雪と廊下と教師
横手さき
雪と廊下と教師
俺の名前はヒロユキ。横手のとある高校で教師をしている。理科のセンコーだ。
自分で言うのもなんだが、いい教師だと思う。生徒からも慕われている。なんなら、卒業式に、『先生のこと忘れません』という教師冥利この上ない言葉を生徒から受け取ったこともある。それも一度じゃない、二の三乗回くらいだ。けっこう多と思う。
俺の住む横手では、冬に雪が降る。俺は雪が嫌いだ。
今年も雪が多い。過去最大の降雪量だそうだ。
この世にある全てのアルコールランプを使用して融かして固体を液体にしてやりたい思いだ。もちろん融かし終えた後の全ランプの火は、下からかぶせるように優しく蓋をかけちゃんと消すつもりだ。火事が起きてはかなわんからな。
俺が雪を嫌う理由はただ一つ。
ランニングだ。
そう、ランニングなのだ。
俺の趣味はランニングだ。一日、七十時間くらいは走っていられる自信がある。
しかし、冬になると、
雪のせいでランニングが出来ない。
あいせいあげいん。
雪のせいでランニングが出来ないのだ。
ゆゆしき事態だ。粉雪ならぬ糞雪だ。この世の終わりだ。絶望の兜をかぶった武士という表現はどうかと思うが、そんな感じだ。オームという人がこの雪という惨劇をみたら、きっと俺を同じことを思ったはずである。『これでは電圧イコール電流と抵抗の積が、電圧イコール電流と抵抗の咳になってしまうよ』みたいな。偉大な公式までもが雪のせいで風邪をひく。オーム氏のギャグセンスはいかがかと思うが、雪は物理法則という信号を無視する。まさに厄災だ。発光ダイオードの光くらい守れ。
俺の観測では、横手にはランニングが出来ない日が約百十日もありやがる。けっこうな降水量が、雪を融かすヒーターがオプションで装備された転倒ます型雨量計、で毎年観測されている。雪は確かにいい恩恵もある。冬は雪という固体で大地が休まり、春には固体が液体となり動植物に生を授ける。雪解け水は、冬から春へのプレゼントだ。ニュートン氏が横手で冬を過ごし、雪で化粧をする林檎をみたら、『あ、これ俺が万有引力見つけたときの林檎より綺麗っすね』ときっと言うだろう。地元の人間として実に誇らしい。
だが、やはり雪は俺にとって邪魔ものだ。
そんな俺は考えた。考えたのだ。
そして、教卓に立ってから数年後、俺は一つの解を見つけた。
俺の職場には、 廊下 があるじゃないかと。
そこを走ればいいじゃないかと。
廊下には、細雪、小米雪、灰雪、粒雪、泡雪、牡丹雪、花弁雪、綿雪、餅雪、回雪、濡れ雪、湿雪、乾雪、にわか雪、大雪、大雪、豪雪、吹雪、斑雪、霧雪、霙、霰、雹、風花、など邪魔な固体は何一つと無い。しかもそこは、毎日生徒が掃除をなさってくれる宇宙のように調和のとれた綺麗な道がある。おまけにワックスでぴかぴかだ。まさにきんぐおぶろーどがある。
駄菓子かし、俺は教師だ。よっちゃんイカで喜ぶことなど許されない大人かつ聖職者だ。それに昔だれもが、必ず言われたことがあると思う。『廊下を走ってはいけません』と。俺も言われたことがある。『ヒロユキ君はいつも走らなくて偉いね。でも授業に遅刻してはダメだよ』と。だって走れないんだ。しかたないだろ。
そして何よりも、小生若輩教師風情が、未来ある生徒が作り上げた、
明日へ希望の道
を走るなどおこがましいと思っていた。数年間、俺は葛藤を胸にかかえ、未来を創る生徒たちの前で教鞭を振っていた。俺が廊下を走るなど絶対ありえないと思っていた。
が、し菓子。当時二十代の俺は限界だった。
そしてある日決めた。条件付きで、廊下を走ろうと。
その条件とは、1月1日だけ走るという条件だ。
髪に誓おう。また言い間違えた。神に誓おう。俺はけっして、この日以外は廊下は走らないと。
そして条件を付与して数年が経った。
一日だけだが、 冬に走るのはとても気持ちがいい。
昔走った、箱根駅伝第二区を思い出す。
俺は毎年欠かさず廊下を走っていた。
そして今年も1月1日。
今年もこの日が来た。
俺は廊下を走った。駆け抜けた。飛翔した。
気持ちよかった。
校内には、吹奏楽の生徒たちがいたが、俺のランイングコースは最適解だ。
きっと気づかれていないだろう。
そして、時間が経過し、卒業式を迎えた。
俺が担任してしたクラスも全員未来へと育っていった。
今年は、美田世という生徒が「先生のこと忘れません」と言ってくれた。
その子の進路は有名な音楽大学。きっと将来は偉大な音楽家だ。
彼女からの言葉で、忘れませんは通算で九回目となった。
何度言われてもその言葉は嬉しい。何度も言うが教師冥利に 尽きる。
やはり、俺は生徒に好かれている。
俺はこれからも教師として教卓に立つ所存である。
雪と廊下と教師 横手さき @zangyoudaidenai
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