「Is it Justice?」

天川裕司

「Is it Justice?」~10代から20代に書いた詩

「暗黙のクリスチャン。」

あるクリスチャンは、ある夫の世話をしていた。(精神のために)。というのもその夫の妻は、精神異常を起たしていて、通常ではなかったためである。ある夜、聖書の御言葉も用いて、その夫を安眠させたあと、しばらく祈って、部屋を出た。そして長いろう下を歩いていくと、横に長いカーテンが並んであって、そこを通って自分の貸された部屋へ行くのだ。その夫の狂った妻が、そのクリスチャンに嫉妬して、ぎゃくじょうした様でそのカーテンに隠れていたとも知らずに。その狂女の素顔は一般には見れたものではなかった。聖書を片手に持ちながら、人間思いのそのクリスチャンが、3番目の窓にさしかかった時、その妻がカーテンから飛び出てそのクリスチャンを襲った。月灯かりで見たその妻の顔を、クリスチャン(かのじょ)は“悪魔”と呼んだのだ。


「Is it Justice?」

堕落した天使が悪になったのだ、と聞いたことがある。堕落した天使とは..

私は天使ではなく人間だ。天使とはとうてい理解できない。しかし、その

格言は真実か、何故堕落したのか。…それはウソだ。


あの天使が…なんて語れるものではない。人間の心の中にあるものである。欲とは…?


Mr.レーガンよ、正義について真為をのべてみよ。どこの誰が正義で、どこかの誰が悪儀かを。神と悪魔を人間に見せてみよ。雪山を今すぐ凍らせてしまうことができようか。歴史のくり返しをのべた上で、止めてみよ。人を殺した上での心相を表現してほしい。国民の体重を支えきれるか?無理だと言えばその首をハネる。軽蔑の中で、真実を信じさせてみよ。“人の胸を裂いて「心」というものを取り出してみろ”そこに映っている悪魔は我か。


「★」

「現代の低俗」

話について来れないなら何も喋るな。それらしくきえるがいい。

おわった事も知らずに、岩陰からは、ゴカイとヒトデが未だに出てきている。


「白い流行。」

都会の中心にそびえ立つ高いビルは、デザイン社を経営している。そのビルは晴れの雰囲気も、曇りの雰囲気もどっちでも快い感情を与えてくれる豊かさだった。そんなに目立ってもないのに、いろんな楽しさが、その都会中心にはある。あの人間(ひと)はコーヒーを飲みながらしゃべったり、またある人は、新しいデザインを話していたり、そして社長は窓の外を見ていたり。私は、そこの従業員の一員(ひとり)となり、コピー機をいじっている。若い女の人に滅法弱い私は、女の人に立ち寄られて、そのコピー機の使い方を教えられるとつい弱くなり、口調も上ずむ。そして女の人が立ち去ると、また無口になって無関心を目ざすのだ。(半分怒りを保とうとしながら.)その日の朝は、紅茶ではなく、コーヒーで、軽めのトースト一枚かじって、デザートにはヨーグルトを。アイス・クリームは食べない。歯にしみるので。通勤は電車で、休みの日の車を頭の中で楽しみながら会社に向かう。

途中で出逢った女性(じょし)従業員と軽く声をかけ合って、仲良く通勤するのだ。行きの電車内でも缶コーヒーを片手に、そのまわりの流行に目をやる。なるほど彼らは、我が社のデザインを流行に、様々なエピソードをつくっている。老若男女、問わず、我が社のデザインは、通用しているのだ。確かに通用させるために費やす労費は並じゃない。一度目がつらいように、二度目もつらいのだ。精神不安定になる。私はトイレの鏡で顔を見ている。“今の流行は、どこで売れているのか”とその顔に尋ねたら、“さぁ、私は知らない”と。窓の外は、雲ゆきで少し暗くなっていた。私のディスクには、いつも通りにペン立てと、定規と、白い紙が置かれていた。その紙にまた流行を描くのだ。まるでその私(会社)は、台風の目のように、まわりの風がよく眺められるのだ。つい、迷ってしまう程。

いつも人の顔色と私の顔色とを合わせて創る絵だが、一度自分の顔色だけを鏡に映して描いてみた。するとたちまちその台風の目が他の誰かにうつってしまって、私はそのすさまじい風で飛ばされてしまった。誰かが、嫌な顔をしたのだ。


「★」

ずーーっと続けてろ。お前のその能も、俺の糧となる。


「センセーショナル。」

聖書に書いてあることに対して、私は何も言うことはできないのか?

反論などしたら、まず何よりも神を冒涜することになりかねない。

その上、母が哀しむ。そして今までの確信故、自分が哀しんでしまう。

私のまわりでたくさんの人間(ひと)が生きている。そんなことはどうでもいい。

私はむしろ、そこから脱したいと思惑しているのだ。神と流行と、人間ながらに

並べて於いて、くらべたりしているのだ。そして翌日、牧師に会いに行く。ある

テレビ番組を見ていれば、“そんなこと問題なんかにするな”と口々に言っている。

“私は、神を信じる.”「彼の言葉は、私から遠く離れている.」、それはそうなのである。

私は修業などしたくない。ただ私を創られた神のそばに行きたいだけだ。私が思うに、

私は汚れている。それも必然的なのであろう。様々な欲があるのに何故、このような

意味のないことばかり言わなければならないのだ。でも、クリスチャンでは、流行

に中にしてはいけないことも含まれているのだ。人間の欲、神から与えられた欲、そこに

全てがある。人間は神の背後には回れない。神からは盲目に等しいのだ。果たして、

欲とは?…


「★」

しつこいだけが能の世界。みえすいた、わかりやすい世界。


「European.」

どんなに真顔で論争していても、彼らには、君はかやの外さ。

どこのクラブに行っても、君の話なんて聞く奴いやしない、ただ

いるとすれば、ついていけない老いた奴。そう見られる奴だよ。

楽しい人生にするには条件がいる、それは今のままの神を見ない

輩の自分じゃ、わかり得ない。人それぞれに生き方がある。どんな

生き方をしても、人生にかわりはない。だからどんなに流行を

のろっても、同じことなんだ。でも、考え続けられなかった自分を

哀しむ必要はない。そのつけは彼らに、必ず回ってくるのだから。


「。」

“女の時代”になった理由(流行)

性器と顔があるからさ。それと頭の幼稚さ。


「。」

人間に欲がある以上、何にも解けない。いや、論争することが答で、

今のすべての問題が答だ。人間とはこういうものだ。


動画はこちら(^^♪

【白い流行】

https://www.youtube.com/watch?v=3iUDAz918VE

【暗黙のクリスチャン】

https://www.youtube.com/watch?v=3iUDAz918VE

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「Is it Justice?」 天川裕司 @tenkawayuji

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