その鳥は鳥籠にも入れない

ひよこ1号

その鳥は鳥籠にも入れない


私が欲しいものは何だったのだろう。


幼い頃から周囲の人々に、可愛い、綺麗と持て囃されてきた。

誰もが美貌を羨み、でも子爵と言う爵位は貴族社会では底辺に近い。

物語では王子に見初められるなんて事も起きるけど、現実には無理だ。

顔の良さや性格の良さだけで、身分を越えられる訳がない。

子爵家は爵位もそうだけど、家によっては金銭的にも恵まれている訳じゃなくて、それは教育にも影響する。

元男爵令嬢の母が礼儀作法を教えてくれたけれど、挨拶の仕方くらいだ。

子爵家と男爵家だけで行うような低位貴族の交流の場では、あまり重視されないけれど、高位貴族のお茶会では違う。

滅多に呼ばれる事はないけれど、くすくすと笑われるのには段々慣れていった。


何時かは素敵な人と出会えるかもしれない。


そう思っていた私の元に突如現れたのは、侯爵家の令息、ダニエルだった。

貴族の通う学院で見初められて、すぐに恋人同士になって、すぐに噂も広がった。

羨む低位貴族の友人達に、馬鹿にする高位貴族の令嬢達。

彼の事が好きで、狙っている令嬢は多い。

嫌がらせや嫌味だって、「選ばれたのは私」と跳ねつけて来た。

事実だから、向こうだって何も言えない。

それに、身分差があるとしても、ダニエルには決まった婚約者がいないのだから、恋人の私が結婚したっておかしくはないのだ。

私の方にも婚約の打診は幾つかあったけれど、全て断った。

ダニエルほど見た目が素敵で、ダニエルほど爵位が高くて、ダニエルほど財産がある人はいなかったのだ。

親もそれをよく分かっていた。


「また婚約の釣書が届いたらしいわ」

「君は美しいから仕方ないけど、断ってくれるだろう?」


当然のようにダニエルはそう言う。

私は、勿論よ、と言って彼の腕の中に甘えて抱きついた。


「だってダニエルが結婚してくれるんでしょう?」

「ああ、僕は君と結婚する」


そして十年もの月日が流れた。


学園では毎日会っていたけれど、卒業してからはそう頻繁には会えない。

仕方なく家で母の仕事を手伝った。

貴族は領地さえあれば、それを繁栄させたり、税収を得られるけど、私の実家に領地は無い。

数代前に領地を手放すような出来事があったとかで、名前だけの貴族だ。

子爵家の中でも底辺、下手したら男爵家にも劣ってしまう。

父は王城で文官として勤めていて、母はお針子の仕事を家でしている。

手仕事をしているなんて公には出来ないが、レース編みや刺繍などを売れば生活の足しにする事くらいは出来るのだ。


お金のかかるドレスはダニエルが贈ってくれたし、宝石だって買って貰えた。

二人で買いに行く事はなかったけど、私は高価な贈り物に十分満足していたのだ。

実家の生活も苦しい訳じゃないけれど、実家の内情を話した後にダニエルから援助金として、実家にも幾許かのお金が払われるようになっていた。

それは実家の不興を買わない保身だったのだろうけど、私はそれも愛されているからだと思っていたのだ。


「ねぇ、いつになったら結婚してくれるの?」

「両親が反対してるんだ……すまない」


何度も繰り返した問答。

でもしつこい女は嫌われると分かっている。

だから、何かを強請って、それでその話はいつも終わっていた。


でもある日。


「結婚する事になった。……親が勝手に決めたんだ」

「……え?」


これだけ待たせて結婚、て何?

どうして?私とは結婚してくれないのに?


愕然としてダニエルを見ると、困ったように眉を下げている。

そして言い訳を更に始めた。


「勿論、君の事は今までどおり大事にするし、形だけの結婚だ。一度くらいまともな結婚をしておけば、親も黙るだろうし、いずれ離婚して、君と結婚するよ」


十年も結婚出来なかったのに?

