第50話 協力依頼
手を腰の後ろで組みながら、少し前を歩いていたりんごが、バレリーナみたいに片足でくるりと振り返った。
「みんな、うちに来慣れてきたね」
りんごの父親が経営する楽器屋への道中。俺と京華が迷うことなく歩いているのを見て、りんごは八重歯を見せながら嬉しそうに笑う。
「まあね。そんなに複雑な道でもないし」
と、京華が肩をすくめて答える。
「それはそうだけどさ。私、小学校も中学校も家に友達を呼んだことほとんどなかったんだよね。通学範囲の端っこだったし、途中までは一緒でも、最後は一人になることが多くてさ」
「へぇ。誰が家に来るかって、そんなに気にすること?」
半歩後ろを歩いていた俺は少し首を傾げる京華の、揺れた髪の隙間から彼女のうなじを見た。……だからどうもないのだが。
「いや、実際そんなに気にしてないけどね」
りんごはそう言いながら、京華を見つめたまま後ろ向きに歩き続ける。相当慣れた道らしい。一度も振り返らないその様子に、背中に目でもついているのかと思った。
「ほら、誠人を見てごらん。こういう会話、全然興味なさそうでしょ?」
唐突に名前を出されて、俺は少しだけ眉を上げる。
「……」
「でもね、先輩って意外と黙って聞いてるんだよ。記憶力もいいし、昔の会話とかもちゃんと覚えてたりするの!」
「え、気持ち悪っ! 蓄音機みたいじゃん!」
「ただいまー」
自動ドアが開くと、来客を知らせるために取り付けられたベルが、からんころんとりんごの帰宅を告げた。まだ営業時間内だからか、店員たちの視線が俺たちに向く。体を屈ませてピックを選んでいた青年も、鏡越しにこちらをちらりと気にしている。
「おかえりなさい。誠人くんも、京華ちゃんもいらっしゃい」
レジ台のパソコンに向かっていた店長――りんごの父親が、少しだけ顔を上げて挨拶した。忙しそうな様子だが、まだ店が営業中なら当然か。挨拶の後、すぐに視線をパソコンの画面に戻す。
「お父さん。終わったらお願いがあるんだけど、いい?」
「いいよ。ただ、少し待つことになると思うけど」
「分かった。二人とも、奥でゆっくりしてて」
目を合わせないままの会話だったが、そこに不仲さは感じられなかった。むしろ、家族ならではの気安い距離感が伝わるやり取りで、俺はりんごに続いて店内の奥へと進む。楽器が整然と並べられたスペースには、独特の木の香りと金属の冷たさが混じった空気が漂っていた。
バックヤードを抜け、奥の階段を登る。二階と三階はりんごの家族の居住スペースになっている。俺はりんごの背中を追いながら足を運ぶと、階段の途中で店内とは違う雰囲気を感じた。落ち着いた暖色の明かりが、ドアの隙間から漏れている。
「あら、誠人くんじゃないの。久しぶりね」
階段を上がりきると、暖かな空気と一緒にりんごの母の声が迎えてくれた。部屋の中では、ふかふかの絨毯の上で洗濯物を畳んでいる姿が見える。俺たちの訪問にも動じる様子はなく、柔らかな笑みを向けてくる。
「お邪魔します」
この部屋には何度も来たことがあるけれど、いつ来ても変わらない温もりがある。強いて言うなら、壁に掛けられたギターが増えているくらいだろうか。
「あら、こんばんは。あなたが京華ちゃん?」
りんごの母は目を細めながら京華を見て、少しだけ首を傾げた。その様子に、京華も少し緊張したように口を開く。
「初めまして、藤堂京華と申します」
京華は名乗ると、「夜分にすみません」と言葉を足し、ぺこりと頭を下げた。
「そんなこと気にしなくていいわよ。りんごから話は聞いてたけど、本当に美人さんね。それに誠人君、なんだか男の子らしくなったじゃない。ビジュアルだけでも売れそうなメンバーね。こんな二人と同じバンドなんて……りんご、あんたも頑張りなさいよ」
「言いたいことは分かるけど、口に出さないで欲しいんだけど……」
りんごは深いため息をついて母親をあしらうように言い返したものの、手伝おうと洗濯物の山に手を伸ばす。母親の隣で作業を始める姿に、少し肩の力を抜いた様子が見えた。
「見た目だけ派手でも、お客さんを満足させることはできないわよ。バンドってのは、観て聴いてくれる人たちを魅了するカリスマ性が大切なの。一流の魅力っていうのは内側から輝いて色褪せないもの。取って付けたような張りぼての煌びやかさなんて、このパンツみたいにヨレヨレになって、いずれ捨てられて記憶からも忘れ去られるのよ」
例えに使われたパンツを見ると、確かに昨日今日のものではない。使用者の腰幅に合わせて伸びたゴムが不格好にヨレていて、薄いピンク色の生地は母親の言う通り、退色しているのが分かる。
「ちょっと、それ私の! 先輩、見ないでください!」
「……!」
りんごが慌てて立ち上がるなり、目の前に二本の指が迫ってきた。そのまま目潰しを食らい、視界が真っ暗になる。
なにも見えない世界で、りんごが声を荒らげる音と、それを楽しそうに笑う母親の声が耳に入ってくる。隣では京華がくすくすと笑っているのが分かった。やがて京華が俺の手を引き、椅子まで案内してくれる。柔らかな手の感触だけが、暗闇の中で妙に鮮明だった。
りんごの父が仕事を終えるまで、俺たちはりんごの部屋で海外のバンドのライブ映像を観ながら時間を潰していた。
懐かしい映像だった。俺がまだ言葉も話せなかった頃の物だが、音楽に夢中になってから何度も観たことがあるライブシーンだ。映像が始まると、俺たち三人はすっかりその世界に引き込まれた。やがて、部屋の扉がノックされ、現実に引き戻されたのはしばらくしてからだった。
「僕たちが音作りに協力していいのかい? もちろん引き受けさせてもらうよ。学園祭の日はもともと休む予定だったし、従業員も誘って全力でサポートするから安心してくれ」
りんごの父は、こちらの話を聞くとすぐに快く了承してくれた。それどころか、野外ライブに必要な音響機材を自ら運んでくれるとまで言ってくれた。学校の備品では限界があることを察しての提案だった。
「ライブハウスの機材を使えば、もっと良い音が出せるだろう。当日は車で運ぶから、安心して準備を進めなさい」
その頼もしい言葉に、俺たちは思わず顔を見合わせる。学園祭の野外ライブという規模を支えるには十分すぎるサポートだ。りんごの父はただの楽器屋の店長ではない。ライブハウスの運営にも関わっている彼の人脈と知識が、今この瞬間、強い味方になったのだ。
「ライブ、楽しみにしてるから、頑張ってね」
りんごの父に見送られ、俺と京華はその夜、りんごの家を後にした。帰り道、京華と並んで歩きながら、俺は明日の行動計画を頭の中で整理した。明田と実行委員会には早めにこの話を通しておかなければならない。何かトラブルが起きる前に準備を整える必要がある。
家に戻ると、俺は忘れないようメモを残し、机の上に置いた。それを見つめながら、学園祭に向けた大きな一歩を実感する。今夜は少しだけ、眠りにつくのが楽しみだった。
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