1章 第36話

 そう、私達はこの瞬間を待っていた。シンが隙を晒すこの一瞬を。いくらシンといえど、油断しているこの状態で、背後にまで障壁を張る余裕はない筈だ。


 シンの背後には、剣に炎を纏わせた姉さんの姿がある。この一瞬の為に、私達三人で必死に隙を作った。

 そう、全てはこの一撃の為!


 シンは反射的に躱そうとするが、そうはさせない! シンの周囲を氷で囲い、その逃げ道を塞ぐ。

 いくら障壁で魔法を防ごうとも、その周囲に氷を張り巡らせる事ぐらいは出来る。


「いっけえ、姉さん!」

「はぁっ、爆炎‼」


 姉さんの渾身の爆炎が、シンを捉える、

 間違いない。それは今まで見てきた中でも、最高の威力だった。

 これなら絶対にシンを倒せた筈!


「何っ!?」

「君達なりに精一杯知恵を振り絞ったんだろうけど、残念でした。障壁は常時、全方位に展開出来るんだよね」


 だが、煙が晴れたそこには、無傷で不敵な笑みを浮かべるシンの姿があった。


「ほら、お返しだよ」


 隙だらけの姉さんに向かって拳を突き出すシン。

 それを姉さんは辛うじて剣で受け止めたが、その凄まじい威力に吹き飛ばされ、途中で岩にぶつかって倒れ込んだ。


「さあ、残るは君達魔法使いだけだ」


 私とロザリーちゃんを見ながらシンが告げる。


 既に虫の息のヴォルフさん。何とか致命傷は避けたみたいだけど、既に戦える状態にない姉さん。そして、ヴォルフさんに必死に治癒魔法をかけているロザリーちゃんと、唯一まだ戦える私。


 でも、私一人でどうにか出来る相手じゃない事は、既に嫌という程理解している。


「くっ」


 私は思わず一歩後退った。その行為に、何の意味も無い事なんて分かっていながら。


「さあ、これで終わりだ」


 ゆっくりと近づいてくるシン。

 脳裏に「死」という言葉が浮かんでくる。


「逃げろマリー! お前一人で勝てる相手じゃない!」


 自分も重傷で、人を気にする余裕なんかない癖に、それでも私に逃げろという姉さん。

 まったく、姉さんは昔からそうなんだから。

 私は短弓の弦を引き、そこに氷で作った矢を構える。


「私は諦めません。最後まで戦います!」


 シンに向けて氷の矢を数本放つが、それはやっぱり障壁によって防がれる。


「はあ、全く理解出来ない。どう足掻いても君に勝ち目はないのに。何故抵抗するんだい?」


 シンの問いかけを無視し、残る魔力を振り絞って放てるだけの魔法を放つ。

 例えそれが無駄だとしても、私は攻撃の手を緩めない。

 魔法に紛れさせて矢も放つが、それは全てシンの障壁に阻まれる。でも、それでも構わない。


 ……この気持ちを、魔物なんかに理解できる筈がない。

 小さい時から私を守ってくれていた姉さん。どんな時でも傍にいてくれた姉さん。その姉さんを守るためなら、私は例え勝ち目がなくても、どんな敵にだって立ち向かって見せる。


 だって私達は。


「姉妹だから」

「マリー……バカ! もういいから、逃げるんだ!」


 姉さんの叫び声が聞こえてくるけど、それは聞けない。

 私は絶対に逃げない!


「ごめんね、姉さん」


 姉さんに一言謝る。多分、もう謝れなくなるから。

 既に手持ちの矢は全て打ち尽くし、魔力も底をついた。残るはこの杖ただ一つ。


「ふーん、あっそ。じゃ、さっさと死んじゃいなよ」


 シンが私の目の前まで迫り、その拳を構えた。

 死を覚悟し、せめて直撃は避けようと杖を構え、両目を瞑って歯を食いしばった。すると、私のこれまでの人生の記憶が走馬灯の様に流れてきた。


 貴族家の四女として生まれた自分。

 どうせ将来は家を出る事になるからと、姉さんと始めた魔法と戦闘の訓練。

 ペコライの街で冒険者になった時。初めて依頼を達成した時。


 そして、つい先日出会った不思議な人、カイトさん。

 ……ああ、やっぱり死ぬのは怖いな。


「オイ椎茸、一緒に食べたかったな」


 そう呟いた時だった。


「ああぁぁぁぁぁぁぁぁ! 誰か止めて! 受け止めてぇ!」


 聞き覚えがある声が空から聞こえてきたと思ったら。


「は? へぶっ!」


 シンの間の抜けた声と「ドゴッ」という鈍い音が聞こえてきた。

 慌てて目を開けると、そこにはシンの顔に、見事なドロップキックを放った状態のカイトさんの姿があった。


「……え? 障壁は?」


 私の口から出てきた言葉は、自分でも分かるぐらい間の抜けたものだった。




「いやいやいやいや、ミスった! 勢いつけ過ぎた!」


 一分もかからないって言ったけど、その時点で気付くべきだった。

 あの距離を一分もかからないって、一体どんな速さだよ! なんか地上の景色が物凄い速度で流れていってるし。


 あ、ヤバい。人影が見えたけど、そんなのに構ってる余裕はない。このままじゃ皆の元に辿り着く前に人肉のミンチになってしまう! なんとかしないと……いや、無理だろこれ。