結婚より離婚の方が大変なのに?


「知らないっ!ダニエルなんかだいっきらい!」


私は手近にある物をダニエルにぶつけた。

両手で頭を庇いながらもダニエルが言う。


「おち、落ち着けって!本当に、大したことない女だから、好きになんてなりっこないよ。君の方が断然美しいんだから」


情けない格好に、私は手を止めた。

本当は分かっている。

選ぶ権利なんて、最初から私には与えられていない。

涙を零しながら、私は泣きじゃくる。

それでも彼の甘い言葉を信じて、縋ったのは私の方だ。

いつになれば終わるんだろう。


よく籠の鳥って閉じ込められて可哀想って表現で使われるけど、籠にも入れてもらえない鳥はどうすればいいの?

自由なんてそんなに良いものかしら?

常に危険に晒されて、何処へだって飛んでいけるっていうけれど、安心して休める場所も食べる物もないのよ。

豪華な鳥かごの周りで、ただ飛び回るだけの美しい鳥。

皆は素敵な鳥籠の中から、そんな哀れな鳥を見て好き勝手に囀るんだわ。


泣きじゃくる私をダニエルが抱きしめる。

そしてまた、私はその温かさに縋るしかなかった。


「形だけの結婚」をした後、すぐにダニエルは私の元へ訪れた。

心配していたけれど、本当に大した相手ではなかったんだ、と私は安心する。

それに、ダニエルが嬉しそうに報告してきた。

白い結婚の約束をして、三年後に離婚したら私と晴れて結婚できるって!


