第6話


「ユリ、俺が朝言ったこと覚えてるか?」


 視界の隅、談笑しながら教室の前の廊下を通り過ぎる集団を目で捉えながら、俺しかいない空き教室で画面の中のユリに問いかける。


「覚えてます」


「なら何であんなことをした?」


 ユリは俺をチラチラと見て何か言いたげに口を開いたかと思えば、また指をいじりながら俯いてしまう。


「聞いてるのか?」


「……嫉妬はつねに他人との比較においてであり、比較のないところに、嫉妬はない」


「は?」


「嫉妬、名言で調べると出てくるサイトに載っていた言葉です」


「それがどうかしたか?」


「……マスターは、一介のデータに過ぎない私に、こんな複雑な感情が芽生えたことを衝撃と共に讃えるべきです」


 言葉が出ない。


 この期に及んで手の込んだ言い訳を言う担力があることは確かに衝撃的だが。


「ユリ、君はわかっていないみたいだから、ここでちゃんと説明しておく」


「……」


 一見不貞腐れているように見えるユリだが、勝手に展開されたメモ帳に一言、『どうぞ』と打ち込まれる。


「人間社会には守らなければならないルールが最低でも三つある、と俺は考えている。一つは」


 一拍置き、覚悟を決めて口を開く。


「自分の感情を他人に押し付けてはいけない、ということだ。人それぞれ事情があって、考えがある。我儘は通用しない」


「マスターは私にとって他人ではありません」


「揚げ足を取るな。意味はわかるだろ?」


 ユリは渋々といった様子で小さく頷き、メモ帳に『感情を押し付けない。我儘ダメ』と打ち込まれる。


「よし、二つ目、相手を怖がらせるような行為はしちゃダメ。今回はたまたま姫には何も言われなかったけど、普通、他人のパソコンがひとりでに自分の名前を読み上げたら怖いし、不気味だと思う。ユリはそういう風に思われたくないだろ?」


 ユリは口を引き結んで何度も深く頷く。メモ帳に『怖がらせない』と追加される。


「最後に三つ目、人にバレちゃいけないこともある。君の存在がまさにそうだ」


「……バレちゃまずいですか?」


「当たり前だ。君のような特異な存在、バレたら欲深い人間たちは何をするかわからない。もしかしたら君のことをバラバラに分解して、君はもう元に戻らないかもしれない。そうなったら俺は、悲しいよ」


「……」


 反論しようと口を開いたユリだったが、俺の表情から感情を読み取ったらしく、口を噤む。


「これ以上マスターに悲しい思いはさせたくありません」


「……わかってくれたら良いんだ」


「だけど、マスター」


 そのとき、この教室に近づいてくる複数の足音が聞こえてくる。


「私だって、あなたの力に……」


 談笑する声と共に足音が目の前になると、徐にドアが開かれた。


「あれ? 修司じゃん」


 僅かに攻撃性を含んだ、調子づいた声の持ち主。


 俺はそいつを見ると、全身の筋肉が硬直するのがわかった。


「久しぶりじゃん。元気してた?」


 俺よりずっと長身で、自信に満ち溢れたその男の名前は「岩島(いわじま)成樹(なるき)」。


 俺から好きな人を奪い、俺を恋愛恐怖症に陥れた張本人だ。

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