「破滅の権力。」~10代から20代に書いた詩

天川裕司

「破滅の権力。」~10代から20代に書いた詩

「破滅の権力。」

 今、原子爆弾が東京におちたら、楽しい番組や、人生がなくなる。ささいな時間がなくなるのだ。“それは困る、…”でもその反面、若者も老人も死ぬのだ。人間は20000度の熱さにたちうちできるか、その後の放射能、その時点で、地球(日本)は破滅だろう。どこへ行っても、砂だけ。粉に帰するべき人間までも当然戻るのだ。チリになれば人間はしゃべれない、目もない、言葉もない、脳もない。顔もないのだ。どうしても愚かな人間など、私は馬鹿にしたいのだ。他人に入れない私は人間がどういうものか知らない、従って自分が人間であるかどうか、..少なくとも、愚かな人間ではないと信じるのだ。ざまぁみろだ、この腐れカスのような人間界を我が手下においてやる。このゾンビ共々我の前にひれ伏すのだ。そう、“人間を糧として生きてこそ、我が夢だ”.何もこの愚人と話すこともないのである。できれば、神も手下におきたい。神が創られた人間はこんなこともほざくのだ。これは、ミス・テイクではないのか。我は思う、欲深い人間にしておきながら、男・女などとふざけたものを創った神は、自業自得にすぎない。理想のようにはいかないだろう。今のこの世の中で、本気で、あなたを知って、馬鹿を見ながら生きてかなきゃいけない我が言う。我は馬鹿にしたいのだ。あなたが創られたこんな下らない世の中を。そのしもべ達は、流行・時代などというものをつくり上げ、黄金の偶像を創り上げて、まつっています。私も目が不自由でない限り、それらを見る。そいつらは何もしなくても、しゃべってきます。しゃべることができるのです。こいつらも同じ生きものとは…、馬鹿々しいです。馬鹿々しいです。どこまで、耐えれば良いのですか?このくり返しに。楽しんで生きてゆけない、というのはそんなところの悩みが未だにあるからなのです。《悪しからず.》


「ロシア人のように。」

ロシア人のようになりたい。一歩譲って、ロシア人のような薄熱人になるのだ。いつの時代も常識はある。それをくつ返すような人になりたい。正直に言えば、私は殺人鬼になりたいのだ。それが直接人間(ひと)に言えないから、遠回しに言った。どの国の大統領も理由なしに、私にひれ伏して、彼らは私に孤独を与えないように努力する。私は神の公認で、このロシアを手に入れる。そしてこれも神の公認で、人間(ひと)を殺しても良い権利を手に入れる。時が過ぎて、冬がやってきた。そこは滅法寒い国なので、私の優しさは凍りついた。その時、今までの過去をすべて忘れ去ったのだ。


「木蓮。」

「冬の心に降りてくる…」。誰かが以前、私に言った言葉。“生きることに疲れた”などと言って、すべてを投げ出した遠い昔に、あの時の言葉が降りてくる様で。神を信じて何年が過ぎたか忘れた頃で、誰かに会いたいと思った。憎しみが愛せることに変わったら、きっとあの人を愛せるようになる、と、私は思った。冬も、もうすぐ終わり、誰も会いには来ないもののいつかは、誰かに会えると、遠い光を見て過ごしている。その昔私の父さんと、どこか田舎の場所に行った景色を、今思い出している。もし、この先誰とも会えないとしても、生まれてきたことを後悔したくはない。当然私の意志で生まれてきたことではないと知っているけれど、母さんに悪い。両親は私を心から愛してくれた。花はいつか咲いて地に落ちる。その間に咲いた向きによって、それぞれの見えるものは違う。春夏秋冬はくり返し無言で過ぎ、花はどう思うのか。私は生きることで精一杯、少し、考えられなかった。あの木蓮も、その春夏秋冬を愛することができたら。

                          ――――――3月―――――.


「人の噂。」

この体が、人の噂でいっぱいになってもとの自分を見失った。先にとって先ず良い事を試みようと、生きる事を努めたが、人の噂は勢いみなぎり溢れ私を休めなかった。何の飾り気もないものが、この世の女だと思っていた。無条件に欲する事が、この世では愛だと思っていた。唯今を自分と結びつけて一寸の先を試み続けて生きる事が、この世では生きる事だと思っていた。個人(ヒト)の芸術とは、唯小さな秘かな場所で描いた事を、小さな葦でも台風に負けぬ程のつよさを秘めたものであると、その葦に自分のつよさを一つずつつけてゆく事を努めた。芸術とは哲学ではなく、生きるつよさそのものを絵にしたようなものである。人の噂はその一つ一つの節目につけ込み、その人の葦を根から崩そうとしてくる。それは人の噂そのものが悪いのではなくて、それを受け入れる人の側の問題であり、例えその噂が良いものであったとしてもその人の受け入れる手一つによって、そのものは悪いものになる。この世では、人は多くの人々の中に居て日々を暮らしてゆく。その事は、始めに神が構想された事であって悪い事ではなく、人がそれに対して悪口を言った時、その人は改悛をしなければならない。それぞれに同様の命があり、その命は同様である故に他の悪口などは言えない。それぞれが道徳を教えられ善悪を身に付けて行って、この世に存在する。その中で悪い事をしていればどんな形でも、神がその人を罰する。その時期の尺度は人には見えず、人は唯待つ事しかできない。人は終始変らず、神の恵みの中に生きている。

