”鏖”



 美人が煙草を吸うと迫力が違う。

 ディナは外で煙草を吸っていたプレシャを見て感心していた。

 大人の女性って感じ。


 ちらっとヨルを見上げる。

 見られたヨルが、ディナを見返した。


「あのね、プレシャさんは恋人?」

「違う」

 物凄く答えが早かった。

 そこまで早いと逆に疑ってしまうのが、乙女な子供という物だ。


「じゃあ、ヨルのタイプってどんな感じ?」

 ヨルが固まったのを見て、ディナが口を閉じる。ヨルって案外、女性が苦手なのかな?不穏な意見を持ったディナに気付かずに、ヨルの眉根は寄っている。


 どう答えるのが良いのか。

 いや、特に好みは無いのだが。そう答えて支障は無いのか。

 手元で鶏肉を切り分けているヨルは、その悩みを無実な鶏肉に切り込んでいる。何時もより丁寧に筋まで取った鶏肉は、そのままたれで揉み込まれてカラッと揚げられた。


 油に沈んで上がって来る間に考えた答えは、鶏肉たちの嘆きの時間はカウントされていない。添え物の野菜は軽くゆでて皿に並べる。

 コメまで焚いて時間を稼いだのに、ヨルの考えは発展しなかった。


「特に女性の好みは無い」

 そう答えたヨルをディナが見る。

 あまりに時間が過ぎていたために、ディナの中ではヨルは女性が好きではないという結論に固まろうとしていた。


 そして今は手の込んだご飯に98%の神経が注がれている。

 つまりどうでも良くなっていた。

「うん、分かった」

 本当だろうか?ヨルの不信はしかしディナには通じない。

 盛られた唐揚げとご飯に、目を輝かせている。


 とっくに煙草を吸い終わってソファに座っていたプレシャは、その事態を一から見届けた者として、横を向いてぶふっと吹き出した。



 一緒の食事をしてから、プレシャは自分の家に帰って行った。

 何て面白い事になっているんだろうと思いながら、貰った通信機を触る。万が一でも外れないように耳にはめ込まれた。綺麗なピアスに見える。

 ヨル様に貰ったピアスなんて言ったら、トラスト辺りは怒るわね?

 あら、ディナちゃんの意見が通ってしまうわ?


 もちろんディナの側は、指輪になっていてディナに痛みはない。

 それを撫でながらディナはご機嫌だ。

 食事の時もプレシャと話せて嬉しかった。

 ヨルがあまり話さないのは何時もの事だ。話しかけなければヨルはあまりディナと話さない。


 だから余計に質問してしまうのだが、そこはお互いに分かっていない。

 それを見て分かったプレシャは、にやつくのは止めて話を優先した。守護者様をからかうのも限度がある。

 ヨルという人物が、そんな単純な事で怒る人ではないのを知っているけれど。


 まあ、レイタが私にやられたって情報はすぐに広まるだろうし、それを探りに来るだろうし。来るとしたら、リファー辺りかしら?

