今一番欲しいもの
「今一番欲しいものは何だい?」
そうわたしに訊ねてくれたあなたにわたしは戸惑ってしまいました。
だって、わたしには『欲しいもの』なんてないのですから。
答えに困っているわたしにあなたは、こうも訊ねてくれました。
「遠慮なんてしなくていい。なんでもいいんだ、思いついたものを言ってごらん」
ニコニコ。そんなココロのオトが聞こえてくるようなあなたの笑顔を見て、わたしはひとつの答えをあなたに返しました。
「それが君の今一番欲しいものか」
わたしの答えを聞いたあなたはとても悲しそうな顔をしてしまったので、これは間違いだったのかもしれない、そう思いました。
「わかったよ。それが君の望みなら仕方ない。私も覚悟を決めよう」
しかしすぐにキリリと表情を引きしめてそう言ったあなたは、最後にわたしをゆっくり撫でてから額にキスをくれました。
そうしてあなたが部屋を出ていってから少しして、突然部屋が真っ暗になり、やかましい何かの音がたくさん鳴りました。
何が起きたのか分からないわたしは怖くて怖くて、何度もあなたの名前を呼びました。何度も呼んで、喉が張り裂けて血が出てもそれでもあなたを呼び続けていると、ふいに大きな水音がして、わたしは慌ててそちらへ泳いでいきました。
「待たせたね。これでもう君の望み通り、君は、いや、私たちは、自由だ」
いっぱいの血を水中に流しながらそう言ってくれたあなたは、それきりわたしにもたれかかったまま動かなくなってしまいました。そんなあなたを抱きしめながら、わたしは初めてで最後の涙を一粒、水槽におとしました。
その波はやがて大波となり、
わたしを捕まえていた部屋も、建物も全てすぐ横の海へ押し流し、
私は愛しい人間の亡骸を抱きしめたまま母なる海へと戻ることが出来たのです。
そうして海に戻ることが出来た人魚姫は、抱きしめていた愛しい人間に不老不死の人魚の肉を一口わけあたえると、その人間もまた人魚となり、美しい姫とともに遠い遠い南の海にある人魚たちの世界で、末長く幸せに暮らしました。
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