第20話

 いつも通り起き、姫からのメッセージを見た俺は、駅から大学までの道のりを早足で歩いていた。


 自然と歩幅が狭く早くなってきて、すれ違う人たちが俺のことを遠慮がちに振り返るが、今はそんなこと気にしていられない。


「マスター? 急ぎすぎじゃないですか?」


 右耳からユリの心配そうな声が聞こえる。


「ユリも見ただろ? あのメッセージ。ただ事じゃないよ」


「文面通り受け取るならそうかもしれませんが、あれはきっと」


「ごめん、とにかく急がなきゃいけないんだ」



 俺は今きっと冷静じゃない。でも冷静ではいられない。


『助けて』


 姫が夜の間に俺に送ってきたメッセージに、そんな一文が含まれていたからだ。


 大学の敷地内に入ったその瞬間、俺はスマホを耳に当てる。


「姫っ⁉ 今どこ⁉」


「あっ、もしもし? 急にごめんね? 今移動中……ちょ、ちょっと離れなさいよ!」


「もしもし? 姫?」


「ごめん、一回切るね。わかったわかった。わかったから!」


 プツン、と電話が切れる。


 ひどい胸騒ぎがする。何かとてつもなく悪いことが起きているような……。


 俺はもうほとんど走って、一限をやる教室に向かう。


 すると、廊下の曲がり角からひょっこりと、姫らしき足が見えた。


「姫!」


 姫は倒れている。そして、上に乗っかっている何かをどかすように脚をジタバタさせている。


「姫、だいじょ……」


 角を曲がって、その光景を見て絶句してしまった。


 姫を押し倒していたのは、白崎だった。


「あっ、黒部くんおはよ! もう体調大丈夫?」


「あんた早くどきなさいよ!」


「あ、ごめんごめん」


 白崎はにへらと笑いながら姫に手を差し伸べる。姫は対照的に殺意を滲ませながらその手を掴んで起き上がる。


「いやぁ、ごめんね?」


「朝からベタベタしないでよ。ただでさえ低血圧で辛いのに」


「えっと、何で?」


 言葉足らずな俺の質問でもすぐに理解したらしい白崎は、一見清楚で上品に微笑んだ。


「さっきたまたま姫ちゃん見かけて、嬉しくなって飛びついちゃったの」


「そんで、そのまま押し倒されたってわけ」


「人を犯罪者みたいに言わないでよぉ。姫ちゃんの体幹が弱すぎるのがいけないんでしょ?」


「想像以上に重かったもんで、ごめんなさいね」


「本当は黒部くんに助けてもらいたかっただけのくせにぃ、このこのぉ」


 姫は顔を真っ赤にして白崎の胸倉を掴み、白崎はそんな姫を余裕しゃくしゃくの笑みで見上げる。


「……あぁ、良かったぁ」


「何がよ」


「何がって、姫が無事だったことだよ。姫に何かあったら、俺」


「……あっそ」


「朝からお熱いことで」


「あんたね、ほんといい加減にしなさいよ。昨日の夜もしつこくメッセージ送ってきて、何のつもり?」


「私はただ前みたいに姫ちゃんと仲良くしたいだけ」


 白崎のその一言は何だかとても早口に聞こえた。


「ふざけんな」


 姫は白崎を軽く突き飛ばし、つかつかと歩き出す。


 慌てて付いていこうとすると、姫は急に立ち止まって白崎の方を振り返った。


「私も、もちろん修司も、あんたのことを許したつもりはない」


「……」


「勘違いすんな。ほら、行こ」


「う、うん」


 深い、深いため息をつく姫。


「マスター、今のシーン、今月曜日にやってるドラマみたいでしたね。ね?」


 ユリの小さな声が聞こえてきて、俺は浅いため息を二回繰り返した。

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