第3話【ウロボロスSIDE】 地獄のような職場

「クククッ、気分が良いな。アノニマスの連中を追い出し、監査が来たらヤバくなる原因の一つを完全に取り除けた。さて、次の書類を片付けよう」


 アティカスは書類を見ながら、卑しい笑みを浮かべている。

 場所は彼の執務室。


 役員に与えられる個室の一つであり、使われている家具や調度品は職人が高級な素材を使って作った一級品だ。


「……アティカス様。必要な資料を用意しました」


 そんな彼に紙を渡しているのは、一人の少女。


 茶髪をボブカットにした巨乳のクール美少女。といったルックスとスタイル。


 そんな少女がミニスカスーツを着ている姿は、年齢が十代後半でありながらも、『大手の組織の役員の秘書』という雰囲気に合致している。


「ふむ……おお、いいぞ。ユキメは俺のことをよく理解している」

「ありがとうございます」


 アティカスはユキメから受け取った紙をみて満足そうな笑みを浮かべる。


「フリーの冒険者の中にも良い連中はいるな。こいつらを雇えばさらに利益が出る。性格も問題なさそうだ。クククッ……」


 ユキメが持ってきたのは冒険者のリストのようだ。


 アノニマスという『冒険者を集める部署』を解体する権限を持っているという事は、どんな冒険者を使うのか、それとも切っていくのか。

 冒険者に対する『人事権』を持っているともいえる。


 アティカスは現場で成果を出して認められたため、『現場の人間のことはよくわかっているだろう』という上の判断は至極当然。


「さて、こいつらに話をつける部下を選んでおくか」


 卑しい顔で書類を仕上げつつ……とある紙を見る。

 端的に言えば予算案に関するものだ。


「さてと、アノニマスを解体して浮いた費用。これは俺が娼婦を買うのに使わせてもらおう。今まで多大な貢献をしてきし、俺は、このギルドの会長の息子。これくらいの横領は許されるはずだ」