でも気になって、その女を見る為に婚姻披露の場にすると言っていた王家主催の夜会にも勝手に行く事にした。

若くて瑞々しくて可憐な女性が、優雅に彼の腕に手を絡めて微笑んでいた。

「大した事ない女」と言っていたダニエルは、それは上機嫌に彼女を自慢するように見せびらかしている。

私は悲しいと言うより、イラッとした。

だから、わざと彼に話しかけに行ったのだ。

今までになく慌てて、彼は私を振り解いたけれど、相手の女性、シェリーはそんな私に相談がある、と耳打ちしてテラスに連れ出した。


てっきり文句を言われるのかと思ったけれど、耳打ちされた通り彼女は私に夫婦の寝室の鍵をくれたのだ。

真実の愛を、秘密の恋を応援すると言われて、何故か心が高鳴った。

だって。

侯爵邸に入った事があるのは、学生時代に一度だけだ。

その一度で、ダニエルは酷く叱られて、結局外で会うしかなかった。

高級な宿や、学校の近くにある小さな別宅。

シェリーのくれた鍵束が、まるで宝物のように輝いて見えた。

何て優しい人なんだろう。

今まで、私の事を応援してくれる人なんていなかった。

親ですら、半分応援してるものの、半分は呆れていたのだから。


シェリーは優しい。

それは間違いではないけれど、それが彼女がダニエルに与えた毒だったのだ。


夜会を抜けて、私は夫婦の寝室へと忍び込んだ。

彼女はわざわざ小さい地図をくれたけれど、通用門を探すのに苦労したくらいで、その門さえ分かれば後は簡単だった。

庭に面する扉は一つのように見えるが、両扉のように見えて、実は二つの扉になっている。

指示されたとおりに右側の扉の鍵を開け、小さな明かりを頼りに狭い廊下にある、右側の扉を開くと寝室があった。

豪華な天蓋つきの寝室。

更に地図に書き足されたように、夫婦の出入りする扉、今私が入った扉と向かいのダニエルの部屋、その二つ以外の扉の鍵を閉める。

これは使用人が出入りできない様にするためだ。


そして洋服箪笥を開けば、彼女が言った通り綺麗で扇情的な下着と、避妊の魔法薬。

真新しい使用人のお仕着せが、綺麗に収まっていた。

私は着てきたドレスを中に仕舞うと、上質な下着に身を包んだ。

シェリーのお陰で、私は夫婦の寝室で、まるで妻のように愛される。

嬉しくなって私は寝台に潜り込んだ。


どれだけ待ったか分からないけど、ガチャガチャ、と扉を開けようとする音に気がついて目が覚めた。

ヒヤッと背中に冷たいものが走る。

使用人が開けようとしてるのかしら?と扉の横に行くと、扉の外から慌てたようなダニエルの声。


「あれ?開かないな……ああ、こっちからじゃ駄目なのか」


開けようとしていたのがダニエルなら開けても良いかと思ったけど、シェリーからは駄目だと言われている。

ダニエルは何か間違ったようだし、私は寝台へと戻った。

程なくして、ダニエルは彼の部屋の扉からニヤニヤと締まりのない笑みを浮かべて部屋に入ってきた。

そして、私を見て、その笑顔が驚愕に変わる。


「な、何故君がいるんだ!」

「シェリー様に鍵を貰ったのよ」


まるで不審者のように言われて、私は多少なりとも傷ついた。


そんな泥棒のような技術なんて貴族の令嬢にあるわけないでしょ。

馬鹿なの?


それからダニエルはがっかりしたような顔をした。


「ああ、素敵な贈り物は君だったのか……」


シェリーがそう美しく表現してくれたのは嬉しいけれど、ダニエルの表情を見て、更に私は何とも言えない気持ちになる。

一体何があると思って、あの笑顔を浮かべていたのかしら?


「……気分が乗らないなら、帰るわ」


怒るよりも虚しくなって、私はダニエルに背を向けた。

だが、慌てたようにダニエルは私を後ろから抱きしめる。


「そんな事はないよ。驚いただけだ。綺麗だよ、オリビア」

「本当?」


取ってつけたような褒め言葉だけど、それでも嬉しいと感じる私は馬鹿なのだ。

もう十年待っているのだから、あと三年くらい。

引き返すには遅すぎる事に、幾ら私でも気づいていた。


それからというもの、ダニエルから呼び出されるか、二人が夜会に行った日に訪れた。

王家の人間がいる夜会には、連れて行けないと最初から言われていたので仕方がない。

でもそれ以外は私をエスコートするから、と言っていたのに。

参加する回数はどんどん減っていった。

仕事が大変だから、もうそんな歳でもないから、と誤魔化していたけれどある日言われたのだ。


「君は社交が得意じゃないだろう。シェリーとは違うんだ」


私は会える機会がそこしかないから、嫌でも行っていたのに。

冷たい視線と嘲笑に晒されながら、それでもダニエルの側に居たかったのに。

その日から私から夜会に行こうと誘う事はなくなった。


でも、ダニエルは秘密の逢瀬を止める事はなかったので、私はまだ夢から覚め切れずにいた。

呼ばれて、訪れて、愛し合う日々。

洋服箪笥の中身は、時々シェリーからの贈り物が入っていて、いつの間にかそれが小さな楽しみになっていた。

綺麗な下着だけではない。

私に似合いそうな香水があったから、とか、普段使いの髪飾りにどうぞ、とか。

小さな可愛らしいカードと共に、敢えてお互いの名前を記さないのは秘密だからだけど、それでも嬉しかった。

シェリーは約束を守るだろう。

だって彼女は、彼を愛してはいない。

一度だけ、ダニエルを愛していないのか問いかけた事がある。

彼女は微笑んで断言した。

「彼を愛していないし、彼が最後の一人の男になったとしても愛しません」

その目は凍るように冷たかったのだ。


だから、三年が過ぎれば。

結婚さえ出来れば、きっと。

私はダニエルに呼び出されて、身体を重ねるだけの日々に、虚しさを覚えながらも耐えた。

彼が時々「シェリー」と閨の最中に間違って呼ぶのも問い詰めなかったのだ。


そして三年が過ぎた。

シェリーは子供が生まれなかった事を理由に離縁されて、侯爵家を出たのだ。

その事は私達の秘密だと私も知っている。

だって、ずっと避妊しながらダニエルの相手をしてきたのは私だから。

生まれるはずもないのに、それを行使したのは「白い結婚」のため。

彼女は彼女の大事なものの為、愛するものの為に戦ってきたのだ。


私は?

