第1話 金の林檎(1)
アルルカが新米リチェルカとなってから1年。
アルルカは15歳になっていた。
息をすればたちまち煙のように白くなる寒い中をアルルカは歩いていた。幸いなことに雪は降っておらず、このまま降り出す前に街を見つけることが出来ればと進み続けていると、どこからか動物の鳴き声が聞こえた気がして足を止める。
――チィッ。チィ。
「やっぱり聞こえる」
声を頼りにふらふらと近寄っていくと、そこには木の小さな洞に顔を突っ込んだネズミのようなリスのような生き物がじたばたと足を動かして暴れていた。おそらく体が引っかかって抜けなくなったのだろう。
さらに近寄ると思っていたより体長が大きく、小ぶりのメロンほどの大きさをしていた。
「抜いてやるから大人しくしててね」
――チィ。
アルルカはその動物の胴回りを掴み引っ張る。
――ヂヂヂヂヂっ!!
痛い痛いと叫ぶかのように鳴き声に悲痛さが混じるが、少し力を入れて引っ張るとすぽんと洞から顔が抜けた。
薄茶と白の毛並みに黒のラインの入った顔がきょとりとして首を傾げる。
「チィ?」
「お前ケープチップだったのか」
ケープチップ。普通はこの場所よりもっと寒い地域に集団で生息しているリスのような生き物だ。リスよりも耳が長く、モモンガのように滑空するための皮膜があるのが特徴だ。
この地域に冬が来たことで迷い込んでしまったのだろう。暑い地域で生きていけないわけでもなく、こうして他の動物の貯め込んだ木の実を盗ろうとしたくらいなのだから1匹でも図太く生き延びそうだ。
「あんまり小さい穴には入るなよ」
アルルカはケープチップに注意をして地面に下ろし、街のある方角へと戻る。
「チチチィッ」
その後ろ姿をケープチップはじっと見つめて鳴いた。
たどり着いた街で一番最初に確認するのはリチェルカ協会の建物だ。世界の至る所に置かれているそれはリチェルカにとってなくてはならないもの。
「腕輪を」
受付の人からそう言われ、腕輪のついた左手を差し出すとプレートを確認される。本人照合が終わればその後は宿に向かう。
リチェルカ協会の支部がある街では協会が宿代を払ってくれる。余分な金銭を持つ必要がないためこの制度はかなり有り難い。
宿の受付を済ませた後は部屋に入らずそのまま街の中を歩いて見て回る。冬が訪れたばかりの街には寒い時期ならではの野菜や果物が並ぶ。まだ朝早いこともあり、野菜を並べに来た人が所々にいる。
ふと目を引かれたのはおっとりとした女性が運んできた黄色の平たいフルーツのようなもの。
「いらっしゃい旅人さん」
「あの平たいのはなんですか?」
「ああ、あれは
「初めて見ました」
「だろうね。あの姉妹しか作ってないから他に出回らないんだよ。ティア……さっき納品してった嬢ちゃんがこれを使ってパイを焼いてるから、店の開く頃に行ってみな」
昼前には開いてるだろうと情報を貰ったアルルカはお礼を言ってその場を後にする。並びにある店は食料を扱った店が多い。その店の合間に屋台の準備をしている人がちらほらと出てきており、昼になればたちまち腹を空かせる匂いがこのあたりの空気を漂うのだろう。
肉屋にあるのは基本がうさぎの肉と野鳥なことから、ここにはあまり大型の動物はいない。時折牛か何かの肉があるが、うさぎ肉と鮮度が違うのが見て取れる。おそらくそれは行商人から仕入れたものだ。魚屋は豊富に置いてあるが、ほとんどが川魚だ。近くに海はないが大きな川が流れているのかもしれない。もしくは養殖している可能性もある。
そうやって街の中を見て回り、周辺の情報を集めるのはルナルスの教えであり、アルルカのちょっとした楽しみでもあった。
一通り街を周り終わる頃には屋台で朝食を買う人達の姿があり、それぞれが食べ物を持ちながら仕事場へと向かう。
片手で持てる大きさの細長いパンを半分に切って鉄板で焼きながら、同時に中に挟む具材を焼いている屋台が人気のようだ。
手際よくパンの上に野菜や焼いた細切れの肉を乗せソースをかけてパンを乗せ紙で包んで渡していく。
アルルカは3人ほど並んだ列の後ろにつく。出来上がるまでの時間が早いのでその料理はすぐにアルルカの手元にきた。
「はいよ。おや、お客さん初めての人だね」
「ありがとう。この街にはさっきついたばかりなんだ」
「なんもないところだけどゆっくりしてきな」
アルルカの後ろにも客は並んでいたため、受け取るとそそくさとその場を離れる。冷えていた手が料理の温度でじんわりと暖かい。
