奈落の雪

汐田ますみ

恋情、熟れる

 時計塔の鐘が鳴る。此れは私が生まれる前の私の物語。 _______________降りしきる雪の中、王女は産まれた。


 此処はウィグル王国 王都。

 王女誕生の報せは国中を包み、三日三晩宴が途切れる事は無かった。只々幸せだった。


―.あの日までは。

 物心ついた頃、王と王妃が亡くなった。

 不運な事故であった。それはそれは、国中が悲しみに暮れた。さめざめ流した涙は三日三晩途切れる事は無かった。

 唯一人、王女を除いて。


『リリア・ウィグル様、貴方は希望です』 『プリンセス、此方をお召を』

『リリア様早く…………』



 不運な事故と誰もが決めつけた日から数十年の歳月が流れた。幼くして王夫妻を亡くした悲劇の姫君は見目麗しき乙女に育った。

 それが私、リリア・ウィグル。


 あってはならない事故。私だけが知る秘密。両親が亡くなる数時間前、私に囁いた言葉があった。今にして思い返せば遺言だと解る。


『私達が消えようとも心を強く持て。決してと戦ってはならぬ』


 隣国アーデル。

 冷戦関係になる事凡そ20年。何せ両親が亡くなったのは涙の流し方すら分からぬ幼少の頃、遺言を思い出すのに時間が掛かってしまった。

 両親を屠ったのはアーデル王国の刺客だ。未だ、冷戦関係が維持されているという事は家臣共は真相を知らぬという事。


『リリア様公務のお時間です』

『御食事の準備が整いました』

『王女様…お早い御決断を……』


 言ったところで、報復戦争が始まるのみ。親殺しのアーデルが今頃薄ら嘲笑っていると 思うと腸煮えくり返りそうだが無辜の民を巻き込む訳にもいくまい。


 信じてもらえなかったらとは微塵も心配していなかった。何故なら私の言葉は王女の言葉であり王の裁断だから。


 さて、時間が来た。分刻みの人生で唯一与えられた誰にも邪魔をされない自由な時間が来た。私の生き甲斐だった。


 顔を隠し、服を変え、身分を偽り、城下町を駆け下る。靴屋を通り抜け花屋を曲がって暫くしたら酒場が見える。こっそりと裏に回り少し歩いたら到着。

 人気ない秘密の一角で腰を下ろす。此処では、私は王でも王女でもない町娘。思いっ切り涙を流す自由な私。



「どうして泣いてるの?」

「!貴方は………」


 知性溢れるサファイアの瞳。深海を彷彿とさせる青髪。身形を整えた青年が独り、私と出逢った。

 背後から聞こえた声に鼓動が弾け咄嗟に護身用短剣を手に取り彼を見つめる。


「僕は……そうだな。昔は名前なんか無かったんだ。好きに呼んでくれていい。君は?」「私はリリア。泣き虫町娘よ」

「この国のお姫様と同じ名前だね」

「珍しくないよ」


「そうかな?失礼…!」

「えっ。何を」


 青髪の彼は笑みを絶やさず、興味津々に私を見つめる。正体を明かせば二度と自由な時間は取れないかも知れない。涙を拭い澄まし顔で彼を一段強く見返した。

 何を思ったか、彼は軽やかな足取りで私に近寄り手首を掴むと短剣を奪った。


「思った通り素晴らしい作品だ。よく見て、知ってる?ココに王家の紋章が施されてる。お城に帰ったら職人に話すと良い、護身用に紋章は要らない」

