後から、いつも頭の片隅には改名、その2文字が居る。


しかし、運命はままならないものでいて、いくら贋作を作りたくないと思っても、彼が持つのは心から欲した創造性ではなく、溢れんばかりの天性の贋作師としての才能だけであった。


それをよく例示する話がある。何度も院展に落選続きだった彼が自分の生涯を賭けるつもりで2年をかけて描き上げた卒業制作の発表日、丁度、渋々ながらに美大の予備校の友人だった画商の西村から頼まれていた2日で描いた贋作が売れた。

前者には一つの批評、ダメ出しの言葉を寄せたものすら無かった。対して、後者には250万の値が着いた。しかも3人で競り合いになったらしい。

この日以来、彼が展覧会に絵を出すことは無くなった。酒も煙草も趣味の麻雀、それに随分と熱心だった画題探しの散歩も辞め、自宅兼アトリエにひっそりと篭るようになったのもこの時からだった。




インターホンが鳴る。

今し方仕上げていたカーカントウッドの「群れ」のカンバスから離れ、35にしてはやけに深い皺の刻まれた顔を筆洗い用の横に予め置いておいた冷や水で適当に手早く洗い、くたびれた背を伸ばしてのそりのそりと玄関の扉を目指す。


そんな訳など無いのだが、今日こそは刑事が来たのではないかとどこかで期待しつつ、ゴツゴツとした指で錆びたノブを回す。


立っていたのはスーツを着た、屈強そうな2人組だった。


「正野見造さんですね。」


「はい。」


「あなたには然るべき所で証人として立ってもらいたい。」


「分かりました。少し支度の時間をいただければ、今すぐにでも向かわせていただきます。」


片割れ、七三分けの方がギョロリと正野の顔に視線を向けると、普通ならば萎縮してしまいそうな冷たい声を吐きかける。

だのに、彼の声は浮き足立っていた。


きっとこれは裁判での詐欺の証明だろう。これでペラペラと喋ってしまえば、ようやく画商の西村との腐れ縁や、抱える次のクライアントなんてのに負い目を感じることなく贋作職人という仕事をほっぽり出すことができる。


そう思えば、正野は先程のような適当な支度ではなく、いそいそとインクや油絵具のシミが馴染んだ古着屋で買った二束三文のコートを脱ぎ、念入りに生えた髭を肌の保護用のクリームをつけてシェービングマシンで一気に剃り上げ、クリーニングにかけた状態で保存していた、世間でよく言う所のビジネスカジュアルに着替え、男たちの前にハレの姿で登場する。


「行きましょう。」


どことなく深い皺が少しだけ緩んでいるようだった。




車で連れられたのはやはり裁判所だった。

観覧に着た子供のように……とまでは行かないが階段を登る正野の足取りは軽い。


しかし、ここで正野は違和感を覚え始めた。

やけに身自由すぎないだろうか?

そういえば車もどういったわけか外車だった。


俄に不気味さを感じつつも、通されるままに第3法廷へ入る。

そこには傍聴人が1人もおらず、だのにアメリカ式に12人の陪審員がいるのだ。


「ありがとうございます。よくぞ出廷してくださいました!こちらが我々が立てます証人の正野見造氏です。」


左手に座っていた弁護士とその横の初老の男が立ち上がり、さっと頭を下げると、興奮気味に初老の男が正野の手を握り、礼を述べた。


「あの、これはどういった裁判で……」


「失礼しました。これは……」


どうやら初老の男、長岡が対面にいる頬のこけた男、山下から絵画商品を買ったものの、これに偽物が混じっていたため、原告として山下を訴えたというのだ。

それならば贋作作家ではなく、絵画鑑定士が呼ばれるのが適切であるが、この裁判の本旨は原告に売られたものがなのだ。


話を聞いて思わず顔を顰める正野。

願っていた刑事ではなく、民事裁判であるし、そもそも、贋作に何の価値も無いあろう筈がないか。然るべき値段は全て0円で、きちんとした価値に見合うかどうかなんてものはナンセンスだ。


