Peaceful Days

栗原 翠

序章


 居間にあるソファに腰をかけている少年は、ほとんど人形のように動くこともなく目を見開いていた。

 半開きの口の中はとうに乾いており、彼の目は四角い画面を瞳孔に捉えたまま動く気配も無かった。

 少年の前方にはテーブルと、その奥にテレビが置かれていた。家族は出掛けており彼以外不在のため、テレビから流れる音だけが空間に響いていた。

 少年、雨野 令太あまの れいたはテレビ中継でとある試合を観戦していた。天井の開いた巨大なスタジアムを、75度ほどの斜め上から俯瞰するように映している。ただし画面全体が中継画面なのではなく、テレビ画面より少しだけ小さくスタジアムは映されている。この画面は左上に寄せられており、少しばかりできた空白に現在競技を行っている選手達の情報が書かれている。例えばバラエティ番組の放送中に台風の情報などを流しているときと似た比率であった。

 テレビ画面越しに見るスタジアムの競技場内には、3つの黒い点と、3つの青い点が蠢いていた。試合は始まったばかりだ。黒のユニフォームに身を包む3名は、東京都立明有めいゆう高等学校の選手たちであることが画面の端に記されている。それ以外にも3名の選手の名前、学年、顔写真、そして使用する魔法が情報として確認できる。

 今始まったばかりのこの試合は、この大会の1回戦第1試合。トーナメント表でいえば1番左上の2つのチームが対戦をする。そのため、中継が始まって最初の試合ということになる。雨野は中継が始まる前からテレビでやっていた、出場選手の特集のときから画面に釘付けだった。

 来年、自分もこのような試合に出ることがあるかもしれない。あるいは間近で見られるかもしれないと、雨野は自らの左手首に右手を添えながら考えていた。十月十七日のことであった。




     * *


「イッシキさん。最初の試合なんだし、ちょっとだけ俺にも活躍の場をくださいよ。」

 イッシキと呼ばれた男は声のした方を向きながら答えた。少しだけパーマがかかった髪は天然のものだ。

「いいけど。」

 ほぼ即答で答えたため声をかけた男は少し驚いたが、すぐに当然だと思った。自分が出しゃばって何らかのミスを犯し不利な状況になったとしても、彼ならば何の問題もなく試合を終わらせられることを理解していたからだ。

「じゃあ、俺が1人落とすまでイッシキさんは何もしないでください。」

「分かったよ。好きにやってくれマツノ。」

 マツノと呼ばれた飄々とした雰囲気を持った男が細長い体を揺らして喜んだ。彼は東京都立明有高等学校の一年生だ。十月十七日現在行われている秋季魔法闘技全国大会は、出場権のある各高校の1年生、2年生、3年生が1人ずつ選抜されチームを組み出場する。

「お前ら、俺に相談もなく勝手なことを決めるんじゃない。」

 近くにいた巨漢にイッシキとマツノが軽く小突かれた。そして険しい顔のままフッと笑った後、低く穏やかな声で言った。

「だがまあいいさ。マツノにも経験を積ませてやろう。」

 リーダーの許しを得られ、マツノは安堵した。

「あ、あざっす!」

「そんなに活躍したいならうちの部に入れよ。」

「イッシキさんの推薦は光栄なんすけど、俺が入ったら他の1年の部員に悪いですよ。」

「悪いことなどない。そもそもマツノなら明日の個人戦でいくらでも活躍できるだろう。」

「多分そうっすけど、俺の試合って相手も見てる側も楽しくないかなーって。」

「俺はお前と戦うの楽しいけどな。」

「それ多分イッシキさんだけっすよ。」

 彼らは東京都立明有高等学校から選抜された、今大会に出場する3名の選手達だ。1年生の松野 駿まつの しゅん、2年生の一式 國遥いっしき くにはる、3年生の加藤 大吾かとう だいごがそれぞれの学年から選抜されていた。

 この後団体戦の1回戦が控えている3名は、余裕を持って試合が始まるのを待っていた。




     * *


 この中継における雨野令太の興味はまさしく今、相手のチームを災害に遭わせているとでも言うべきか、明有高校の一式國遥に注がれていた。明有高校1年の松野が30秒の退場になり人数が2対3という場面になった瞬間、それは始まった。

 一式の魔法がスタジアム全体に渡り発動される。と言っても、競技範囲外には魔法の影響は一切及ばぬようにできているためスタジアムの観戦者達に被害はない。

 実況者が大きな声で状況を説明する。

『今回一式君が使っている魔法は〔風〕と〔火〕です! 明有の松野君が退場した瞬間、相手チームの3人が順番に吹き飛び、直後に白い炎が彼らを襲うところを私は見逃しませんでした!』

 解説者が早口で言った。その直後に試合終了を告げるブザーが鳴り、結果が発表される。

 相手チームのポインターの選手が退場したことにより都立明有高等学校の勝利。2回戦進出が決定した。

 雨野は試合終了後、昨年のこの大会の中継のことを思い出す。

 自由落下よりも速く降り注ぐ氷の隕石がスタジアム上空から競技場を襲っていた。氷の隕石はおよそ円錐の形をしており、その1つ1つは大型バスほどのサイズであったと雨野は記憶している。いくつあるのか、数えるのも億劫になるそれらが先端を競技場の方に向けて降り注いでいたのだ。

 これらの氷の塊を操るのは他でもない、当時1年生だった一式國遥だ。彼の魔法を自分のそれと比べるなど無駄なことだと理解していたが、雨野はそうせずにはいられなかった。自らも氷を作り出す魔法を使えるからだ。

 しかしそれも一式に比べれば陳腐なものだと自覚していた。一式は複数の氷を同時に生成し、それらを操ることさえ出来た。それに対して雨野は同時に1つしか作れず、作った氷を操作することもできなかった。

 この昨年の衝撃を忘れられず、雨野はその後の一式が出場する試合は、団体戦、個人戦に関わらず全て見ていた。今しがた終了した団体戦の1回戦では彼が〔氷〕を使用することはなかったが、それ以外であっても一式の魔法を見たいとは思っていた。

 今年の秋季魔法闘技全国大会も、今日行われた団体戦、翌日に行われた個人戦と、雨野は見逃すことなく試合を見届け満足した。結果は団体戦優勝校が東京都立明有高等学校。個人戦優勝は、1年生の部で明有高校の松野駿。2年生の部で同校一式國遥。3年生の部では児珠こだま高校の選手が優勝していた。




     * *


 魔法が使える人間はおよそ100人に1人。4歳前後で自らの魔法を自覚し、その時から魔法が使えるようになる。

 ただし魔法が使える人間は普段から制御装置の装着を義務付けられており、特別な事由がない限りこれを外してはならない。また、生まれてからいつ魔法が顕現するかは個人差があり不明なため、6歳までは一律に制御装置の装着を義務付けられている。魔法が使える人間のことを「ホルダー」と一般に呼称する。

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