第8話

 「星降ー!全員いるー?」

荷物置き場の中ホールに、白石の声が響く。それは、ここにいる全員の緊張感を代弁しているかのような、少しの緊張と、高揚を含んだような声だった。


 そう。今日はいよいよ、コンクール本番だ。


 「緊張してんの?」

隣でバリトンサックスをストラップにつける夢が

望美に聞いた。

「うん」

望美は、今の気持ちを正直に答えた。夢はきっと、緊張してないとでも言うのだろう。ふと隣を見ると、夢も、望美と同じような面持ちで

「あたしも」

と言った。そんな夢が意外だった望美は、えっ、と呆けた声を出した。そんな望美が可笑しかったのか、夢はふふっと笑うと、続けた。

「でも、おんなじくらい今日が楽しみ。いつも通りで行きましょ」

「うん!」

望美が頷くと、夢は満足気に微笑んだ。それは、たくさんの努力を積み重ねた先にある、自信に満ち溢れた笑顔だった。

「トラック来ましたー!楽器の準備が終わった人から、打楽器搬入手伝ってくださーい!」

「「はいっ!」」

黒崎の声に、望美達は搬入口へと走り出した。


 楽器の搬入を終え、リハーサル室に着いた。扉を開けると、そこには既に天宮先輩がいた。いつものラフな服装とは違い、スーツ姿の天宮先輩には、これまたなんともいえない貫禄がある。堂々と指揮を振るその様は、ベテラン顧問どころかプロだ。こんにちは!と、皆が挨拶をし、いつもの合奏隊形をつくった。いつもの指揮台の位置に、天宮先輩が立った。

「皆さんこんにちは。いよいよコンクール本番ですね。緊張しとると思うけど、とりあえずB♭べー合わせましょっか」

オーボエの音に続き、皆の音が一つの束になる。今日に限って、望美のチューニングも完璧だ。皆の音が一つにまとまると、天宮先輩は満足そうに指揮棒を下ろした。

「皆さんええ感じですね。よし、じゃあ時間もないんで、『七夕』通しましょう」

「「はいっ!」」


 曲が終わり、天宮先輩が指揮棒を下ろす。本番が、刻一刻と迫ってくる。望美は、心臓の音が、自分の音よりも大きいのではないかと思ってしまうほどだ。

「先輩、ヤバいです。ウチ今めっちゃ心臓バクバク言うてます」

隣に立つみのりが、自分の胸を押さえながら言った。確かに、わかりやすいくらい、みのりの音には、少し力が入りすぎている気がする。そんなみのりが可愛くて、望美は固まっていた表情をほころばせた。

「大丈夫だよみのりちゃん。肩の力抜いて、いつも通りでいこ!」

望美は、自分自身に言い聞かせるように言った。みのりは、パワーをもらえたのか、はいっ、と、元気の良い返事をした。すると、前に立っている天宮先輩が、手を叩いた。皆が先輩の方を向くと、天宮先輩が言った。

「皆さん、いよいよ本番ですね。色んなことがあったと思いますけど、今日無事に、全員で本番を迎えられて嬉しいです。……みんなそれぞれ、コンクールにかけとる思いがあると思う。やから、その思いを、願いを、全部のせて!今までで一番の演奏をしましょう!」