私は。

ずっと、待ち続けて、縋り続けて、耐え続けて。

醜聞に塗れて、それでも愛されない。

彼が今、心から望んで焦がれているのはシェリーだ。

一切の触れ合いをしていないのに、それでも彼は彼女を捜し求めた。

そして一ヵ月後、彼女は国外で元婚約者と結婚をしたらしい。

その事を彼女からの手紙で知った侯爵夫人から罵られ、ダニエルは漸く諦めたのだ。

私以外と結婚しようとしても、今更彼の評判は戻らない。

「あんな素敵な女性を、追い出すなんて」

そんな評価が加わったのだから。


だから、私の待ち続けたように、彼は私の手を取るしかなかった。

結婚しても、結婚式は行わない。

彼は再婚でも、私は初婚なのに、だ。

外聞が悪い、招待できる客もいない、そう侯爵夫妻に言われて、彼は従う。

いつだって親の言いなりで。

シェリーとだって、彼女が強行しなければ親が反対して…とその手を決して放さなかっただろう。

結婚はした。

子爵家からすれば莫大ともいえる支度金も入って、何より漸く結婚できた事に両親は安堵した。


改めて何度も訪れた事のある夫婦の寝室に立って、部屋を見渡す。

全てが変わったはずなのに、何も変わらない。

愛されないのも、そして私の愛さえ磨り減って、形を変えていた事に気づいても。

洋服箪笥を開けると、最後の贈り物が置いてある。

小さなカードには、お元気で、と一言。

自鳴琴付きの、宝石箱。

中には、町で流行っている願いが叶うと言う腕飾りが入っていた。

身に着けて、それが切れれば願いが叶うのだという。


彼女は願いの行き着く先を知っていたのだろうか。

結婚をする事が、もう私の望みではない事も、幸せになんてなれない事も。

ダニエルの愛が得られない事よりも、お互いの妥協よりも。

もうこの洋服箪笥に、私宛の小さな贈り物が置いてあることがなくなってしまう方が何よりも悲しかった。

最後の贈り物を抱きしめて、私はただ泣き続けた。


そしてまた三年の月日が経った。

夫婦の仲は最初から冷え切っている。

初めて夫婦で訪れた夜会で夫婦ともども嘲笑されて、侯爵夫人が慌てて用意した家庭教師に礼儀作法を学ぶ事になった。

使用人達も最初から態度が悪かったけど、ダニエルに言っても夫人に言っても無駄だ。


「彼らはシェリーの事が大好きだったんだから、仕方ない」


二人は口を揃えた様にそう言った。

私も彼女を好きだから分かるけど、その矛先が全部こちらに向くのは納得がいかなくて。

掛け違えてしまった釦と同じく、何もかも上手くいかなかった。

違うけど、違うのに、言い訳は出来ない。

白い結婚を望んだのはシェリーだとしても、その秘密の上に私とダニエルの人生は築かれているのだから。

それに、その白い結婚を望んだのは、確かに私達もだったのだ。


ある日、ダニエルに愛人が宛てがわれると知った。

侯爵夫人が勿体ぶって、私に言ったのだ。


「真実の愛、の貴女にも子供が出来ないのではねぇ……でもまた離縁となれば噂が再燃してしまうでしょう?」

「はい。異存はございません」

「そう、良かったこと。……でも貴女の目に触れるのはどうかと思って、別宅を用意したから。ほら、学生時代に使わせていたあの家。あれに住まわせる事にしたのよ」


侯爵夫人なりの嫌がらせだろうか。

今更思い出を穢されて憤るほど、ダニエルへの気持ちは残っていないけれど。

