世界巡る昼と夜の物語

棒王 円

堕ちたる少女




 遠くに見えているのは、落下している天空都市。

 そこ目掛けて荒野の上をバイクが走っていく。


『お願いよ!ヨル!何とか助けてあげて!!』

 耳元のインカムから叫ぶ声を聞きながら、ハンドルを切る。


 白い煙が立ち上り、斜めに傾いでいる天空都市は、落下速度が緩まらない。

『NO2は子供ばかりなの!お願いよ!ヨル!!』


 ゴーグルの中の瞳がしかめられる。

 距離が近付くと、鳥の鳴き声の様なものが聞こえてきた。

 それはヨルのインカムから響いている声と同じ音。


 落下音が聞こえるほど近づけば、その鳥たちの声は絶叫に近く。

 アクセルを限界まで開ける。

「無理だ、コトリ、あれは、もう」

 猛スピードのバイクを制御しながら、ヨルがインカムに呟く。

 ヨルの視線の先で、天空都市が地面に衝突した。

 バイクを急ブレーキで止める。


 その重さ故に落ちた場所からどんどん潰れていく。

 下部の岩はすべて崩れ、その上に立てられている都市部の建物も落下速度と重力に逆らう事なく潰れていく。

 何度も何度も爆発を繰り返し、天空都市NO2は崩れて炎をまき散らす。

 ヨルのインカムからは、泣き声しか聞こえない。

 片足を地面につけたまま、ヨルは小さく息を吐く。バイクの振動音が身体を伝って響いているが、聞こえているのは断続的な爆発の音だ。


 数時間後に、いくらか爆発が収まってきてからバイクを発進させる。

 速度を落とし、まだ燃えている残骸に近付くが、ある程度の距離でバイクを降りて、歩いて更に近付くと、煙と煤が空気に混じりつつ、現状が見えてくる。


 何もかもが崩れ壊れ、小さな火の手が何かを燃やしていた。

 コトリの言う通り、子供を飼育している施設だったのか、辺り一面に小さな飼育カプセルの残骸が積み上がっている。

 ヨルは慎重に内部奥に相当する場所に足を運ぶ。


「誰もいないな」

 ヨルの声にインカムから溜め息が聞こえる。

「他の都市は大丈夫なのか?」

 黒く炭化しているものを踏まないように避けながら、解けたガラスを手で押さえて部屋の残骸に入っていく。


『他のナンバリングには緊急点検をさせているわ』

「そうか」

 奥にも壊れた飼育カプセル。羊水代わりの液体と千切れたような中身。

 更に奥に入った時に、ヨルが立ち止まる。

 ぴい、ぴい。

「黙ってくれ、コトリ」

 現状を報告していたインカムの向こうのコトリが口を閉じる。


 ぴい。

 壊れかけのカプセルにヨルが近付く。強化ガラスの中に、擬似羊水といびつな何かの塊。それが小さな声で誰かを呼んでいる。

 ヨルがカプセルを触ると、中の生き物じみた塊が動き、ヨルの手の方へ動いてくる。


「……いたぞ、生き残り」

『え』

 インカムから驚く声と喜びで泣き叫ぶ声が響いた。

 片目を閉じて、ヨルがインカムを触る。

「耳が破れる。叫ばないでくれ」

『カプセルナンバーと状態を教えて!』

 言われてカプセルの下に書かれている数字を伝える。向こうで資料を検索しているのか、しばらくコトリの声がしない。


『女の子に進化する前の状態の子ね。カプセルは大丈夫そう?』

 ヨルはたくさんのチューブが繋がっている先を見るが、どのチューブも汚れて破損している。カプセルも幾つものランプが点滅していた。

「チューブが切れそうだ。カプセルも大体が赤く点滅している」

『助けたいわ。お願いして良いかしら、ヨル』

 カプセルから手を離し、インカムの方の耳に目線を投げる。


「……ここで出せば、天空都市には戻せない。それで良いのか」

 ヨルの言葉にコトリが黙る。

「地上の空気に一回でも触れたら、天空には帰れない。それがルールだろう?」


 まだどこかで爆発が続いていて、白い煙がたなびいている。

 カプセルを見ながら、ヨルはコトリの返事を待つ。


『それでも』

 絞り出したような声が、インカムから聞こえて来た。

『それでも、生きて欲しいわ』

 ヨルは目を閉じて溜め息を吐く。その言葉は大人の身勝手で子供に選択の自由がない。かと言って子供に選ばせてやる時間もなかった。

「……分かった、請け負う。移動させる人型を降ろしてくれ」

『ありがとう、ヨル。じゃあ、降下地点を送るわ』


 ヨルはカプセルからチューブを切り離し、片手で抱える。時折何かの確認のように、ぴい、と鳴くそれに、返事をしながらバイクまで戻る。

「振動と大きな音がする。我慢してくれ」


 通じているかどうか分からないが、一応断りを入れてからバイクを発進させる。メーターの横に付いているレーダーに物資ポッドの降下地点が点滅している。

 時間がないと分かっているコトリが随分近くに降ろしてくれるようだ。


 物資ポッドには、接続用の道具と、小さな人型。