しかし私は、この体が肉のものであるが故に、多くの他人の噂を喰い荒し、この体をこの世間の灰で汚し続けて来た。未だこの体のどこかに、もとの自分が居る事を知りながらも、なかなかその素直さに帰れぬ事をも知っている。これもやはり今は、仕方のない事なのであろうか。今の教育制度というものが簡単には変えられぬというのと同じように、この現実では仕方のない事なのであろうか。人は流行に沿わねば生きて行けぬ、そう呟くのはこの私である。この“生きる”という言葉の意味は、満足さ、普通さを示す。平凡と非凡との違いは一般の人には説明が難しく、或るところまで行きついた者がやっと口に得手するものであり、その者の言う言葉も果して満足なものかどうかと問えば、又別の問題になり果てる。自体の掴みにくいものであり、又、常に人が心のどこかで求めているものである。

 私は又思う。私は他人(ヒト)のために生きるのではなく、自分のために生きると、その意味は、この自分(イノチ)の誕生した不条理を全うしようとするための第一歩を確かめるために。或る洞穴で、ぽんと生れた命の事(場面)を想像すればその説明は容易かも知れない。そこに他人は居らず、居るのは自分一人。その生れた理由を、その洞穴からのぞける空を見つめながら、考えてみるのである。当然、他人も居て、親も存在する。だが、そんなものだと私は思っている。この現実にて、人の噂に惑わされず、少なくとも1秒ではなく2秒間、もとの自分を知り続ける事というのは、それ程の事を極めた上でできるのだ。作家などという者は皆、そういったところから生れてくる者ではないだろうか。私は、この“人生”というものを見てとって、作家という者を試みたのである。無論、それ以外の道は見られない故に。

芸術家、作家たる者は、常に一人で居なければいけない。相応のものを書くには、その一人で居ることを努めねば、他人への情が入って来て元来の感性が鈍るのだ、と考える。先ず、男としても女としても、その率先する第一人者の敵は、異性であると考える。常識というものが、ここにはあり、それ故にその人の芽が呑まれてしまう事も多々ある。例えば、その人が死んだ後に、“プロ”として認められたその人への常識からの思いのその由縁には、その類いの非常さがあるのではなかろうか。その人の#“生きたままの口”で何かをしゃべられれば、何か困った事が起き、この現実のサイクル(歯車)に沿ぐわない事が起きてしまうのではないかと、常識がその人を射て。“死人に口なし”とは今日の格言にも在り、多くの人がそれを活用している。何故、「常識」を持ち出したのか、それは“結婚”というものからである。結婚していない人は、他人から軽く見られ、大切な場所には用いないといった、この世的な構想がある(以前、母から得た知恵)。

その作家たる人達は、その真実(コト)を無視して行かなければならないのである。それにも負けぬつよい精神力を以て。私はそのことを踏まえた。この世では生身でありながら半身であると、そのもう半身は天に残そうと試みたのである。神は、私のこの決心をどう見て下さるのであろう。褒められた策ではないのは感じているが、しかしこれは私の後戻りできない程の決心なのである。私も平等であると、見て下さるであろうか。私には、何もわからない。


「人の地。」

一人で。多くの仲間の内で一人で生きぬく術を身につけばんと叫ぶ。この国で。この町で。このところにて。多くの人々がしている事を唯遠くから眺め、私はこの雲を掴むような困難のところで孤独を手に持ち崩しながら、一人うめいている。例えば一人の女(ヒト)のことを思うと、悪い酒に酔った体を内から醒ますようにその身を起こして、又わざと孤独にその身を落とすように努める。そこからもとの光までが遠いか近いかを省ず、唯そこにある命の吐息に従おうと努めたのだ。

一人悩む者に、多くの華やかなものは過ぎ去って行く。良いものも悪いものもその違いを見せずに。そして私は又そこで一呼吸の勇気を拾って行くのだ。そのままどこへ行くのかは知れず、唯遠い町へと逃れて行きたいと、思う。一つの勇気はすぐには終らず、人の待つ愛情と怒りと喜びと悲しみとさえその息吹にかける。どこか見知らぬところで、あの女(ヒト)が他の誰かの者になえば、その時に、私はその女の前から永遠に葬り去られる。少しの期待はさりげなく満ち果てる。

 女が新しいドレスを買い、新しい者になろうとする。その町は華やかであり、沢山のドレスを身にまとった女達が立ち台の上に上(のぼ)っている。一度、シオンはそこに行きかけたが、己の内に正しきがないことを知り離れ去った。そこには時が止まっていた。


私は聖書をその手にとって開いた。この世間に長く居た私は新しさを求め、見知らぬ土地へ行こうとした思いから激しい感動を覚え、その目に涙した。その古い土地で開く物はすべて限りを見たからである。真実を探ろうとして戸惑った者は、その戸惑いから悩みを覚え、やがては、その悩みの内に別の光を見つけるであろう。その古い土地の物は古く、むなしい物なのに、皆の前には新しくそれが全地をまとった。これを逃れた者は、その悩みの内に一度入る。しかし、そこにはその者の真実はあり、道徳が芽生える。しかし、欲望は消えなかった。

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「破滅の権力。」~10代から20代に書いた詩 天川裕司 @tenkawayuji

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