私は尚のこと慇懃に返した。


「そうですか。ご配慮感謝致します」


ダニエルも侯爵夫人も、持てる者の余裕というか、傲慢さがある。

金目当てだろう、と周囲にもよく言われた。

確かに身分や財政状況を見れば、そうだろう。

見栄もなかったとは言えないし、夢を見ていたのでそう噂されるのは仕方がない。

でも、私は幸せになりたかっただけだ。

間違ってしまっただけで、誰かを不幸にした訳じゃない。

自ら不幸になる選択を重ねてしまっただけだ。


礼儀作法を覚えて、侯爵夫人の小言が減る代わりに、ダニエルは私が冷たくなったとよく言っていた。

段々夫婦生活が減って、どんどん義務になっていったから、愛人が出来たという事で私はほっとしたのだ。

片方の気持ちがあればまだしも、両方の気持ちのない行為はただの苦行で。

だから、若くて綺麗な愛人が出来たと浮かれていたダニエルが、夜の誘いをかけて来たことには驚いた。

驚いたけど勿論断った。


「オリビア、今夜は久しぶりに一緒に過ごさないか?」

「……あら、まだ私の事を覚えてらしたんですか」


私は乾いた笑いが抑えられなかった。

そして、ダニエルに向き合って、にっこりと微笑み直す。


「芽吹かない畑に種を蒔く事はありません。どうぞ新しい畑に蒔いて下さい」


私の拒否する言葉に、ダニエルは驚いた。

今までどんなに嫌な時でも拒否した事はなかったのだ。


「出て行って下さい。もう用はないでしょう?」

「え……あ、ああ」


日々、侯爵家から貰えるお金は貯まっていくけれど、使い道がない。

夜会に行かないからドレスも宝石も必要ないし、実家には既に十分な蓄えも出来ている。

私の噂が弟の足を引いてしまっていたけれど、家族にもその事で責められる事はなかった。

お金はあっても困る事はないから、積極的に離縁する気はないけれど。

それでも、私の幸せは、どこにもない。


静かに絶望する日々を送っていた時、久々にダニエルから声がかかった。

ノックの後、扉越しに話しかけてくる。


「シェリーが来てるんだ。シェリーが君にも声をかけてほしいって、だから一応伝えt…」


言い終わらないうちに私は扉を開けた。

ダニエルにぶつかったようだけれど、そんな事はどうでもよかったので、確かめもせずに私は走り出す。

庭に、使用人達に囲まれて、楽しそうに話しているシェリーがいた。

私はその手を握って、必死で部屋に連れて行こうとするが、シェリーは安心させるように微笑んだ。


「話がありますの!」

「ええ、大丈夫。分かりましてよ。夫人が戻ってらしたら、わたくしはオリビア様とお話してるってお伝えしてね」


気がつかない内に私は涙を零していて、それを見た使用人はギョッとして、シェリーはあらあら、と言いながらハンカチを目に当ててくれた。


「さ、参りましょう」


シェリーの優しい声に促されて、私は部屋へと戻った。


「あら、ここ。わたくしの部屋だったのだけれど、今はオリビア様が使われているのね」

「……あ、ごめんなさい……あの部屋に住むのは、嫌で」


あの部屋とは夫婦の寝室の事だ。

ふふ、と笑ってシェリーは穏やかに言う。


「いいのですよ。わたくしも同じ気持ちでしたもの。あの時は何もして差し上げる事は出来なかったけれど、今日はオリビア様のお話もお聞きしようと思って参りましたの。お話をして下さる?」