 つい黒い笑いが出てしまいそうなプレシャは、慌てて煙草を咥えた。



 満腹で寝ているディナを見ながら、ヨルはベッドに座っている。

 自分は思考が遅いのではないかと、悩んでいた。ディナはクルクルと目まぐるしく色々を考えている。それに自分はついていっていないような。


 思考を速める薬もあるが、それを使うまででもない気もする。

 人の親は大変なんだな。

 自分を育ててくれた人を思い浮かべて、ヨルは小さく笑った。


 寝る気にならずに外に出る。

 明日は此処から移動をする。もともと行こうと思っていた場所に向かう予定だ。火をつけた煙草の煙が夜空に立ち昇る。

 育ての親も良く吸っていたと、ヨルは紫煙を眺めながら昔を思い出していた。


 まだ、これほど世界が壊れていない時代。

 今から700年ほど前の世界。

 大地も緑に覆われて、魔物もいなかった穏やかな時代。

 笑い声も零れる営みが、其処此処で繰り返されていた。

 あの時はもう戻らない。


 ヨルは少しだけ目を閉じてから、煙草を消して中に戻った。



 ディナが起きると、隣のベッドにヨルはいなかった。

 また起きているのかと思ってリビングに行くと、ソファに座ったヨルが寝ていた。本を片手に持って、少し首を傾げて。


 初めて見るヨルの寝顔にディナが見入る。

 何だかドキドキした。

 いつも警戒している人が、自分の近くで寝ている事に興奮した。

 起きるまで見ていたいかも知れない。


 近づいたディナの気配で、パッとヨルが目を開いた。

「あーあ。起きちゃった」

「…?」

 訝しげな顔をしてヨルが身体を起す。

 寝起きも見られたからいいか。そんな雑な意見のディナを見てヨルが首を振る。


「少し、待ってくれ」

 唸るような声でヨルが言うのをディナはきょとんと見ている。

「うん」

 素直に頷いて、向かいのソファに座った。

 ヨルが小さな瓶から錠剤を出して飲み込んだ。それから外に出て行った。

 朝から煙草って、吸い過ぎだと思う。


 しかしそれは今言う事ではない気がする。

 何故なら、プレシャがヨルから煙草を貰っていったからだ。

 あの煙草には何かがあって身体に影響があるのだろう。もしくは心に影響が。


 考えているディナは外から入って来たヨルを見る。

 それは何時ものヨルで。

「朝ごはんはどうしようか?」

 そう尋ねてきたヨルに笑顔で答える。

「昨日の残りはまだある?」

「あるが、朝から重くないか?」

「ぜんぜん!」

 元気に答えるディナに苦笑しながらヨルが用意しだした。

 ガッツリ食べたディナと違い、ヨルは焼いたパンだけを食べて、ディナには不評である。


 自動ハウスをバイクの後ろに乗せて、ヨルがバイクに跨る。

 その前にディナが乗ってヨルに寄りかかった。

 ディナの身体を片腕で抱えてバイクのアクセルを開く。ゆっくりと動き出したバイクのタイヤは普通に森を走りだした。


 プレシャが”骨無“を駆逐したので、森の地面の滑りが無くなっている。

 安定した走りで、一時間もすれば森を離れた。

 ディナが森を振り返る。行く先はまた荒野で、後ろに遠ざかる緑が貴重に思えた。


 乾燥した場所をバイクが走っていく。

 それは代わり映えのしない景色で、ディナは暇になる。

 運転しているヨルをチラッと見てから、ディナは指輪を触った。


 ザザッと少しだけ異音がして、プレシャに繋がった。

〈あら、どうしたの?〉

「いま、大丈夫?」

〈ええ、平気よ?〉

 ディナが前を見ながら、平然と言った。

「ヨルの寝顔にドキドキしたの」


 プレシャの耳にキュキュッとタイヤが擦れる音がした。

 運転しているヨルにご愁傷さまと心の中で呟いてから、ノリノリで答える。

〈あら、それはどういう意味かしら?〉

「何かねえ、こう、野獣が手を舐めてくれる感じ?」

〈あら、それは言い得て妙ねえ〉

「良い感じって事?」

〈上手く言えてるって事よ?〉

「やったあ!」

 これを聞いているヨルの気持ちを気にしない事にした、が。


「…そういうのは俺がいない時にしてくれないか?」

 さすがに言いますよね。プレシャが心で答える。

「でも今聞きたかったの」

 ディナの言葉に、ヨルは考えた後で。

「………そうか」

 と呟いた。


 父親って娘には勝てない物なのねえ。

 プレシャもヨルと同じような意見を持った。


 ヨルは何も聞かないようにしたかったが、運転中にそういう訳にもいかずに拷問のような時間が過ぎる。通信機を渡したのは失敗だったかと思ったが、じきに話題が変わって誘導してくれたプレシャに感謝する。


 そしてプレシャが用事の為に話を終わらせ、ディナは無言で前を見ている。

 通信は楽しいけれど、あまり使う物じゃないかもしれないとディナは反省していた。だって自分はここに居て、ヨルに運んでもらっているのに、そのヨルを無視してないかな、これって。

