「安息。」~10代から20代に書いた詩

天川裕司

「安息。」~10代から20代に書いた詩

「安息。」

私が人との煩いを気に病み始めたのが、もう何年か前である。その間に、その葛藤を忘れた日々は一度もありはしなかった。暗い瞳はその日の言葉を以てそれ以上に暗くなって行き、その場で出会う人とも話し合えば、より一層その人を暗い言葉でおおい込んだ。何のとりとめもつかぬまま日々は過ぎ去り、それらの事も思い出になっていくのが少々の安堵でもあり、気の休まらなかった日々が遠いところのものになると思えば、よくよく我が身を省れた。しかし、煩いは残った。

 信頼と裏切りが私を苛めたのだ。一日一日を過ごす者にとっては、そのひとつひとつが良し悪しになり、気を休める日が例えあったとしても、それが束の間の一日であるということに落胆するのである。その者の機転を気にして自分の在り様を卑下することが、よくあった。様々な事の始まりを省ず、唯、勝手に闊歩して行く日がとても多いのが私には感じられた。人は暗闇を通り、照らされた光を通ることなく、唯ひたすら、現実を省る。

 何か上手くいかなかった時、人はその暗闇に陥りやすい。叫んでも声は返って来ず、誰の名を叫んでもその返答はない。そんな暗闇に自分が満ち果てた時、祈りというものを覚えるのだろうか。その祈りは様々なようにも見てとれるが、その実、それは一つところに集まって行くものではないかと思う。何かにすがり、助けを求めるその言葉が、祈りの言葉なのである。


「新樹の功。」

私は又思う。この世が希薄なものであれば、ここでかく文章は益々数が増える、その中で、もしも幾つかの真実がかけたとするならそれを良しとみて、この希薄さを密かに賛嘆する。自分へのマイナスを逆に利用する、これは生活の常である。


「人の言葉。」

かく者にあたって。大切なのは人目を気にする文章力ではなく、その白紙全体に大意をぶつけようとするその個人の意欲であると、又時間をうまく遣ってそのたおれそうな自分の足を保たせる術を身につけて、ぽんと浮かんだその種思をその時に、この現実にかき消されないようにする事であると、私は告げておきたい。


「ロマンス。」

東北に生れた一作家は言う。「作家は、愚かなる者の内に自分が居る事を自覚していても、その事にめげず、ロマンスをかくべきだ。」と。


「子。」

「被害者意識がつよい子だ」と母親は言ったが、母親だって私の内面を知らない。


「無題。」

その民(タミ)は嘆いて食物を求め、その命をささえるために、財宝を食物にかえた。

                           (哀歌:第一章、十一(前半))


「煙草。」

友達と会う度に煙草を吸い、それはまるでそのために友達と会っているような気持ちだった。正しい会話が出来ずあさっての方に背いて行くから、次に話す言葉につまずき、そこで又、煙草に手を伸ばす。二本が三本に、三本が四本になり、終には、数えるのをあえて無視するまでになった。それでも、孤独の故にその事から逃れられず、それが今日続いている。それがいつまで続くのか、と思えば哀しくなり、今に良くない事なのでさっとやめてしまおうと改悛する。もとの道に戻る時も、つくづくそれを眺め、そのどうしようもなさを思い出す。或る時は、父親を見て安心を得て、或る時は、自分の吸っている煙草の濃さが浅いのを見て、安心に思った。その煩いは、生涯続いて行く。一方の自分にとって。そう思っていた。


「正義。」

人は正義という場所に身をおこうとした。そこに居れば、そこに降る何事も、良いものになって降り積もると信じた故に。その「信じる」ということは、確信のことである。人は生きている上で、降りかかる事に不安を覚えて、その真昼には僅かな正義に身をおいた。この世間での事は、その決心を内から壊そうと挑んで来る。その事に恐れて、又人は、人の波の中に埋没しようとする。しかし、神がその正義の中に居てくれるものとそれを信じたら、人はやはり、その正義を欲しがった。


「春。」

私は聖書まで眺めて、遠いところから自分の言葉でそれを色付けようとした。その事がならないことだとは知っていても、将来(さき)のためにこれを無視し、あえて外法に走った。罪である。生き方を決心したこのひとつでさえも、偶然により罪となった。唯、もの事を上手くかけるようにと、その事を試みたのだ。思慮なき決心は、固い後悔を内に秘めた暗い扉を生むものである。


「空論と遂行。」

一長一短の国民同士が互いに言い争っていても、そこに救いはなかった。それは、神が、バベルの時、そのように為した故だと私は一方で思っている。


「司徒。」

 日本は平均的に見て、苦労している若者が少ない国。経済発展がまだ残っている国。外国の各地ではそのことを羨むくらい、貧困に困っている若者の数が多く、その国の人々を嫉妬する者も出てきているようだ。土俵の違う者同士が、互いの生活について論争するのは、唯解決が見えず、むなしさが見えないところでその実を成らしているに過ぎなかった。互いの言う事は、いちいちわかるが、その真実は人の手でつくったこの現代にはもはや通じることはないと、或る者がよそで語っている。その者の語る事は、そこでは正しいものになっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「安息。」~10代から20代に書いた詩 天川裕司 @tenkawayuji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