私は必死で何度も頷いて、彼女に全てを打ち明けた。

思えば、ずっとダニエルと一緒に居た事で、学生時代はそれまで一緒にいた友人と疎遠になり、新しい友人も作れなかったのだ。

だから、悩みを聞いてくれる相手もいなかった。

今更ながらにそんな事にも気がついて、私は嗚咽しながら全てを吐き出したのだ。


全てを聞き終えたシェリーは、まず私をぎゅっと抱きしめた。


「一人で、お辛かったでしょうね」

「うぅ……ううう……」


堪えていた涙がまたぼろぼろと目から零れ落ちる。

シェリーは手馴れたように、水差しでハンカチを濡らすと私を仰向けにして、目の上に乗せた。


「そのまま、冷やしたままでお話いたしましょう。わたくしは離縁をお勧めいたしますわ。……新しいお相手はわたくしが、責任を持って探して差し上げます」


離縁しても行く所なんてない、と言いかけた私に、力強くシェリーが言った。

繋がれた手も言葉に合わせるようにぎゅっと握る。


「それに、侯爵家から離縁の為のお金をふんだくって差し上げます。今更少しくらい恨まれても、問題ないでしょう?貴女や貴女の家族に手は出せないように、わたくしが何とか致しますから安心なさって。だって、若い頃から貴女の時間を浪費させたのだから、それなりの報酬は必要ですわ」


「……いらなぃ……全部、シェリーにあげる……」


口から出たのはまるで子供のような泣き声で、シェリーは優しく手を撫でさすった。


「ふふ。じゃあ預かりましょう。貴女の住む場所も探してあげますし、身の回りの品を揃えるのに使いましょうね。それに、貴女は私と一緒に国外に出た方が良いと思うのよ。実は、貴女に紹介する殿方の当てもありますの」


「……ほんと?」

「ええ、本当。貴女がその人を気に入らなくても、別の人を探すから無理はしないでいいの。けれど、きちんと向き合って貴女の望む御方かきちんとお相手を見て差し上げてね?」


私はこっくりと頷いた。


でも何で私の為にそんなに、大変な事をしてくれるんだろう。

シェリーの手を握り返すと、優しく握り返された。

まるで私の心を見透かしたように、彼女は静かに言う。


「わたくしは貴女が不幸であるべき人だと思っていないのです。それに、侯爵家へのちょっとした嫌がらせでもあるから、気にしないで貴女は幸せになってくださればいいわ」


ふふっと思わず笑う。

彼女の優しさは、どこかで復讐も含んでいるのも面白い。

私には思いつかないけれど。

久しぶりに自分の笑い声を聞いた気がした。


それから、一ヶ月も経たない内に、色々環境が変化した。

離縁の手続きが進み、財産の分与も行われたようだ。

シェリーが貸してくれた使用人が私の部屋を片付けてくれて、荷物はどんどん片付いた。

持って行きたい物なんてごく僅かだ。

それが全て実家から持ってきた私物と、シェリーから貰った物だったなんて、何だか物悲しくもあり、こそばゆくもある。

ずっと身に着けられなかった願いの腕飾りを手首に通す。

ダニエルから貰った物は、全て使用人の手によって売られて換金されて、それも全てシェリーに預けてある。

少ない荷物を馬車に積んで、最後のお別れを交わした。


「長い間、お世話になりました」

「オリビア、元気でな」


侯爵夫妻は挨拶にも出てこなかったが、どうでも良かったし、ダニエルが良い笑顔なのもどうでも良かった。

最後の挨拶は最低限の礼儀でしかない。

私は馬車に乗って侯爵家を後にした。


そして、一ヶ月もせずに、シェリーと夫のエリック、子供達と一緒に国外に旅に出たのだ。

温かく仲睦まじい夫婦、思い合う二人の姿に、私は嫉妬ではなく安らぎを覚えた。

小さな子供の手で触れられると、その柔らかさに驚いてしまう。

誰かに何の打算も無く、温かい笑顔を向けられたのは……家族以外では初めてかもしれない。

これからどうなるのか分からないけど、あの屋敷に、ダニエルに囚われ続けるよりはいいのだと、私は窓の外を流れる外国の風景に心まで洗い流されて行くようだった。


ずっと鳥籠に入りたいと願って、でもその鳥籠は居心地の良い場所ではなかった。

今の私は、鳥籠から飛び立った鳥と同じ。

危険があっても、食べ物がなくても、死んだように生きるしかない鳥籠を出る気持ちを漸く覚えた。

それに、籠が無ければ巣を作ればいいのよね。

優しい友人の手を借りて、長い事歩みを止めていた足を、私は漸く踏み出した。

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