 チラッとヨルを見上げる。

 ヨルは前を見ていた。少し機嫌が良くない。


 今の通信のせいだろうか?いや、それ以外に有り得ない。

「ヨル?」

「少し止まっていいか?」

「え?いいよ?」

 パッとバイクを離れてヨルが煙草を咥える。それから顔をしかめた。半分も吸わないで灰皿に押し込んで、バイクに跨る。


「ディナ、急いで走るから覚悟してくれ」

「え、うん?」

「俺にしがみついていろ、いいな?」

 急いで話すヨルに首を傾げるが、言われた通りにしがみつく。


 タイヤがギャリギャリと軋んだ音を立てて回転した。ディナは身体ごとヨルに押し付けられたようなスピードに気持ち悪くなる。

 だが今、口を開けてはいけないと分かったディナは、しがみ付いたまま後ろを見ていた。この姿勢では前は見えないからだ。

 そのディナの視界に砂煙が見えた。


 バイクの後ろ、ディナの視界の中。

 段々と大きくなる砂煙が追いかけてくる。

 それはやがて何かの背びれのような物が砂を割って移動していると気付いた。


「何あれ!?」

「なにが見える!」

「背びれ!!」

 ディナの答えにヨルが、ちっと舌打ちをした。


「回線オープン!」

 しがみ付いているディナの耳にざわざわと沢山の人の声が聞こえた。

 ヨルが大きな声で怒鳴る。

「地点325、-108にて“鏖”と遭遇!守り人は警戒せよ!!」

『“鏖”ですか!?分かりました!』

 その言葉が終わらない内に、ディナの見ている先に人が数人現れた。ヨルがバイクを旋回させる。


「トラスト!」

「誘導をお願いします!」

 何かの制服を着た青年が数人、大きな銃を持ってヨルに叫んだ。

 ヨルが砂煙が立っている方へ向かってバイクを走らせる。バイクが近付く前に地面が割れて大きな怪物が口を開けて飛び出した。

 その怪物の手前でバイクが後輪だけで方向を変える。


 怪物の口の中に、銃弾がこれでもかと打ち込まれた。

 ディナにはその怪物が、お城のように見えた。

 それはきっと大きさのせいで、姿そのものは鱗が生えている腐った泥のようなもので、城のような石造りの部分は微塵もなかった。


 ヨルがもう一度バイクを走らせる。

 ”鏖“はバイクの音が気に入らないようで、ヨルに向かって口を開ける。

 また空中に飛んだバイクが、その場で身を翻す。

 その隙に守り人が口の中に銃弾を放つのだが、それには無関心だった。幾つもある眼がヨルのバイクを見ていたが、ふっと目線を逸らして地面に潜った。


 砂煙が立つぐらいの表面には、もう存在していないのか、重い振動がしばらく響いてから地表は静かになった。

 エンジンを駆けたまま地面に片足を付けたヨルが、詰めていた息を吐いた。

 守り人たちも銃を構えていた姿勢を解いて、ヨルに頭を下げるとその場から瞬時にいなくなった。


 あっさりと戦いが終わって静寂が訪れる。

 ヨルが心配げにディナを見ると、バッとヨルから離れてバイクを降りたディナが、走った先で盛大に吐いた。

 慌ててヨルがバイクの横に自動ハウスを展開する。


 それからディナを抱えて家のトイレに詰め込んだ。

 外でディナの吐いたモノを残らず回収してから、家の中に入る。

 トイレを抱えているディナの首に、簡易注射器で酔い止めを打ち込んだ。


「えう」

 まだ目が回っているディナが呻いた。

 背中をさすりながら、ディナの顔色を窺う。

 そのヨルの顔を見ながら。

「えう」

 ディナの口から吐しゃ物が零れた。


 15分もしたら、薬が効いたのか。

 ディナがパタリと横になった。ヨルが首を支えて膝の上に乗せる。また吐いても喉が詰まらないように支えている。


 真っ青な顔色に気が気ではないが、これも仕方がない事だった。

 小さく呼吸をしているディナを見ながら、ヨルは”鏖“の事を考えていた。


 深森の町があるのは中ぐらいの大きさの島で、それに繋がっている今の場所は、あとから作られた人口の埋め立て地だ。この先にトラストがいる大きな大陸が存在している。いわば土で作った橋の様なものだ。


 古いものだから大地と同化はしているだろうが、あれらが好む土地では無い。ましてや最近動向が分からなかった“鏖”が出て来るとは。

 一体どんな理由があるのか。あるいはまったく理由もないのか。


 あれらは理由もなく動いて壊してゆくものだ。

 分かっているが、今回は連絡するしかなかった。


 大陸の中央には関係ないが、訪れようとしていた町はこのすぐ先に有ったからだ。出来れば回線全オープンはしたく無かった。

 自力で押さえられれば良かったのだが。


 今朝、薬を飲んでしまっていた。

 ディナに寝起きに傍に居られた。急いでいたから先に飲んでしまった。煙草の効能よりも錠剤の方が継続時間が長い。


 冷静ではあるが、闘争は出来ない。

 ディナの顔を見ながら、ヨルは溜め息を吐いた。

 その辺も考えなくては。自分の役目を忘れては駄目だ。


 この子を守るために、世界も守らなくてはいけないのだから。




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