「「「はいっ!」」」

天宮先輩の熱意のこもった言葉が、皆の返事で、さらに強くなる。望美は、深く息を吸い込むと、皆に続いて、舞台袖へ向かった。


 そろそろ、前の団体の演奏が終わる。緊張、高揚、様々な感情が、望美の胸に不協和音をつくる。

「望美」

隣を見ると、叶人が小声で望美を呼んだ。何?と首をかしげると、叶人は、

「楽しもーな!」

と言って、握り拳を小さく望美の身体の前に出した。望美は、それにそっと自分の握り拳を当てる。

「もちろんっ!」

望美の力強い笑顔に、叶人もつられて笑った。緊張がほぐれた望美の笑顔は、この世の何よりも眩しく、堂々たるソリストのものだった。

「行きましょう!」

天宮先輩が手を挙げて、皆は舞台へと歩き出した。天宮先輩、みのり、叶人、夢。皆の激励の言葉を胸に、望美は舞台へと、大きく一歩踏み出した。


 「出演順七番。星降高校。課題曲Ⅳに続きまして、自由曲『七夕』。指揮は、天宮義男よしおです」

アナウンスに続き、天宮先輩が礼をする。そして、指揮台に立つ。舞台の照明に、目が眩みそうになりながらも、望美は先輩の指揮に合わせ、楽器を構えた。


 大丈夫。あとは、楽しむだけだ。


 課題曲が終わり、『七夕』が始まる。トランペットとトロンボーンの荘厳な響きが、会場を包みこんだ。テンポが変わり、主旋律がクラリネットやフルートに移る。チューバは軽快かつ豊かな響きを創り、打楽器は華やかさを加える。ホルンの美しい対旋律が聴こえるころ、曲想が変わった。いよいよ、アルトサックスとユーフォニアムのソロだ。

 天宮先輩の指揮に合わせ、望美は大きく息を吸い込んだ。舞台に立つと、さっきまでの緊張はいつの間にかどこかへ飛んでいき、ただただ、音楽を奏でることに夢中になっていた。さっきまで嫌気がする程に眩しかった照明は、いつの間にか、天の川に光る無数の星達のように見える。望美の、ベガの如く綺羅びやかで、どこか繊細な音色に、宇宙の彼方まで届くような、叶人の暖かいユーフォニアムの音色が重なる。それはまるで、織姫と彦星さながらだった。語りかけるような、高らかに歌うようなその音色に、この場にいる全ての人が魅了されていた。望美の金色のアルトサックスが、照明に照らされ、彼女の手元で、何よりもまばゆく光り輝いていた。

 ソロが終わり、曲もクライマックスを迎える。金管楽器の華やかな主旋律と、木管楽器の煌めく三連符が、ホールを天の川に変える。皆の視線が、天宮先輩の指揮に集中し、そして、自分達の音が、会場全体に響き渡る何物にも代えられない快感を、噛み締めていた。


 最後の一音の余韻と共に、会場から、大きな拍手が湧き上がった。



 そして、今大会の全ての団体の演奏が終わり、結果発表の時間となった。望美と夢は、隣の席に座り、本番よりも緊張しているのではないかというほどの表情で、静かに両手を合わせていた。

「それでは、各団体の結果を発表します。出演順一番……」

銀賞、銅賞、金賞。落胆の涙と、歓声。様々な声が、この会場に響き渡る。望美の心臓の鼓動は、どんどん加速していく。

「……七番、星降高校……」

全員が、生唾を飲む音、そして。



「ゴールド金賞!」



悲鳴に近い歓声が、会場に溢れた。望美と夢は、喜びのあまり、互いに手を叩いた。

「やったね!望美!」

夢は、今にも泣きそうだった。望美は、こんなにも嬉しそうな夢を見たのは初めてだった。

「うん!やったね!」

夢に返す望美も、泣きそうな顔をしていた。だが、まだ県大会出場が決まった訳では無い。金賞を受賞した七校の中から、県大会に出場できるのは、五校だけ。

「続きまして、八月十六日に行われる県大会へ出場する団体を発表します。出演順三番、宙ヶ丘女子高校。……出演順五番、月城工業大学付属高校……」

次に呼ばれなければ、星降高校は県大会へ進むことができない。望美と夢は、互いの手を握り合って、ひたすらに願った。心臓の鼓動も、隣に座る夢の呼吸音ですら、今の望美には、かなり大きく聴こえた。そして、望美が深呼吸をしようと深く息を吸い込んだ、その時。





「……出演順七番。星降高校」





「「「「「やったあぁーーーっ!!!」」」」」

三尺玉のような歓声が、会場から溢れそうになった。喝采、歓喜の涙。悲鳴に近いようなそれらが、この会場で大爆発した。

「望美っ……!」

夢は、泣きながら望美に抱きついた。そして、涙でぐしょ濡れになった顔で、望美が今まで見てきた笑顔の中で一番美しい顔を見せた。

「夢、やったよ!私達、やったよ……!」

望美も、喜びのあまり大号泣した。夢の涙で、制服が濡れるのも厭わず、夢をぎゅっと抱きしめた。


 星降高校吹奏楽部員達の頰を伝う大粒の涙は、この世界の何よりも美しい、青い煌めきに満ちていた。そして、そんな彼らを、大空に輝く金色の一番星が、そっと祝福した。

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