「アティカス様の交際費に当てるべきという事ですね。私もそう思います」

「そうだろうそうだろう。ユキメはわかっているな」

「しかし、アティカス様しか判を押せない書類が多いので、まずはそこをお願いします」

「分かっている」


 ……そういって、書類に取り掛かろうとした時だった。


「……あー……あ、あぇ?」


 その顔から、力が抜けた。


「……っ!」


 ユキメの方も、無表情のままあまり変化はないが、それでも感じ取った様子。


「あ、な、なんだ?」


 アティカスは目を閉じて、指で瞼を揉んで、そして目を開ける。


「え、な、なんだ、この書類の山」

「大量ですね」


 そう、アティカスの机だが、書類が山のように積みあがっている。


 それこそ、先ほどユキメから貰った冒険者のリストの置き場所に困るレベルだ。


「……え、嘘だろ? これ、今までやってたの? 俺が?」

「昨日仕上げた書類はそれよりも多かったはずですが」

「あ、ああ、確かにそうだ。え、ええと、これに必要な資料ってどこだったっけ? あ、あれ?」


 アティカスは書類の山脈を見て、明らかに困惑している。


「ゆ、ユキメ。手伝ってくれないか?」

「すみませんが、私はこれから外で仕事がありますから、別の方に頼んでください」

「そ、そんな事を言わず――」

「仕事の相手は、『ガイア商会』の部長クラスです」

「が、ガイア商会。一番大きな取引先か」

「最新の製法で作成された武器の交渉です。正直、書類整理を手伝う暇はありません。それでは」


 そういって、ユキメはアティカスの執務室から出ていった。


「……ぐ、クソ、仕方がない。部下を呼んで仕上げるしかない……いやちょっと待て、部下もかなりの書類量のはずだ。え、どうして? なんでこんなに出来てたんだ?」


 アティカスは困惑している。


 だが、取り掛かるしかない。


 仕事である以上、誰かとのつながりがある。

 期日までにこなさないと迷惑をかけるし、大手になったばかりで失態があれば、『あー、規模が大きくなってパンクしたんだな』と嘲りを受けることになる。


 そんなことは、アティカスのプライドが許さない。


 アティカスは、高く積みあがった書類の内、一番上を手に取る。


「え、ええと、これは……」


 頭をガリガリとかいて、書類を見つめて……。


「これはなんだ? 何の書類だ?」


 そう、呟いた。


 ★


 アグリによってかけられていた付与魔法は『集中力強化』である。


 では、集中力を強化する。とは一体どんな状態だろうか。


 端的に並べてみると。

『時間の感覚が変わる』

『周囲の雑音が気にならない』

『無駄のない明確な思考』

『エネルギーが大きい』

『モチベーションの向上』


 といった要素になる。

 仕事だろうと趣味だろうと、どれもこれも『理想的な状態』と言えるだろう。


 それが集中力が高いという状態の本質であり……アグリは、この状態に、人間を強制的に引き上げることができる。


 もちろん、脳の負担が普通よりも大きく、体力の消費も激しくなるが、それはしっかり食べて、休息をとればどうにでもなる。


 目の前のタスクをこなすという点において、『集中力が高い』というのはとても大きな要因だ。


 目の前の仕事が『本当は無駄である』としても、そんなことはお構いなしに、必要な仕事も無駄な仕事も、全て高速で仕上げることができる。


 加えてミスも少ない。思考が無駄な方向に行かないので真面目に見える。


 まさに『理想』だ。

 仕事と言う場における『理想形』が、そこにあった。


 そう、あった。過去形だ。


 魔法は解かれた。

 奇跡は終わった。

 あとは、現実に目覚めるだけ。


「……ぜ、全然終わらねぇ。マジかよ。しかも、明日までに仕上げなきゃならないのが、半分以上残ってる。む、無理だ。絶対に終わらねえ。嘘だろ。なんでこんなことになってんだよ」