そう辟易しながら口に出すと、陪審員たちがわっと声を荒らげた。


「それでも、お前は贋作職人か!」


「贋作ほど価値のあるものを0円だとぉ、恥を知れ!恥を!」


「そうだ、そんな恥知らずは今すぐこの法廷から出て行け!」


飛んでくるヤジにただひたすら浮遊感を覚える。10年以上、食うために仕方なく贋作を描いてきたが贋作を貶して怒る人間など見たことがない。

これは夢なのではないか、そう思えて仕方ない。

しかし、この異様な法廷の質感はまさしくリアルだ。


「正野さん、貴方は描く側だから分からないかもしれないがね、我々にとって贋作というのはオリジナルをいかに上手く模倣するかの動きと、消しきれずにほんの僅か残った作家の手癖、それが合わさった調和の芸術なんですよ。」


長岡はそう語りながら、おそらく買ったこれまでの作品を一つ一つ懐古してゆくように上を見上げ、微笑を浮かべる。


正野はイカれてると感じながらも、彼らの姿に昔の熱のある自分を思い出してしまって、どうとも言い出していいか分からず、顎をさすった。




そうして始まった、証人喚問。


「ベン・チェイマンは白の色に帆立貝を砕いたものを使うのを特徴としている。ただ、これはニクロム社製のアクリル絵の具だ。ケチったな。こんな分かりやすい要素変更をしたものじゃ250万も価値は無い。せいぜいこれなら30万がいいところだ。」


「ロ・ギノは第二次ノルディック・フォーム・アーツの担い手で、同じ暗い森林の風景を何度も手掛けた。ただ彼は暗がりの森を描くのに黒は絶対に使わない。この作品は上手いが、そこだけに関しては勉強不足だ。300万か、270万だな。」


正野の品評に、騒がしく陪審員たちが感心の反応を見せる。ここはコートはコートでも、テニスコートか。まるで何かのスポーツ大会にでも来ているのかと錯覚してしまいそうだ。


その一方で、贋作コレクターたちに囲まれている正野はイライラとしていた。何せ、周りの人間たちは自分の美術の人生を否定する敵ばかりなのだ。

審理が続けば続いでゆくほど、右の拳を握る指にぐっと力が入る。そろそろ彼の掌から軽く血が垂れてきそうだ。


ただ熱に浮かれる周りに、水を差すのは失礼な気がして帰るとは言い出せず、彼にもう15作品目となる作品がゆっくり法廷内へと運ばれてゆく。



緑と黄という異様な溶岩の噴出にスポットを当て、周囲を飾るように点描的なゴツゴツとした書いワインレッドの岩肌、崩れ落ち始める何か巨大な竜のような骨、暗い宙に置かれた、緊張すら感じさせる、異様に絵のテイストから外れた抽象的な地球。

雰囲気はさながらキメラだ。



正野はそれを見て、目を見開く。


「おお!これぞまさしく贋作だ!」


しかしコレクター、いや陪審員の男たちはそんなことにはちっとも気付かずに素晴らしい、素晴らしい、狂乱して騒ぎ立てる。


「それで、これは誰の何というのの贋作なんだね!」


ガベル持ちに気の早った1人が陪審席から身を乗り出して尋ねる。


そこで、ポツリと今まで口をへの字に曲げていた正野が初めて口角を上げて声を出した。


「作品名は『金星』。作者は……それは俺の卒業制作だよ。模倣と手癖の調和が極めて精巧な、な。流石、贋作コレクターの方々だ。」


正野はそう自虐的で嘲笑めいた言葉を残して法廷から振り返らず出てゆく。それに、ただの誰一人もそれ以上声が出せず、外の鳥の囀りが微かに聞こえるほど、その場はしんと静まり返った。

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