 止めたバイクの横に自動ハウスを出して、中で接続作業をする。

 ちょうどしまい込んだ時間で、飼育カプセルの点滅が消えた。

 間に合ったと息を吐いたヨルの耳に、くすりと笑い声がする。

『頼んだわね』

「ああ、分かっている」

 それきりコトリの通信は切れた。

 ベッドに寝かせてある小さな少女を見て、ヨルは溜め息を吐く。


 外に出て煙草を咥える。

 遠目にはまだ燃えている天空都市の残骸。

 辺りが暗くなっても炎がチラチラと光っている。

 それは何日も続き、天空都市NO2は地上で沈黙した。



 ベッドの上の少女が目を覚ましたのは、日が昇り中空に差し掛かった頃だった。見守るヨルの前で、グイッと寝返りを打った。それからぱちりと目を開く。

 周りを見回し、布団の感触を手で触り確かめた後で、自分を見ているヨルに気が付いた。

「ぴい。ぴぴい」

「…そうだ、俺が助けた」

「ぴ?ぴいい、ぴ?」

「お前が居た場所は壊れた。お前の他に生存者はいない」

 少女が息を飲む。ヨルはまだ少女を見たままだ。


 少女が目覚める間に、ヨルは二回目の探索を落ちた天空都市で行なっていた。大人の天空人もいたのだが、その殆どが虫の息で、治療を拒んだ。地上では生きたくないとヨルに告げた。その意思を尊重して誰も助けなかった。

 だから生存者は少女一人だ。


「ぴ…」

「それからお前に、しなければならない事がある」

「ぴ?」

 首を傾げる少女に、ヨルは小さな首輪状の機械を見せる。

「これを首に付けて欲しい。これは地上の民の言葉の翻訳機だ」

 少女はその首輪をじっと見ている。ヨルは持ったまま差し出すことを戸惑う。


「これは一体型だ。お前は天空の民の言葉を喋られなくなる。意味が分かるか?」

「…ぴい。ぴいいぴぴい、ぴい?」

「そうだ。もう天空には戻れない。故郷には入れない」

「ぴぴぴ?」

「此処は地上だ。お前はもう地上の空気に触れている」


 ヨルの言葉に、少女がくしゃりと顔をしかめた。

「ぴい、ぴぴ、ぴ」

「……ああ、すまない。お前の意思は確認しなかった」

「ぴい!ぴ、っぴい!!」

「そうだな」

 涙をボロボロと零す少女に、ヨルは謝る事しか出来ない。

 天空人はその生き方に誇りを持っている。それは遠い昔の上流階級の人類のように。いきなり地に降りろと言っても、拒むばかりなのだ。都市が落下して命がないと分かっても。


 ぐすぐすと鼻を啜りながら、ちらりと少女はヨルを見た。

「ぴい」

「うん?」

「ぴい、ぴ」

「拒めば、か?」

「ぴ」

 ヨルは目線を首輪型の機械に落とす。

「……処分だ。それ以外の選択肢はない」

 ピタリと少女の泣き声が止まる。

「なるべく、楽にしてやる。苦しくないように」

 少女がヨルをじっと見ている。ヨルは視線を下げたまま少女を見ない。

「…ぴい…」

「地上で天空人が見つかれば、生きたまま惨い殺され方をするだろう。理解する人もいる。けれどその数は数えるほどだ。ほとんどの人が無益な憎悪を抱えている」

 少女がじっと見ている。

「天空人が考えている以上に、地上の民は天空を羨んでいる。自分たちを見捨てて天に昇った人類を」

 ヨルの言い方に少女が肯いた。それはヨルには見えていない。


「ぴいーぴ!」

 両手を差し出して、涙目のまま少女が笑う。

「そうか。…すまない」

 ヨルが少女の首に首輪型を取りつける。パチと音がして少女がびくっと動く。痛みが多少あったのだろうが、ヨルはその接続部分を指でなぞる。ゆっくり人工皮膚の下に埋まっていく機械の行方を観察している。

「…終わった?」


 ヨルに少女が話しかける。可愛らしい高い声。

 少女自身がその言葉に驚き、ヨルを見上げる。困った様な顔をしてヨルが頷く。

「終わったようだな」

「変な感じ」

「そうか」

 ヨルを見上げたまま、少女が笑う。その顔を見てヨルは頭を撫でた。


「何か食べるか?」

「うん。お腹空いたね」

「そうか」

 小さなキッチンに立ったヨルに少女が問いかける。

「ねえ、あなたの名前は?」

 ストック箱から野菜を出しながら答える。

「ヨル」

「ヨル。うん、分かった」

「お前の名前はディナと言うそうだ」

「私はディナ。それは誰が付けてくれたの?」

「天空人の長だ」

 ディナは目を開いて泣きそうになる自分の目元を擦る。

 一つだけ貰った天空の贈り物。

 立ち上がったディナは、料理をしているヨルに後ろから抱き付く。そんな事をされると思っていなかったヨルは、斜めに振り返りディナを見降ろす。

「…早く、食べたい、なあ」

 鼻声のディナの催促に頭を撫でてから、ヨルは調理の続きを始めた。




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