第3話 俺が本気でみんなに語りかけたのに無視拒絶されたときいたおばちゃん 

 俺が本気でみんなに語りかけたのに無視拒絶されたときいたおばちゃん


 私は子供の頃から臆病で、小学校の授業で手を挙げられないタイプの者である。

 私は酒の飲める歳になってだいぶ経つ。ある日、とある田舎の土地で一つの講演会が開かれた。私はそれに参加し、質疑の時間にすくっと手を上げてマイクを握った。その内容を思い出すと、ほとんど持論で、質問はマセ気味の小学生がするようなものだった。結局、形式的な返事しか返ってこなかったし、自分の言いたいことだけをとくとくと述べたにすぎなかった。しかし今でも私はその持論に巨大な自信を持っているし、その持論は何も自分だけで考えたのではなく、多くの人々の意見をよくよく参考にした上で生じたものである。

 言い終えた後、うしろのほうで「すごい」という言葉と「マイク切ればよかったんじゃねーか?」と聞こえた。褒められたのかは知らないが、持論がゴミのように捨てられたのは感じた。私は怒りよりも悔しさの方が大きかった。持論はその田舎を救うかもしれない画期的なものだと信じているが、田舎の人たちはそれを箒で掃き去った。

 この激しい悔しさを抱いたまま家に帰るのは苦しすぎた。よって私は、漆器を売っているとある店に訪れることにした。4回ほどそこに行ったことがあり、店主のおばちゃんが優しい雰囲気で、長々としゃべったこともあり、それゆえ私はおばちゃんに癒しを求めてその店に向かった。それとは別に、漆器に癒されるためというのもあった。300年以上受け継がれている伝統工芸品であるが、それをとりまく厳しい現状をかつておばちゃんから聞いていた。漆器それ自体は味わい深い美を有していると思える見た目で、大昔はそれをただの茶椀にしていたり湯呑みやお盆にしていただけだっただろうが、それらを100均やニトリなどで買うようになった現代、皮がはぎ取られて中があらわになったかのように、漆器の持っている美が私の目に留まるようになった(と思う)。しかしもう、作る人がほぼいなくなったという。店のおばちゃんも、漆器の将来を悲観していた。その土地で生まれた美しいものが消え、その土地の人々のやる気も高齢化に従って消え、その土地を訪れたことによって私の中で生まれた悔しさ・癒しのコミュニケーションもこのまま消えるのか。お金。これを求めて人々は重要な何かを無視して都会に消えてゆく気がする。朱鷺ときじゃないけれども、全部死んだ時点で受け継がれてきたものも消滅して、外来のものに頼るほかなくなる。

 講演会で私の持論を一蹴するとか、それで傷ついた私が美しき漆器を求めて店に行って寛大なる店主に愚痴を聞いてもらうとか、このようなコミュニケーションが有るだけまだ良い。私が思うのは、なくしてはいけないと思うものがそこにあると感ずれば、たとえよそ者だとしても、その土地の特産物や人的ネットワークにずいずいと関与することである。

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