「……」


「ウィグルのお姫様は想像よりずっと小さいね。僕を反逆罪で処刑するかい?」

「…見せしめにするのも悪くないね。けれど止めておく。このままで構わない」


 手首を掴んだまま短剣をなぞり、子供に読み聞かせするような口調で耳元で囁く。不思議と命の危険は感じなかったが彼の素性が益々分からなくなり私は吐息を漏らした。


「強情だね」

「どうして泣いてるか教えてあげる。私は重圧に耐えられない。耐えられなくて、溢れて泣く。誰も私を見てくれない…子供みたいでしょ。満足?」


「此処は君にとっての秘密基地なんだ。僕もね悩み事があると部屋に籠もって意地でも外に出ない」


「どうして笑っているの?」

「え…」


 素性の見えない人間がヘラヘラと笑う。何て嘘臭いツラなのだろう。彼に興味は無かったが、微笑を取り消したく思うようになった。

 意外や意外、彼は地雷を踏まれたような崩れた顔で私をまじまじと見つめ唾を飲み込んだ。


「僕が笑っていないと皆が心配するからさ。それに慕ってくれる人も大勢いる」

「だからって笑って終わらせるのは卑怯だと思う。私は弱音なんて吐けない立場だけども貴方は違うでしょう」


「違う、か。確かに違うよね。君は子どもで僕は大人だ。それとも、僕が大人にしてあげようか?」

「貴方の様な稚拙な人、大人には見えない」


 取り消せたのはワンカットのみ。瞬き一つで彼はまた笑った。見ず知らずの彼に弱音など吐けないと言う弱音を吐いた。私と同年代か一、二歳上かと推測していたがどうやら見た目よりも年上らしい。まるで必死に背伸びする子供のような様相に思わず彼から距離を取る。


「僕をそんな風に思う人、初めてだ。君は面白いね。明日も此処へ来なよ。相手してあげる」

「……考えておく」


「また此処で、待ち合わせだ。時計塔の鐘が鳴る頃会いに行く。じゃあねリリア」 「っ!」

(呼び捨てされた……。私を、呼び捨てにしてくれた)


 生まれて此の方、敬称を外されたのは初めてだ。私の名前はリリア・ウィグル。リリア様では無い。

 初めて、自分自身を見つめられた気分に陥り裸の心に衣を掛けた。其れが恋衣だとも知らずに。

_________________

 毎日とは行かなくとも私達は僅かな時間を二人で過ごした。


鐘が鳴る。出会う。鐘が鳴る。城へ帰る。

鐘が鳴る。季節が巡る。雪が降る。出会う。

手を交わす。背伸びする。鐘が鳴り終わる。


 青髪の彼と出逢い三年が経過した。変わらぬ景色に変え難い関係。もどかしくも暖かな感情を知った。……両国は破滅へと向かう。



『リリア・ウィグル様。もう昔のように誤魔化せませんよ。御婚約なさってください。

……国境の治安は悪化する一方です。取り返しがつかなくなる前に世継ぎを産み基盤を固めましょう。国力を上げ、盤石を整えた暁には……アーデルも迂闊に手を出しません。何度でも伝えましょう。賢い御決断を』


 齢十五の時から口酸っぱく言われ続けた。親殺しのアーデルは王位継承者の私が大人になる前に、国力を伸ばし続けた。かつて均衡した勢力は何処へやら。今やアーデルがウィグルを何時侵しても不思議では無くなった。  

