第三章 野武士と敵将

第1話 飛んできた矢(※主人公、一人称)

 新しい町で出会った、新しい友。それと別れるのはやはり、悲しかった。町の空がどんなに晴れていても、心の方は晴れていない。馬の上から見える景色と同じで、どこか浮いている景色だった。


 俺は馬の尻を蹴って、自分の馬を走らせた。想良様も俺の後に続いて、自分の馬を走らせた。俺達は次の町に向かって、自分の馬を走らせつづけた。「次の町は、『穏やかだ』と良いですね?」

 

 それに「うん」とうなずく、想良様。「冒頭は収まった」とは言え、やはり思うところはあるのだろう。道の途中にある川を渡った時も、浮かない顔で馬の手綱を握っていた。彼女は草地の上を駆け抜け、森の中に入った時も(今夜は、野宿だ)、馬の上から降りるまで、その表情を浮かべつづけた。


 俺も彼女の態度に釣られたのか、同じような顔で馬の上から降り、今夜の夕食を作り、彼女に「それ」を振る舞った。「お口に合うか分かりませんが。本日はこれで、許してください」

 

 想良様は憂鬱な顔で、その茶碗を受け取った。俺の家に伝わる雑煮が入った、茶碗を。「頂きます」

 

 そう言って、茶碗の中身を食べた。想良様は無言で雑煮を食べ、俺と一緒に自分の食器を洗い、程良いところに敷物を敷いて、その上にゆっくりと腰掛けた。


 俺も彼女に倣って、倒木の上に腰を落とした。俺達は食後の余韻に浸る中で、夜の静寂に心を落ちつけた。「静かですね?」

 

 想良様も、それに「うん」と微笑んだ。彼女は竹筒の中に入っている水を飲んで、自分の頭上を見上げた。彼女の上には木々の枝が見え、その上には美しい星空が広がっている。


「このままずっと、静かなら良いのに」


「そう、ですね。まったく」


 あんな事が起こらなければ、今も平和であった筈なのに。自分の人生が「幸せだ」とは思えないが、それでも「今よりはマシ」と思ってしまった。どんな不名誉も、戦争の悲劇には敵わない。


 俺は焚き火の中に枝を入れて、それが燃える様子を眺めた。「馬鹿騒ぎを楽しめるのは、世の中が平和だからです。本当の動乱になったら、そんな事は楽しめない。賀口達のような不満を、恐怖を抱くだけです。『こんな時代に生まれなきゃ良かった』と」


 想良様は、その言葉に暗くなった。動乱の時代を生きる彼女だが、こう言う話題はやはり嫌いらしい。それを話す事はできても、その内容自体にうなずくつもりはないらしかった。彼女は焚き火の動きから視線を逸らして、俺の顔にまた向きなおった。「話題を変えよう。これ以上は、暗くなる」

 

 俺も、それにうなずいた。せっかくの食休み、話すなら楽しい方が良いだろう。自分からわざわざ暗くなる事はない。俺は自分の水を飲んで、目の前の少女に微笑んだ。


?」


「え?」


「想良様のご趣味は、なんです?」


 想良様は、その質問に苦笑した。俺としては普通の質問だったが、彼女にとっては可笑しな質問だったかも知れない。


「いきなりだな」


「すいません、女子との会話に慣れていなくて。真面目な話しかできないんです」


 想良様はまた、俺の言葉に苦笑した。今度は、少しの愛情を込めて。彼女は荷物の中から紙と筆を取り出して、俺に「これが、あたしの趣味」と微笑んだ。「自分の想いを書き殴る事。都の連中は、雅な歌ばっかり書くけどね。あたしは、ありのままの言葉を書く」


 貴方は? 彼女はそう、俺に訊いた。今の紙に何やら書きはじめた状態で。「何が好き?」


 今度は、俺が押し黙った。自分から訊いておいて何だが、俺にはそう言うのがない(と思う)。昔は武芸ができない代わりとして学問に励んでいたが、それでも武芸の代価行為だった。


 剣の腕があれば、それを極めていたに違いない。賀口に「自分の道を見つけろ」と言った俺だが、俺自身がその好きな事を知っていなかった。俺は自分の頬を掻いて、地面の上に目を落とした。「ないですね。『趣味』と呼べる物もないし。想良様には、その趣味を訊いていながら」


 想良様は、それに「クスッ」とした。俺の事を馬鹿にしたわけではない。俺の返事があまりにおかしくて、それに「プッ」となってしまったようだ。俺がその反応に「え?」と困っている時も、俺の事を「フフフッ」と笑っていたし。


 彼女は自分の横に紙を置くと、敷物の上から立ち上がって、俺の前に歩み寄った。「それなら見つけよう。将軍の仕事は大変だけど、それだけじゃ疲れるし。自分の仕事に疲れた時は、楽しい趣味も必要だよ?」

 