「ああぁぁぁぁぁぁぁぁ! 誰か止めて! 受け止めてぇ!」


 どうにか体制を整えようともがいたが、結果は頭と足の位置が入れ替わっただけで、全く意味がなかった。


 そしてそのまま地面に衝突……は、しなかった様だ。まず、なんだか妙な感触の壁みたいな物を踏み、それが良い感じのクッションになった。


 次に、これまた良い感じの柔らかさのボールみたいな物を踏んだので、それを踏み台に、跳躍スキルを使って一息に跳躍。

 最後にクルクルと回転しながら地面に着地し、両手を上げてまっすぐ背筋を伸ばして直立。


「十点!」


 オリンピック選手も顔負けの着地芸を披露した。

 いや、冗談めかしてみたけど、本気で危なかった。俺の体、よく無事だったな。これも身体強化のおかげか?


「カイトさん!?」


 そして、突如背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「マリー! 無事だったのか!」


 良かった、生きてた!


 いや、よく見ると全身泥だらけで、服もそこかしこが破れて血が滲んでいる。足元はフラフラでおぼつかなく、息も上がっていて今にも倒れてしまいそうだ。

 満身創痍、という言葉が頭に浮かんできたが、まさしくその通りだと思った。


「とにかく、コレを飲んで!」


 俺は慌ててトレージからポーションと魔力回復薬を取り出し、それをマリーへと差し出した。

 一応街を出る前にも渡してあったが、この様子からするに、恐らく使ってしまったのだろう。


「あ、ありがとうございます。って、そうじゃなくて! 何でこんな所に来ちゃったんですか! 街で待っていて下さいって言ったのに!」

「え、いや、それは……みんなの事が心配で。それにナナシさんが「手遅れになる」なんて言うから」

「ナナシさん?」


 あ、そうか。そういえばマリーはまだナナシさんの名前を知らないんだっけ?


「ほら、あの仮面の店主さん、覚えてるだろ? あの人だよ」

「ああ、あの人ですか。って、だからそうじゃなくて!」


 えー、マリーが聞いてきたんじゃん。


「とにかく、ここは危険ですから、今……す、ぐ……」

「え? お、おい、マリー!?」


 突然倒れ込んできたマリーを慌てて抱き留め、声をかけた。


「す、すみません。上手く、力が、入ら……なくて」

「そんな事いいから。ほら、ポーションだ」


 ストレージから新しくポーションを取り出し、マリーの口元に持って行くと、弱々しいながらも、ちゃんと飲んでくれた。


「んくっ。はぁ。すみません、助かりました」


 ポーションを飲んで幾分か調子が良くなったのか、マリーは俺の腕から離れ、一人で立ち上がった。


 良かった、もう大丈夫みたいだな。

 改めて周囲を見回してみて気付く。


 そこら中に横たわる討伐隊の面々。その全てが虫の息の様だ。なんか一人見覚えのない少年が混じっているけど。


 しかも、よく見ると遠くにフーリが倒れているし、近くの大木の下には、一目で重傷だと分かるヴォルフと、ポーションをヴォルフの傷口にかけているロザリーさんの姿があった。


 これを全て、オーガキングが……。

 俺はストレージに入ってるポーションをありったけ取り出し、地面にまとめて置くと、マリーの方を向いた。


「これをみんなに。俺はオーガキングを探すから」

「え? いや、あの、カイトさん?」


 マリーが何か言おうとしているが、恐らく俺を止めようとしているのだろう。


「止めないでくれ、マリー。みんなをこんな目にあわせたオーガキングを、俺は許せない!」

「いえ、そうじゃなくて」


 一歩間違えば、みんな死んでたかもしれないんだ。このまま放っておく訳にはいかない!


「大丈夫、一応秘策もあるから」

「ですから、違うんです! オーガエンペラーは……シンはさっき、カイトさんが蹴り倒してしまったんです!」

「へ?」


 我ながら随分間の抜けた声が出たと思う。

 蹴り倒した? 俺が?


 しかも、オーガキングじゃなくて、オーガエンペラー? あ、もしかして、さっきのいい感じのクッションがオーガエンペラーだったりしたのか?

 うわぁ、やらかしたかなぁコレは。いや、むしろお手柄か?






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