 私が女だから舐められるのだと、王子を産み女王としての使命を果たせよと家臣共は好き勝手言って酒の肴にする。ウィグル内部でも不信感は募っていたのだ。


「分かってはいたけど」

『リリア様何方へ!?』


 三年間、人を視た。国を視た。されども私を見てくれる者に出会う事はなかった。 青髪の彼以外は。脇目も振らず只管走った。

 逢瀬を重ねた城下町の一角を目指して。


鐘が鳴る。

「此処は落ち着く」

「待ってたよ」

出会う。


「暫く会えなくて寂しかった」

「…そう。戴冠式でせわしかったから」

「ウィグルは18で成人だったね。僕とした事がすっかり忘れていたよ……リリア」 「……」

「元気ない…心配事でも?」


 王女は女王へ戴冠した。其れは、私が大人に成ったと言う事実でもあった。

 会えた喜びより会えなかった寂しさを補う様に手の甲に触れる唇。 彼と過ごす内に見えてくる、瞳の奥の燃ゆる情景。見えなくなってゆく澄ました感傷。


心が熱い。嗚呼、衣を着せ過ぎてしまった。なんて盲目的な愛。


「貴方に会いたかった」

「僕も……触れてはいけない高嶺の花を想わなかった日はない」


「聡明な貴方は感じているでしょう?時期に国境線は崩壊し、戦が始まる」

「…そうだね。アーデルはどうしてもウィグルを潰したいらしい。まるで悪霊にでも取り憑かれてしまったみたいだ」


「私は止められなかった」

「僕も止められなかった」


「けど最後の最後に開戦を決めるのは私達。そうでしょう?」

「……そうだね」


 指を絡ませ熱を確かめ合う。国内の治安悪化に両国の外交悪化、開戦の気配は大人でなくとも感じ取れる。私の吐息が白い。彼の体温が低い。もう時期そんな季節だ。

 城下町の喧騒が遠退く。


 私と彼と幾許かの贖罪と。手を伸ばせば届く距離に甘えて私達は見て見ぬ振りをした。来る訳もない何時の日かを夢見て。


「ねぇ…私と婚約して。アーデルに対抗する為に。それに私はきっと貴方の事が…んっ」

「リリア僕には慕ってくれる人が大勢居る。彼等を裏切るなんて行為は…したくない」


「…せめて貴方の名前を貴方の声で教えて」

「前にも言ったろ?好きに呼んでって」



鐘が鳴り終わる。

「…貴方が好き……」

「…君が好き」

別れる。


 行き場の無い感情を持て余す私達は、子どもじみた動機に目を背けた。彼の指先が紅い唇に生暖かい体温を齎した。運命の崩れる音は何故こうも心の琴線に触れるのか。

 縋りつく様な告白を二人して受け止めた。交わる想いに虚しく響く鐘の音色。確信しつつある彼の名を、彼自身の口から聞きたかったが遂に叶わなかった。そっと離れる距離。


 鐘が鳴り終わると青髪の彼は大人を一人残して行ってしまった。未練がましく去り行く背中を見つめていると、彼が足を止め振り返った。嘘臭い面でヘラヘラと笑った。私は貴方の笑顔が嫌いでした。



  一ヶ月後、戦争が始まった_。

___________________

 三年前、祖父に連れられ訪れた先で女の子に出逢った。赤々と熟れた林檎のような瞳に焼け焦げてしまいそうな夕焼け色の赤髪。


 泣き虫町娘は強がってはいたが、僕とは違いまだ子どもだった。彼女の名はリリア。

 なんと言う事だろう。身分を偽り此処に居たのだ。……僕と同じだ。



『ロイド様、お帰りなさいませ』

「ただいま。ご苦労」

『本日で約束の三年目が過ぎました』

「そうだね」


 リリアは僕に笑う理由を問うた。体内に電流を流されたような酷い衝撃に襲われた。生まれて此の方、一生縁のない言葉を彼女に投げ掛けられ瞬間、世界が色付いた。

 その場で取り繕った回答は紛れもない事実であり本音だ。彼女の知らない世界を僕は見てきた。


 何故会いに行ってしまったのだろう。無知なリリアを悲しませる前に関係は切っておくべきだった。何度も何度も聴いた罪の鐘音。 

 会っては別れを繰り返し、三年が流れた。日に日に大人の器へと昇華していくリリアに絆され御身を手繰り寄せた。


 ごめんね、僕はウィグルの人間じゃない。


「僕はどうして笑っているんだろうね」 『はっ?ご自分で仰っていたではありませんか。敬慕の念を向ける国民皆が安心して今日を暮らせるように笑い方を忘れた者が自分を見て笑い方を思い出せるようにと……ロイド様はそう仰っしゃいました』


 生まれながらにして与えられた地位、最高級の教育、他者が整えた環境、冷める事のない料理、貧困とは無縁の上質な装束。

 花に触れても土には触れず、花壇の整理すらさせて貰えない人生を虚しいと思い、肝心の笑みすら張り付いて存在意義が曖昧になっていったのは、はてさて何時頃か。


『覚悟をお決めくださいロイド様。時期に戦が始まります。アーデルの子らを殺した民殺しのウィグルに復讐する時です』


 愛しい人、知らないとは言わせない。姫君の生まれる一週間前の出来事だ。アーデルで大規模な火災が起こった。瓦礫の中から引き上げた人間だった肉片が握っていた衣服の裾が犯人へと繋がる唯一の証拠。