「そういえば、これなんて名前なんだ?」
振り返り離れた位置から屋台を見てみるが屋台には値段のみが書いてあるだけで、料理の名前を知ることは出来なかった。
諦めて手元の料理を見る。野菜は葉物と根菜が使われており、肉はどうやらうさぎ肉のようだった。
がぶりと一口食らいつく。
「んっ。うま」
うさぎの弾力のある食感と野菜のシャキシャキ感が絶妙なバランスを保っており、ピリ辛な濃厚なソースがアクセントになっている。寒い中暖かいものが食べられたらそれだけでご馳走だと思っていたが、思いのほか味が良かったためアルルカの顔が綻ぶ。
そんなアルルカを街ゆく人々は時折微笑ましげに見ながら通り過ぎていく。
一本全てを食べてもまだ入りそうな胃に次に食べるものを考える。喉も乾いたことだし、スープのようなものがあれば良いのだが、と考えているとアルルカの鼻が魚介の匂いを嗅ぎとった。匂いのする方向へ進むとやはり魚介の匂いがして、それは大きな鍋に入っていた。
鍋に入っているのだから多少汁気のあるものだろうとアタリをつけてその屋台に近づく。
「何を売ってるんですか?」
「川魚と人参を香草で煮込んだスープだよ。食ってくか?」
「じゃあひとつください」
注文をして先に料金を払い、お釣りをもらって仕舞うと気を利かせた店主がアルルカに尋ねた。
「あいよ。スープだけじゃ足りねぇだろ? パンでもつけるか?」
「とてもありがたいんだけど、さっきパンは食べたんだ。鉄板で肉と野菜を炒めたやつを挟んだやつ」
「ああ。
「
あの先程食べた料理の名前が出たと同時にスープが手渡される。
「肉を売る時に出る微妙な端のとことか、野菜も虫食いだとか皮の部分のかをパンで挟んで食うやつはこの辺じゃ全部そうやって呼ぶんだ。簡単で、安くて、栄養が取れる。炭鉱とか農家が多いからなサッと食えるものが便利なんだよ。廃棄もなくなるしな」
「いいことづくめだ」
「どこを食おうが肉は肉だし野菜は野菜だからな。美味けりゃそれが一番だ」
「違いないね」
パンのことがわかったところで温かいうちにスープを頂く。薄い木のフォークがついたそれで沢山入った具を抑えながら一口啜る。香草が効いていて生臭さがないのにきちんと魚の出汁の旨味が分かる、ほっとする味だ。
こういった川魚のスープは各国どこでもあるが、不味いところは泥臭かったり生臭かったりと酷いことになる。
「美味しい」
「そりゃ良かった。明日もいるならまた買ってくれていいぜ」
店主のその冗談に少し本当に明日も買おうかと思ってしまいくすりと笑って再びスープに向き直る。
フォークでごろっと大きく切られた人参を刺すと、なんの抵抗もなくスっと先が入っていくほどに煮込まれていた。人参のじんわりした甘さが舌に広がる。そこにすかさずスープを一口啜ると、ついつい「はぁ」とため息が漏れる。温まった吐息が寒い外の空気に触れて白くなる。
ほろほろとした魚は刺すと崩れてしまいそうで、フォークをスプーンのようにして身を掬う。噛まずとも崩れる身はすぐに口の中から消えていく。淡白な魚の味にスープがよく染みていて、スープを啜らずとも魚を食べるだけでスープまで飲んでいるようだった。
あっという間にそれを平らげると腹から全身がポカポカと温まってきて少し熱いくらいだった。
「ごちそうさま」
「いい食いっぷり」
店主はにかっと笑うと包み紙の紙くずとスープのカップとフォークを回収してくれる。
「すごく美味しかったし、ここ最近携帯食ばかりだったから……」
そんなにがっついていただろうかと恥ずかしげに頬を赤らめてごにょごにょと言い訳のように呟く。
ここにたどり着く前は全く街らしきところはなく、長持ちする乾燥した携帯食ばかりをチマチマ食べて過ごしていた反動で、暖かい料理が美味しくてたまらないのだ。
「ははっ。じゃあここにいる間は沢山食べな」
「はい」
その場に留まるのは気恥ずかしくて小走りで宿に向かう。
走り去るアルルカの後ろ姿を店主が笑って見送っていると、数人の客がスープを注文しに並んでいた。
「おーい! 早く売ってくれよ」
「こっちにも同じのをふたつ頂戴!」
「あんな美味そうに食われたらこっちまで食いたくなっちまうよ」
どうやら美味しそうに食べるアルルカの姿を見て並んだようだ。期待に満ちた明るい表情をした老若男女問わずがスープを待っていた。
「はいよ! すぐに出すよ」
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