#3:海坂高校という場所

 学園漫画などではよく、転入生が初日の質問攻めにされるシーンがあるのだが、現実ではそうはならなかった。昼休みまでに、わたしが会話をしたのは自分の席の周囲に座る生徒たちだけだった。

 これは単に海坂高校が進学校でがり勉の集まりで、休み時間も多くの生徒が自分の席で勉強に励むから、ではない。最初にこの教室に入った時に感じた、どことなく適度に緩んだ空気感がこの教室の持ち味らしく、休み時間の様子はわたしがかつていた学校――つまり小学校とか中学校とかなのだけど――それらと何ら変わらない。クラスメイトの歓談に多くが費やされている印象だった。だからわたしに率先して話しかけてこないのは、学校にまだ慣れないわたしの負担にならないよう慮ってのことなのかもしれない。

「それにしても飛び級なんて随分生き急いでいるね」

 魚河岸白鵜。名前からして明らかに章魚理事の身内らしい彼の質問は、一般的なそれであった。…………一般的か? 貶されてない?

「中学校には通っていたのかい?」

「……一か月ちょっとだけね。海坂高校の転入試験に受かってからは、もう通わなかった」

「中学校か。懐かしいなあ」

「………………」

 本来であれば、こちらにも聞きたいことがある。章魚理事との関係性もそうだが、それ以上に、こいつの呟いた五月の事件について……。

 ただ、事件というものが彼にとって探られたくない腹らしいのは分かる。わたし自身、父親の件を探られたくはないと思っているし、その感覚は共感に値する。いまいち、踏み込んで聞きづらい。

「そうだ。君はどこの出身なんだい?」

「出身?」

「うん。この学校、全寮制だから全国から生徒が来るんだよ。それこそ北は北海道南は沖縄って感じで」

「あー」

 さっそくこちらの探られたくない部分は探られているな。

 獄中の父の死というのは、もちろん自殺である。持病があるわけでもない、死刑判決が出ているわけでもない人間の獄中死など自殺以外にあり得ない。そしてその一件は、全国規模でさらりとだがニュースになっている。もともと、父親の起こした事件というのが結構センセーショナルだったというのもある。あまりこの事件につながる情報は出したくないのだが……。

 しかし考えてみれば、わたしの戸毬木という苗字こそ最大の情報である。自己紹介の際にこの名前を出して、特にそれらしい反応もなかったし、案外警戒し過ぎか。出身地を言い渋る方が怪しいし、ここは普通に答えよう。

「愛知県」

「名古屋の方か」

「三河の方。静岡寄り」

「そうなんだ。それじゃあ粒太と同じじゃないか」

 そう言って、白鵜はわたしの隣に座る男子に話しかける。

「なあ粒太、この子、君と同郷なんだって…………。あれ?」

 呼びかけられた彼は、ぼうっと黒板を見ていた。一時限の終わり、二時限の終わりとここまで既に二度の休み時間を経由しているが、先ほどから彼はこうである。授業中は普通なのだが、休み時間になるとすぐにぼうっとする。それが彼のいつもなのかと思ったら、どうも白鵜の反応からしていつも通りではないらしい。

「おい、粒太?」

「ん? あ、ああ」

 ようやく反応した。

「どうしたんだ? さっきからぼうっとして」

「いや…………」

「あ、自己紹介したっけ? 羽衣、彼は貝原粒太りゅうたと言うんだ。このクラスの学級委員長だし、何かあったら頼っていいよ」

「勝手に頼らせるな」

 貝原……。じゃあやっぱり今朝見た生徒だったのか。でもなぜこんなに上の空?

 チャイムの音が鳴る。四時限目が始まるのだろう。彼らとの会話を打ち切って、次の授業のために教科書を鞄から出す。次は数学だったな。

 ところが、教室の騒がしさは変わらない。さっきまでは、どんなに騒いでいても時間になったらちゃんと席に戻っていたのに。

「そうか、鮎川先生が伝え忘れていたね」

 きょとんとするわたしを見て白鵜が説明する。

「今日は学校に理事が全員揃うんだ。それで会議になるとかで、今日は四時間目から休みだって先週から決まっていたんだよ」

「理事が、全員?」

「うん。この学校には理事が五人いるんだけど、大抵は他の仕事で忙しくしていてね。たぶん、今年度に入って理事が揃うのは初めてじゃないかな」

「……そういえば、昨日の夜に出張から帰ったって言ってたね、魚河岸章魚理事」

「あ、父さんに会ったのかい?」

「父さん?」

 白鵜と章魚理事は身内だろうと名前で分かったけれど、まさかそこまで近かったとは。

「海坂は魚河岸一族の親族経営だからな」

 横合いから貝原が口を挟む。

「理事長を含めた五人の理事も全員が魚河岸の人間だ。苗字が魚河岸なのは理事長とこいつの親父さんだけだが、残りの三人も例外なく一族に連なる人間だ。ここまでべったり身内で経営してる学校もいまどきじゃ珍しいだろう」

