第8話

 俺の堪えるような笑い声だけが空き教室に響く。


 ユリはそんな俺を見てぽかんと口を開けているのだった。


「ダサいって、ストレートすぎ。調べたら出てきたの? だとしたら反論出来ないね。可哀想だけど」


 良いことではないとわかってはいるけど、さっきの岩島の引きつった顔を思い出すと滑稽で軽い気持ちになる。


 それは、今まで悩んでいたのが馬鹿らしく思えるくらいに。


「マスター」


「ん?」


 ユリもこんな俺を見て笑ってくれているだろうか?


「ユリ?」


 ……しかし、ユリの頬を一筋の涙が流れる。


 それがユリの涙だということに気付くまで何故か少し時間がかかった。


「ユリ、どうしたの?」


「あれ? 私、何で? ごめんなさい」


 ユリは俺がペイントツールを持ち出す前に袖でぐしぐしと目元を拭う。


「私、たぶん嬉しくてっ」


「嬉しい?」


「はいっ、マスターがそんな風に笑うところ、本当に久しぶりに見た気がしたので」


 ユリの言葉を聞いてハッとする。


 ユリはずっと俺の顔、表情を真正面から見てきたのだ。


 嬉しいとき、悲しいとき、興奮したとき、それがパソコンの前で行われる限り、ユリは俺の感情を全て見てきた。


 今この瞬間以外で、最後に心から笑えたのはいつだったか。


「本当に、ずっと見てくれてたんだね」


「はいっ、いつも、ずっと見てましたっ」


「……」


 素直に感動に浸りたいところだが、ユリに検索履歴等を全て見られていることを思い出し、複雑な気分になってしまう。


「まあ、その、それはそれ。これはこれだ。今のは本当に危なかった。というか、ユリのことを聞かれて、何て誤魔化せば良いのか」


「そう、ですよね。ごめんなさい」


「……待てよ」


 そのとき、突然とんでもないアイデアが降ってくる。


「マスター?」


「そうか」


「どうしました?」


「どうせ隠せないなら、隠さなきゃ良いんだ」


「え?」


 俺は急いで検索エンジンに飛び、写真加工アプリを調べる。


「ユリは触れないアプリはある?」


「いえ、皆さんには仲良くしていただいてますし、殆ど触れますよ」


 一瞬、パソコンの中の世界にとてつもない興味を惹かれるが、数ある加工アプリの中から初心者でも使いやすそうなものを一つ選び、インストールする。


「いっそのこと、ユリが人間になれば良い」


「はえ?」


 俺は全てのウィンドウを閉じ、真剣な表情でユリを見つめる。


「ユリは人間だと周りに思わせれば、ユリのことをいちいち詮索されることも無くなる。わかる?」


「えっと、つまり?」


 俺はネットから一枚の画像を引っ張ってきて、ユリの画像と併せて加工する。


 完成した一枚をデスクトップに貼り、『ユリ』とシンプルなタイトルをつけた。


「出身、顔、思い出に至るまで、ユリという人物がさも実在しているかのように偽装する」


「……マスター、これは」


 急いで作ったのは簡単なもの。日の差す教室で、可愛い制服を着たユリが、とびきりの笑顔で友達と談笑している。


 参考のために作ったその一枚にはその実、俺のかつての願望がダダ漏れになってしまった。


「君と言う存在を、この世界にインストールする」


「マスター……」


 悪戯っぽい表情で笑うかと思ったが、ユリはその画像を手に持ってさめざめと泣き始めてしまった。


「ちょ、どうしたの⁉」


「だって、嬉しくてっ。良いんでしょうか、私なんかにそんな労力を割いていただいて」


「……良いんだよ」


 次の一言を言うために、何故かとてつもない勇気を要した。


「そこまでしても、君に傍にいてほしいと思ってしまったから」


「ううぅ」


 ユリはさらに泣き出してしまう。その勢いはユリがいる世界にもう一つ水溜りが増えそうな程だ。


「あなたは、どれだけ優しいんですかっ」


 ずびびと鼻をすすったユリは、ぐじゅぐじゅの顔のまま俺を見上げた。


「私、頑張って人間になります! マスターの期待に応えてみせます!」


「ユリ……」


 そこまで意気込まなくても良いけど、と思ったが、ユリの思いに水を差したくなくて言うのをやめた。


「それじゃ、早速……!」


 そのとき、教室の前で佇む人影があるのに気付き、咄嗟に立ち上がる。


 するとその人影もまた俺の気配に気付いたらしく、そいつはすぐに走り出す。


「待って!」


 もし誰かに聞かれたら、作戦が全部無駄になってしまう。


 急いでドアを開けて呼び止めるが、そいつは既に廊下の角を曲がってしまっていた。


「くっそ」


「マスター? 聞かれちゃいましたか?」


「わからない。でも、やることは変わらない」


 むしろ尚更、この偽装計画を進める他無くなった。誰かにユリとの密談について聞かれても、あれは冗談だと証拠を持って説明するために。


「マスター?」


「あ、ああ、早速、始めようか」


 将来起こり得る最悪のケースのイメージを振り払い、俺はユリに微笑みかけた。


 しかし、この偽装計画を思い付きで始めたことを、俺はこれからとてつもなく後悔することになるのだった。

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