第5話「蒼き夜の鍛錬舞」

夜更けの翠楼館。星は雲を超えて空に広がり、月はひときわ明るく宿の外を照らしていた。和国屈指の高級宿にも関わらず、玄関先にて上半身裸で真剣を振るう男――それが、蒼き焔の剣士・ソーエン。


「ふっ、はっ……せいっ!!」


 刀の軌道は空気を裂き、蒼の焔を呼び起こす。焔は舞うように広がり、まるで剣舞のような気品と殺意を持って虚空の敵を焼き払う。力強く、優雅で、狂気的。それは修練というより、己の存在証明。


 ――ソーエンにとって、この時間は誰にも邪魔されぬ“誇りの鍛錬”だ。


(見られてないところで努力する、そんな自分が……俺様的にはカッケーわけよ!)


 師匠として、弟子には「頑張ってないのに最強感」すら覚えさせたい。強さとは神秘であり、格好良さは幻想の演出なのだ。


 刃を振るうごとに、蒼き焔の粒子が宙に揺れる。月光を纏った汗が滴り、蒼い光が彼の輪郭を際立たせる。まさに剣士というより“焔の舞手”。その姿は、誰にも見られていないはず――そう、“はず”だった。


「ふわぁ……師匠って、やっぱりすっごいなぁ……」


 その様子を、宿の奥の障子越しから、アオバが眠たげな瞳でこっそり見つめていた。


 彼女は知っていた。師匠が夜な夜なこっそり鍛錬していることも、宿の隅で焔の舞を踊っていることも。だがそれを口に出すことはない。“知らないふり”こそ、最高の気遣い。


(いつか、あんなふうに刀を振るえるようになりたいな……)


 彼女は師匠の汗と焔に、心を焦がしていた。憧れの火が、じわじわと心の奥に灯る。


 一方、ソーエン本人は――そんな弟子の視線には微塵も気づいていない。


「俺様は……ワカバの刃だからな」


 誰に語るでもなく、ひとり言を漏らす。名もなき流派“ワカバ”――彼の故郷で恐れられ、同時に蔑まれたその剣術の名を口にするたび、誇りが胸を焼いた。


 まるで自分は誰かに語りかけているようで、でも誰にも届かない。


「ソーエンさん、またあの舞ですね。あれは……殺すための動きじゃない。魅せるための刃だ」


 宿の主人は、床を磨きながらぽつりとそう呟いた。彼こそ、毎晩上裸で焔を振るう奇怪な剣士の目撃者であり、理解者でもあった。


(あの剣、殺しよりも――魅了するためのものに見えるよ)


 そしてその魅了に、アオバは今夜もまた、寝言のような小声でそっと夢を呟く。


「師匠、ずっと見てますよ……私、師匠の背中が大好きです……」


 誰も気づかぬ夜の静寂で、焔の剣士は舞い、焔の弟子は焦がれる。


 それはきっと、誰にも語られぬ二人だけの“焔の物語”。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る