 青色屋根の美しい町だった。高台から見渡す町は青海原を思わす人工美であった。市場に出回る海色の硝子細工の特産品は見る人の心を奪う造形であったが、全て無に期した。


 千切れた衣服の端を調べて判明した事実、アーデルには無いウィグル特有の植物繊維が使われていた。答えは既に出ている。


「君に逢えてよかった。叶うなら君だけに逢いたかった」


自国アーデルに時計塔の鐘はない。鐘も鳴らなければ君も来ない。報復は行う、アーデルの民にとってのケジメだ。


 ほんのり紅い唇を封じて、君を攫いたい。立場を投げ捨て離した手を引き寄せ誰にも邪魔をされない僕だけの世界に君を閉じ込めてしまえたら僕は救われるだろうか。

 灰被りの町は未だ色を取り戻せないでいる。


「……始めよう。ウィグルへの報復を」 『そう宣言してくださると皆が信じておりました。仰せのままに…ロイド・アーデル様』


 君は今頃気付くだろう。目を背けた真実に。 アーデルの王として僕は運命の歯車を廻す。 ロイド・アーデルは民を無碍にしない。世界が望むのなら僕は戦犯者と成ろう。



 世界とは舞台だ。得も言えぬ内に重い緞帳が上がり拍手喝采の壇上に投げ出される。脚本も無しに踊り狂う。廻り回って漸く自分は演者だと気付かされる。あれよあれよと言う回る間にとっかえひっかえ日が沈む。何時の日にか照らす明かりが消え、響く音が消え、シャンデリアが世界を割る頃、目が醒める。



 一ヶ月後、戦争が始まった_。


「僕の世界は、一体誰に見せるモノだったんだろうな」

___________________  

 万の軍が死する。大好きなウィグル王国が、アーデルによって破壊された。築き上げた町が年端もいかぬ子供達が戦火に散る。


「これは背丈の似てる貴方にしかお願いできない。引き受けてくれてありがとう」

『女王様……っの命令に従って…当然です』 「……泣き痕は隠してね。この手記を手放さない限り、貴方が罪に問われる事は無い」


 本日の予定、馬車に乗り別荘まで逃走。開戦を宣言させておいて、失ってはならない女王を安全な場所に閉じ込めようと言う魂胆が見え見えだ。

 覚悟は決めた。女王としてではなく、私個人として独りで城を抜けよう。


 馬車に乗る子は背丈と声音の良く似た侍女。逃走するのだから顔を見せなくとも違和感は無い。ドレスのチャックを上げ、侍女の衣服を整える。優しい子だ。女王命令として強要したにも関わらず私の未来を悟り涙を流している。

 然し、女王は泣かない。泣き止んでくれると助かるよ。私の直筆サインと意志が記された手記を懐に隠させ侍女を置いて部屋を出て緊急用の地下通路を目指す。


『どうか、どうか、女王様がこれ以上苦しみませんように……』

_________________________鐘が鳴る。運命の地へ辿り着く。


 ウィグルの紋章が象られた剣を抜く。体格に沿って造られた私だけのオーダーメイドが白く泣いた。


「あぁ…雪が降ってきたのね」


 時の針は速度を変えない。置いていかれまいと世界が廻る。くるくる酔ってしまいそう。螺旋階段を登り、ウィグルの象徴とも言える時計塔の最上へ到達する。

 ほら見て立派な鐘がこんなにも近い。



ほら見て、

「君ならきっと来てくれると信じていた」 見てよ。


 最上から景色を眺めていた青髪の彼が足音に気付き此方を振り返って笑った。三年間変わらなかった貴方が今日は違う。ヘラヘラ笑っても、綺羅びやかな礼装は誤魔化せない。そんな筈は無いと言い聞かせていたのに彼は何時も大人気ない。


「リリア逢いたかった」

「私も逢いたかった……と思う」

「僕の名前、知りたい?」

「必要ないわ」


 何故ウィグルの時計塔に居るの?貴方は自分の世界を捨ててしまったの?湧き上がる疑問を呑み込んで一歩踏み出した。彼もまた踏み出す。一歩、二歩、三歩、進み続け手を伸ばせば届く距離まで歩き立ち止まった。


「リリア」

「写真を見たの」

「…うん」

「ロイド・アーデル。アーデルの王様」 「大正解。良く出来ました」


 ガンッと音が鳴る。冷え切った煉瓦に職人技が込められた剣を落とす。鈍い金属音が辺りに響くものの生憎人の気配は無い。

 戻れない。その先へ行ってはならない。私も彼も後先考えないおバカさん。


 青髪の彼ロイド・アーデルは写真の中でもヘラヘラ笑っていた。雪被りの私達は何方かとも無く引き寄せ合った。零度を下回る気温でも私達は血のかよった人間。だってほら、こんなにもぬくぬく温かい。