 ね? そう笑って、俺の隣に座った。彼女は俺の顔を覗いて、その鼻を突いた。「君は、良い男なんだし?」


 俺は、その言葉に怯んだ。言葉のそれは分かりやすいが、その意図が分からない。俺の反応に「クス」と笑う態度も、こちらの反応を見る遊びのように見えた。


 俺は相手の身分を忘れて、その奥にある物、彼女自身の本質に不思議な感覚を覚えた。「と、とにかく、見つけます! 仕事の中で、好きな事を!」

 

 そう言って、誤魔化した。自分の頬が赤くなれば、彼女にまたからかわれる。彼女が自分の寝床に戻るまでは、冷静を装うしかなかった。俺は彼女が敷物の上に寝そべると、体の上に毛布を被せて、彼女に「お休みなさい」と言った。「俺も、じきに休みます」

 

 彼女は、それに微笑んだ。今度は、悪戯心なしに。俺の手に微笑んで、両目の瞼を閉じた。彼女は野鳥の声が飛び交う中で、女の子の寝息を立てはじめた。それがとても可愛かったが、自然の欲求にはやはり勝てない。鳥達の声が聞えなくなったところで、俺も自分の眠気にうとうとしはじめた。でも、「うん?」

 

 俺は、両目の瞼を開けた。何かの気配? 闇夜の中を突き進むような、そんな気配が感じられる。森の野鳥達も「それ」に驚いて、枝の上から次々と飛び立っていた。俺は想良様の前に走り寄ると、彼女の体を守る形で、腰の鞘から剣を抜いた。「想良様」

 

 想良様は、その声に目覚めた。頭の方はまだ寝ているようだが、俺の様子に何かを感じ取ったらしい。体の毛布を取っ払って、自分の前に式神を呼び出した。


「敵か?」


「分かりません。でも、味方の可能性は低い」


 想良様は、それに怯んだ。式神の守りはあるが、気持ちとしては不安なのだろう。俺と式神の間に入って、そこから周りの様子を窺いはじめた。彼女は自分の式神に話し掛け、目の前の俺にも「馬までは、距離がある」と言った。「荷物を取っている時間もない」


 俺は、その言葉に苛立った。気を抜いたつもりはない。野営場の周りに仕掛けを施したし、想良様が眠る前にも周りを確かめた。自分の力に傲って、周りへの警戒を怠ったわけではない。


 俺は「それでも甘かった事実」と「自分の不甲斐なさ」に呆れて、自分の周りをまた確かめた。俺の周りには森、闇夜に溶けた森と、俺の点けた焚き火だけが見える。頭上の空にも星が見えるが、それ以外の物は何も見えなかった。

 

 俺は自分の刀に殺気を込めて、闇夜の中をじっと見つづけた。闇夜の中には、うん? 何だろう? 一瞬、何かが見えた。木々の間を動く、謎の影。それがいくつも現われて、隣の木から木へと移っていた。


 俺は、その光景に眉を寄せた。このように動くのは一つ、都の中でも……。そこまで考えた時にふと、自分の頭上に気配を感じた。空の上から落ちてくる矢。その空気をふと感じたのである。俺は想良様の体を守る形で、頭上の矢を弾いた。「官軍の物じゃない」

 

 地方の武士が使うような、そんな形の矢だ。鏃の形も、官軍の物より鋭かったし。次に飛んできた矢も、一発目の矢と同じだった。


 俺は、二本の矢を見渡した。こんな所でこんな武器を使うのは、どう考えても野武士しか居ない。それも野戦に優れた、山賊紛いの武士しか居なかった。


 俺は想良様にも「それ」を話した上で、また飛んできた矢を防いだ。「奴らはもう、俺達の周りを囲っています。少ない敵を叩くには、そうするのが定石ですから。四方八方から打って、俺達の体を射ぬく筈です」

 

 想良様は、その話に腹立った。妖相手ならいざ知らず、こんな奴らにやられるなんて。「恐怖」よりも「怒り」の方が勝ってしまった。彼女は自分の周りに結界を張って、相手の攻撃を防ぎはじめた。


 想良様は、その話に腹立った。妖相手ならいざ知らず、こんな奴らにやられるなんて。「恐怖」よりも「怒り」の方が勝ってしまった。彼女は自分の周りに結界を張って、相手の攻撃を防ぎはじめた。「根比べだ。相手の矢が尽きるまで、籠城を決める」

 

 俺も、その作戦に乗った。いくら強くなっても、矢玉の集中砲火は危ない。相手の攻撃が止むまでは、こうするのが賢明だった。俺はいつでも動ける姿勢で、相手の攻撃が止むのを待ちつづけた。「止まった瞬間に切り込みます。俺が合図を送ったら、この結界を解いて下さい」

 

 想良様は、その指示にうなずいた。「自分も、同じ事を考えた」と言う顔で。

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