 アティカスは熱暴走で倒れそうになっていた。


 頭が全く追いつかない。

 体が全く追いつかない。


 目の前の仕事には、あまりにも、無駄なタスクが多すぎる。


「はぁ……ちょっと休憩……」


 仕事は大量にある。

 だが、働き続けることはできない。

 しっかり休憩を入れないと仕事は進まない。それはわかっている。


 アティカスは、執務室から出て、廊下に出た。


 そして、近くにある会議室の近くに来た時……。


「おい、この書類はどうなっている!」

「み、見つかっていません」

「見つかってないだと!? ふざけるな!」

「お前もふざけるな! お前も必要な書類が見つかってないんだろうが!」

「仕上がってないのは貴様もだろ!」

「ポーションの調合が上手くいかない。どうして……」

「知るか! 急にダラダラしやがって、こんなのいつもできていただろうが!」


 その会議室は、『新しいポーションの開発と流通』に関する会議だ。


 この世界において、『調合』というのは、実際にすり鉢に入れてゴリゴリ削ったりもするが、魔法として『調合魔法』というものが存在する。


 実際に作業内容はともかく、『本当に細かい調整』が必要だが、今までは出来ていたはずだ。

 今までは。


 だが、会議室から聞こえてくる怒号は、それが上手くいっていないことを示している。

 いや、そもそも、しっかりと材料を揃えて、調合師のもとに届けて、作られたポーションを販売網に流すという『工程』が、滞りなく出来るように見えない。


 そもそも材料は届くのか。

 そもそも調合は成功するのか。

 そもそも病院や店まで物が届くのか。


 無理だと、アティカスは本能で思う。

 もちろん、どの冒険者を使うのかを決めるアティカスは、ポーション事業とは別だ。


 この怒号とは関係ない。

 だが、明日は我が身としか、思えなかった。


「う、嘘だ。嘘だ。何が、何が起こっている! 昨日と今日の違いなんて……!」


 そう、昨日と今日の違い。

 それは、『アノニマスが存在するかどうか』でしかない。


「……ち、違う、違う!」


 アティカスの脳は、『アノニマスを解体したから、何らかの関係で、今の状態になっている』という結論にたどり着く。


 だが、それを知られてはいけない。

 ギルド全体で発生している全ての失敗。その責任が、自分に降りかかる可能性があるからだ。


 絶対に隠さなければならない。


 そのために……そう、彼の脳は、『集中』している。


「い、一体誰が関わってたんだ。わ、わからない。絶対にわからない」


 そう、アティカスにも、『アノニマスの構成員の中身』はわからない。


 アノニマスは、『詮索はしないから、ギルドに貢献しろ』という思想だ。

 構成員には冒険者ライセンスも渡しているが、そこに記されているのは偽名であり、少なくとも顔が分かるものは誰一人としていない。


 そうなっている理由は単純で、『他には漏らさないから、ギルドには正体を見せろ』と要求した場合、来ない可能性が高いからだ。

 裏や闇を抱えているギルドなど珍しくなく、その多くが、詮索をしない。


 そうしているギルドの方が、脛に傷がある冒険者も入りやすい。


 だからこそ、正体がわからない。

 アティカスにも、誰が入っていたのかわからない。


「ぜ、絶対にバレてはダメだ。そうだ。書類を偽造して、アノニマスを解体した日付を変更しないと」


 アティカスは会長の息子であり、役員だ。

 しかし、彼に『無理を通せる人間はいる』し、その中には、アティカスをよく思っていない人間もいる。


 そうした人間に、『アノニマスを解体した日付』を知られた場合、『何か重要な人物を逃がしたのではないか』として、責任を取らされる可能性がある。


 人事権と言うのは、最強の権限だ。

 利権や権限は人に報酬をもたらすが、人事権は、その報酬を受け取る人間を決める権利だからだ。


 アティカスは『アノニマス』に対し、絶対的な人事権を持っていた。

 しかし、アティカスをどうにかできる人事権を持つ者も、また存在する。


「隠さないと。クソっ、くそおおおおおおっ!」


 廊下に響くアティカスの叫び。


 そう、彼は、『知られたらヤバい秘密があると自覚した人間』になったのだ。


 ★


 ギルドがどうなっていようと、町は賑わう。

 多くの商人が、自信に満ちた商品を自慢し、客が持つカネを狙っている。


 大通りともなれば、経済の中心ともなれば。

 その活気は、文字通り熱を持っている言える。


 冒険者にとって重要な『ダンジョン』の傍なら、猶更だ。

 戦う者にとって必要な商材が、いくつもおかれている。


 宿、道具屋、飯屋、女などが主であり、裏路地に入れば細かい物もたくさん並んでいるだろう。


 そんな活気のある大通りから少し離れれば……寂れた場所がある。


「……」


 ユキメは、そんな場所を歩いている。


 茶髪をボブカットにしたクール系の巨乳美少女で、ミニスカスーツを着ているという、なんとも『人の少ない場所なら、良くない連中から狙われそう』ではある。


 しかし、見る人が見れば、『戦闘において素人ではない』ことがわかる。


 そんな彼女は、寂れた通りの中で、一つの裏路地に入っていく。


 表から見えなくなった当たりで……。


「動くな」

「っ!」


 急に、背後に誰かが迫っていた。

