第31話 バック トゥー ザ ダンジョン

 ダンジョン25日目 酒場『サソリ』亭の前にて


 サソリ亭の店の前には、まだまだ酔客がたむろしていた。

 ケンの話したことが聞き取れずに、俺は立ち止まり、もう一度話してくれるように頼む。


「ほら、あのミスティとかいう女。貸してくれよ」


 何言ってんだ、こいつは?

 

「いいだろ。あんないい女と一晩楽しむことができたら、俺が知ってることを何でも教えてやるからよう」


 ニヤニヤを隠そうともせず、ケンは酒臭い息を俺にかけてくる。

 

「さっきも言いましたけど、知りたいことなんて安く物が買えるダンジョン商人や可愛いお姉さんのお店ぐらいッスね」


 あくまで態度を変えずに俺は答える。

 ケンの擬態ってことも考えられるし、あくまで俺は異世界に満足している普通のダンジョンマスターってことにしておきたい。


「どうしてもダメか?」


 ポケットから金色に光る硬貨を3枚取り出した俺は、それをケンの手に握らせる。


「兄貴~。この金でお姉さんのお店に行ってくださいよ。ミスティは、この世界出身のせいか、肌の匂いなんかもよくないッスから」


「へえ、あんなに綺麗なのに臭いのか?」


「ま、まあ、そうなんです。残念ですけど」


 じゃあしょうがないとばかりに、ケンはポケットに3枚の金貨をしまい込む。


「ありがとよ。じゃあ、これはありがたく使わせてもらうよ。で、弟分に一つのアドバイスをしてやろう」


「はい、何でしょう?」


「ギレンの兄貴は女好きで美人に目がねえ。ミスティもそうだが、あのクリュティエって奴にもかなりご執心のようだったぜ。お前がこの世界でうまく立ち回りたいんなら、ギレンの兄貴に女を献上した方がいい。すぐに、商会の幹部になれる」


 そう言うと、ケンはそそくさとその場を立ち去っていった。

 ケンが立ち去るのと同時に、小さなコウモリが俺の前を飛び回る。

 そうして俺の服の端を咥えて、誰もいない木の茂みの方へ連れて行こうとする。


 誰にも後をつけられていないことを確かめると、俺は素早く木の茂みに身を隠した。

 その瞬間、ミスティは人間の姿に戻っていた。


 はい、分かってたけど、真っ白な裸体を惜しげもなくさらしてますよね。


 すぐに後ろを振り向き服を無言で渡すと、これまた無言でミスティも着替えをしている。


「……マスター」


「何だ?」


「私、そんなに匂ってる? 嫌な匂いがするの?」


 さっきの会話を聞かれてたんだろうな。

 断じてそんなことはない! むしろいい匂いなんだが……。

 ただ何度否定しても、ミスティは悲しい表情を崩さなかった。

 

「あれはケンを騙すための嘘だって」


「本当?」


「本当だ」


「じゃあ、どんな匂いなのか感想を聞かせて」


 そう言って俺を抱き寄せ、胸に押し当てる。


「さあ思う存分、どうぞ!」


 これじゃあ、俺が特殊性癖を持ってる変態みたいじゃないか。

 こいつ!

 しかも、ハーブ系の妙にいい匂いがしてくるから、いろいろやばい。

 ミスティはその怪力を発揮したまま、俺を抱きしめて離さない。


「ミスティ、とにかく離れろ! もうすぐダンジョンに戻る時間だから宿に帰っている必要があるんだ」


「私をあの男に貸さない?」


 俺はミスティのおでこ目がけて、デコピンをおみまいする。


「そんなこと絶対にしない。ミスティ。前も言ったけど、俺がこの世界で信じてんのは、お前とクリュティエくらいだ。そんな二人を他の男に渡せるもんかよ」


 抱きしめる腕にさらに力を込めたミスティの安堵の溜息が、俺の頭の上から聞こえてくる。

 大丈夫、安心しろって言いたかったけど、この体勢じゃかっこつかないな。

 

「ミスティ。ちょっと痛い!」


 ミスティはパッと俺から手を離したけれども、不安そうな表情のままだ。


「俺はダンジョンマスターだから、配下の安全は絶対に守る。まして、売ったりなんかしない。約束する。」


 涙で潤んだ目で見つめるミスティはようやく、安心したようだ。

 宿に帰るために茂みから出て、静かな夜の町の中を急ぎ足で歩く。

 深夜に近い町は喧噪がなくなり、静けさを取り戻しつつあった。

 

 宿に着いたのは夜の12時少し前で、クリュティエの部屋に入り込むとノーラ婆さんも一緒に待っていた。

 帰る準備は万端のようだな。


「マスター。遅い! もう帰る時間だよ」


 クリュティエの非難をかわして、俺はベッドに倒れ込む。

 枕に顔を埋めながら、また、ダンジョンに逆戻りかと少し憂鬱になる。

 でも、やるべきことが見えてきた。


 ダンジョンに戻ったら、まずケンから情報を得る必要がある。

 それに、敵とは何かをきっちり見極めたいし、元の世界に帰りたい。

 ぐるぐると考えが頭を巡る中、俺は少しずつ瞼を閉じていった

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