「親殺しのアーデル。憎き仇がロイドだとは、信じたくなかった。アーデル…!!」 「民殺しのウィグル。君が祝福を受ける前の話だ。何故にのうのうと生まれてきた…?!」


「……なんて言ってももう遅い。私達は万の軍を死なせている」

「…そうだね。軍人にも愛する家族は居る。彼等にだって人生はある。僕達は守り尊ぶべき彼等を送り出した」


 自分の人生を呪ったところで仕方無いと堪えてきたが限界だった。抱き合えば感じる体温。宿敵とも言える相手に愛を求めた。

 運命の歯車を逆回転させて自由に止められたならば、成就したのだろう。こんな世界でなければ今頃は絵に描いたような人生を二人同じ歩幅で歩めたのだろう。


 愛しい人が憎い。憎い人が愛しい。

 せめて貴方が此処に来なければ、良かったのに。私の心を引っ掻き回してなんて無責任な人。


「もしも二人で逃げ出せたら幸せになれるのかなリリア」

「この世界には逃げ場なんて無い」


「夢の無い事を」

「此処は現実よ」


 体温が逃げぬように強く抱いた。現実世界に夢も希望も無い。そう現実世界には。

 慎重に手を動かし目的の物に触れる。アーデルにも一流の職人は居るみたいだ。護身用でなく正真正銘の長剣を鞘から抜きロイドに切っ先を向けた。


「僕を殺して英雄になるかい?」

「晒し首も悪くないね」

「君が刃を向けると言うのなら、僕も刃を向けよう。君の亡骸に傷は増やさない」


「ありがとう。優しくて愚かな人」



痛いだろうなぁ。

「ゔっっ」

「何を…リリア!」

あぁ…痛いなぁ。


 此れは罪。


 ロイドから離れ、自らの身に長剣を突き立てた。積もり積もる白雪に紅を足す。最期まで、気丈で在りたかったのにみっともない血飛沫が衣服を濡らした。


 ゆらゆら、ゆら、塔の端から町を見下ろす。 最後には相応しい景色だ。長剣を引き抜く力も残っておらず、不格好な姿で時計塔の最上から私は堕ちた。


 貴方の剣で私が死ぬ。アーデルの王がウィグルの女王を討ち取ったり。英雄は貴方の方。雪の中で産まれ雪の中で死ねるのなら本望。


 さよなら。


「君が死ぬと言うのなら僕も伴に逝こう」 「ロイド……」


「せめて一緒の断頭台で。リリア」

「ロイド…!」


 天を向く赤目が記憶した最期の最期の光景。 一切の迷い無く飛び降りたロイドの微笑み。 温かい…もう大丈夫、痛くも寒くも無いよ。


 時計塔の鐘は鳴らない。


 ウィグル王国の女王リリア・ウィグルと

 アーデル王国の王ロイド・アーデルは同じ日、同じ時、同じ場所で緞帳を降ろした。


 雪は何時止むのか。雪染めたる血潮より、深き爪痕を覆い尽くすまで降るのだろうか。

 _奈落に落ちた二輪の花は赤く熟れる_。

_______________________此れが私が生まれる前の私の物語。


 背伸びして彼を待つ。今日は冬晴れの心地良い日和だけれど雪は降っていても良かったのに。


「リリー待った?」

「全然。昔の事を思い出していたの」


「昔?それって僕と出会う前?」

「ずっと昔の遠い記憶」


 運命の歯車を回して止まった。其の昔此処は王政だった。

 史実によると幾千年前に起こった戦争であろう事か対立国の王と逢い引きし、心中したと。雪に埋もれた二人は引き離され、戦争はより過激に。されども二人の御心を代弁する者が、現れ女王の国が和睦を申し入れた事で漸く戦争は終幕を迎えた。


「今日は悪いね。観劇に付き合ってもらって」

「良いって、二人の仲でしょ。それにネットで調べて吃驚したんだ。まさか、舞台になってるなんて」


「何の事?」

「舞台が終わったら時計塔に登ろっロイ」


「好きだよね。時計塔に行くの」

「大好き!」


 指と指を絡ませ手を繋ぎ劇場へと向かう。赤でも青でもない量産された宝石が左手の薬指で輝く。二人でお金を出し合って決めた。

 長剣より価値のある指輪。 彼は知らない。私だけが知る追憶。知ったらどんな顔をするかな。……知らなくても良いか。



  鐘が鳴る。出会う。道は続く。

___________________

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奈落の雪 汐田ますみ @hosiutusi

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