 そして……ユキメの首筋には、とても鋭いナイフが当てられている。


 余計なことを一つでもすれば、そのナイフは彼女の首筋を噴水に変えるだろう。


「合言葉は?」

「『真夜中。三と五』」

「……いいだろう。通れ」


 背後に迫っていた男はナイフを放す。

 だが、ユキメの背後から離れる様子はない。


 彼女が歩いた先は、端的に言えば『アウトローな溜まり場』と言った雰囲気だ。

 いるのは二人。

 酒を飲んでいる四十代半ばの男と、ナイフを研いでいる二十代前半の男だ。

 単なる裏路地であり屋根もないので、ソファなどはないが、各々の雰囲気が普通ではない。


「あ、ユキメちゃん。おひさ~」

「お久しぶりです」


 ナイフを研いでいる男から声をかけられるが、ユキメは無表情のままで、奥まで歩く。

 壁際に置かれた樽までくると、そこに座った。


「さてと、来たことだし報告を聞くか」


 さきほど、ユキメの背後に迫った男が口を開く。


「ふあぁ……サイラスの兄貴。ユキメちゃん。いっつもそこに座ってますけど、なんか意味あるんですか?」

「ジャスパー。無駄口を叩くな」

「あ、すんません」


 背後に迫っていたのはサイラスという男。

 そしてジャスパーと言う男だが、この中で飛びぬけた『強者の雰囲気』があるサイラスに軽口をたたいているところを見ると、どうやら信用がある立場らしい。


 ただ、そんなジャスパーにも知らされていないことはあるようだが。


 ……しかし、ユキメの周囲を観察すればわかることはある。

 壁に阻まれた空間であり、ユキメの背後の壁はレンガで組まれていてかなり頑丈だ。

 壁の上も有刺鉄線がかなり張り巡らされている。


 端的に言って『逃げようとしても逃げられない』と言える位置に、ユキメは座らされている。


「ガイア商会の違法薬物取引ですが、三日後の夜に、西門近くの酒場、『クグモリ』の二階で行われるそうです」

「確かな情報か?」

「はい。ガイア商会はこの酒場を密会用のアジトにする計画が本格的に進められていて、その一回目とのこと」

「……」


 サイラスはジャスパーに視線を向ける。


「……ん? ああ、俺の魔法に引っかからねえな。ユキメちゃんは嘘ついてねえよ」

「そうか」

「しっかし、この町でドラッグとは……ガイア商会も勘が鈍りましたね」

「アグリの姉貴はドラッグが大嫌いだからな」

「そうですね。アグリの兄貴がこの町に来てから五年。ドラッグ関係は潰されまくって、俺等みたいな自警団もどきも出来上がってるのに」

「……いや、なんでお前ら二人で、二人称の性別が違うん?」


 路地裏の出入り口に近い場所で、四十代半ばの男性が酒を飲んでいる。

 あまり話に入ってこない雰囲気だったが、一人の人間に対して性別が異なる呼び方をしていたら、『突っ込んでおかないといけない』と感じたらしい。


「べレグさん……いや、アグリの姉貴って、あの見た目ですし……」

「中身は男だろ?」

「俺は姉貴から、『別にそれで良い』って言われてるんで」

「まあ……言うて姉貴は細かいことを気にするタイプじゃないか」

「べレグさんも姉貴呼びかよ……」


 四十代半ばの男性。べレグもアグリを姉貴と呼んでいる。

 もっとも、アグリは現在十八歳なので、明らかにアグリの方が年下ではあるが。


「……」

「あ、そういえば、ウロボロスの方で何かある?」

「……今日、急に、集中力がかなり落ちました」

「はっ?」


 サイラスの全身から、紛れもない殺気がユキメに向けられる。


「……っ!」


 言葉にならないほどの恐怖。

 無表情のままあまり動いてはいないが、汗が流れ始めた。


「サイラス。あまりビビらせるな。ユキメが怠けてるんじゃなくて、アノニマスがなくなったとか、そんなところだろ」

「そ、その通りです」

「……そうか」


 べレグの指摘にユキメは頷くと、サイラスが殺気を引っ込めた。


「アノニマスがなくなった?」

「この国の法律で、有益であっても無断で使う場合、相手は同じ組織じゃないとだめだ。アノニマスを解体された後も使ってたら法律違反だからな」

「へぇ、で、ユキメちゃん。ウロボロスはどんな感じになってたん?」

「……ひどいものでした」

「まあそれ以上の説明は要らねえな」


 べレグが呆れた様子で酒を飲んでいる。


「てことは、アグリの兄貴が表舞台に出てくるってことか。こりゃ、冒険者界隈が荒れそうだなぁ」

「ジャスパーは姉貴の強さ知ってたか?」

「全力じゃないと思いますけど、まあ、凄かったですね。サイラスの兄貴なんて片手間にボコボコに出来そうでした」

「……」


 サイラスは少しジャスパーを睨んだが、否定は出来そうにないのか、直ぐに視線を逸らす。


「……では、私はそろそろ……」

「ああ、報告は済んだからな。もう帰れよ」

「はい」


 ユキメを見るサイラスの眼は険しい。

 フードを被っていても、その眼光の鋭さが分かるほど。

 彼女が樽から立ち上がって、路地裏から出ていく間。

 サイラスの鋭い視線は、そのままだ。


「……サイラス。『あの件』は、姉貴が腹の中に抑えろって言ってた事だ。蒸し返すなよ」

「ユキメちゃんには厳しいですよねぇ。何かあったんです?」

「……俺は、アイツを信用してねぇ。それだけだ」


 サイラスはそれ以上は何も言わず、近くの簡易ベッドで横になった。

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