「詳しいんだね」

「そりゃあな。白鵜とは、こっちに引っ越してきてからの腐れ縁だからな。こいつと一緒にいたら嫌でも事情には詳しくなる」

 そんなものか。わたしは飛び級とか奨学生制度とか、そちらの方ばかり気にしていたから学校の政治的な部分は明るくない。精々、そうした制度を整備した人間として挙げられていた、魚河岸章魚を知っていたくらいだ。

「でも、お前の親父さんが理事の中じゃ一番忙しいだろうな。先週もテレビに出てたし、雑誌の連載も持ってただろ。講演会も新年度前は多いらしいしな」

「そうだね。でもしばらくは落ち着くらしいよ。僕はずっと寮だから会う機会はあんまりないけど。兄貴は会議に出るんじゃないかな」

「兄貴……お兄さんがいるの?」

 意外だった。なんとなく、一人っ子だと思っていたから。

「あー。あいつか」

 ところが話が白鵜の兄に移ると、貝原は露骨に顔をしかめた。

「粒太は兄貴が嫌いだからなあ。独特な人だから、仲良くなれなくても仕方ないと思うけど」

「独特ってのはだいぶオブラートに包んでるだろ。まったく、あいつがでかい顔するからお前まで迷惑するってのに」

 ふむ。わたし自身は一人っ子だからよく分からない話だ。

 依然としてわたしたちは席についたまま会話をしているが、クラスメイトは各々立ち上がって教室を離れだした。

「そうだ」

 貝原が思いついたように提案する。

「戸毬木は、まだ学校の施設を全然知らないだろう。あゆねぇから聞いたが、こっちに来てからすぐに体調を崩してたんだってな」

「あー」

 そこももう全部言っちゃうのかあの人。

「まあね。もう大丈夫だけど。確かにこの学校って広いよね。小さいとはいえ島全部が学校だし」

「さすがに授業料がバカ高いだけあって、施設は充実してるぜ。全部一族の懐に消えてるわけじゃないみたいだな」

 白鵜はたははと笑う。

「人聞きが悪いなあ。うちはそんなにこの学校で儲けてはいないよ。むしろ父さんはお金を出している側だから。海坂の教育に口を出すなら金も出せって叔父さんに言われちゃって」

 叔父……。理事の一人か?

「よし、そうと決まったら案内しよう。あ、でもその前に昼食にしようか。羽衣は、大食堂以外に利用したことがあるかい?」

「大食堂? ああ、あそこね。うん。あそこ以外は使ったことないけど……。え、食堂っていくつもあるの?」

「ああ。じゃあ決まりだ。景色のいいカフェテリアがあるんだよ。行こう行こう」

 白鵜と貝原が立ち上がる。なんか気づいたらそういう流れになっていたが、まあいいかと思ってわたしも立ち上がって移動する。

 教室の出口を目指す途中、後ろからわたしを追い抜いたひとりの男子生徒に軽くぶつかった。「ご、ごめんっ」とその男子は何やら急いでいるらしかったが。はらりと、何かを落とした。

「あ、これ…………」

 慌てっぷりを見る限りでは気づかず行ってしまうかもしれなかったので、少しだけ声を張り上げて男子の動きを止めてから、落ちたものを拾い上げる。

 それは封筒である。事務的すぎる茶色や白のものではなく、いかにもファンシーと形容したときに万人が思いつきそうな、淡いパステルカラーのグラデーション豊かな彩色のなされたものだった。手書きの丸っこい字で表には「1-4 須藤くんへ」と書かれている。へえ落とした本人は須藤というのか……ではなく。裏返しても差出人の名前はないが、封は丁寧に、いまどき小学生でも使わないラメ入りのハート形シールで閉じられている。

「なにこれ? …………う?」

 じっくり観察してしまったが、いつまでたっても須藤某が取りに来ないので不審に思ってそちらを見ると、問題の須藤は体を硬直させたままこちらを見ていた。本当に石のようだ。試しに目の前で封筒をひらひらさせたが、一向に反応がない。

「ねえ、貝原。この人…………」

 仕方ないので学級委員長にこの場を託そうと思って貝原の方を向くと……。どういうわけかほとんど須藤と同じような状態で貝原も固まっている。目線が動いてわたしの持っている封筒を追うところだけは須藤と違ったけれど。

 よくよく周囲を見渡すと、クラスメイトが全員固まっていた。先ほどまでの弛緩した空気、歓談の雑音は聞こえない。今なら蟻の足音だって聞こえそうだと思わせるくらいに静寂だった。

 フラッシュモブでも始まるのか?

「何を拾ったんだい?」

 そんな空気の中でも動じなかったのは何を隠そう魚河岸白鵜ただ一人である。白鵜はわたしから封筒を取り上げて、自分でもよく観察する。

「これは、ラブレターみたいだね」

「それは見れば分かるけど……。誰のなの?」

「須藤くんって書いてある。じゃあ君のだろう」

 と、白鵜は先ほどの男子に封筒を突きつける。ああ、やっぱり彼が須藤で合っていたのか。

「う、あ、わ………………」

 すると石化していた須藤に変化があった。何か、言葉にならない音を喉の奥から絞り出す。

「…………わ?」

「うわああああっ!」

 ………………え?

 須藤は回れ右をして、白鵜から封筒を受け取ることなく教室を飛び出していった。

「…………なに?」

 いったい何がどうなっている?

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