転じてXするために『キミ』はいる
富士なごや
X部X章 ミライが転じたときの、セカイの記憶
大量の赤黒い泡の連なりの頂点に、幼い顔立ちの人間の頭が一つある。
泡の中では、無数の、真っ黒なものが蠢いていた。
まるで何かの卵のようで。
だから、これは、あの幼い人間が何かを孕んでいる……と言えるのかもしれない。
あまりにも気持ち悪い。
あまりにも禍々しい。
あまりにも邪悪だ。
この世には、絶対に、存在していてはならない。
この世に、決して、誕生させてはならない。
そう、誰が見てもわかる存在だ。
「――キミは、世界のために、耐えてくれていたんだな」
世界を一変させてしまうことがわかりきっている存在を前に、今、肉体は一人、けれど内包している魂は二人という、邪と戦うためだけに創られた存在が立っている。
右手には、純白に輝く、剣のような形状の光そのものを握っていて。
その背中には、まるで翼のような、まるで帆のような、光そのものを背負っている。
闇を照らす光そのものを象ったような存在だ。
「――世界の、ため? 違う、違うわ」
邪悪な泡の頂点で、幼い顔が言った。
バカにするような口調で。
何を見当違いも甚だしい、とばかりに。
「――なら、キミは何のために、コレを抑え込んでいるんだ?」
光そのものには、わかっていた。
本来なら、もうずっと早くに、泡は弾けていたはずだと。
中を蠢く邪悪が、世界に誕生していたはずだと。
けれど、そうなっていない。
それは、カノジョが耐えて、抑え込んでくれているからだ。
そうとしか考えられなかった。
「――あの子の、ためよ。あの子を、守るため。あの子が、幸せに、なるため」
自分のせいで傷付けてしまった女の子のことが、カノジョの脳裏に浮かぶ。
酷い傷を負わせてしまった女の子。
自分さえいなければ、自分と一緒でなければ、負わなくてよかったはずの傷だ。
あのとき、あの悲劇が、自分の中に芽生えさせた。
もう、誰かとは、一緒にいられないと。
そして、あの子の未来を守るために、自分が一人で戦うのだと。
その戦いに勝利することはなくても。自分には勝つ力がなくても。
誰かがこの戦いを終わらせてくれると、信じて。
まさか、あの男の子が、その誰かになるとは思いもしなかったけれど。
きっと、自分と別れてから、何かがあったのだろう。
「――お姉ちゃん」
聞こえた声に、カノジョの目が見開かれる。
その声は、まさしく、あの女の子のものだったから。
でも、どうして。
考え、絶望する。
守りたいと思ったあの女の子が、戦うことを選んだからだ。
だから、ここにいる。
けれど、絶望はしたけれど。
納得もした。
その納得は、安心と感動に変わった。
だってあの男の子と女の子は、ずっと一緒にいることを選んだということだから。
「――ずっと、愛し合っていたのね」
カノジョの目に、光の中、二人の姿が映った。
二人は、互いに見合い、照れ臭そうに笑っている。
幸せな光景だ。
「――一緒に、行こ。お姉ちゃんを独りぼっちには、しないから」
「――キミの話、聞かせてよ。オレはずっと、もっと、話がしたかったんだ」
「――そうね。本当はね。私、独りも嫌いだし、お喋りも大好きなのよ」
カノジョが笑う。
二人も笑った。
光そのものが、光で模った剣を掲げる。
そして――光そのものは、高く跳躍した。
光の剣を大きく、上段に振りかぶって。
※
これは、世界が転変したときに起きたこと。
だから、世界は思い出す。
転変したあとの未来で、時々、このときのことを。
のちに百年近く続くことになる、空を大地を数多の血で汚すことになる、全種族を、全生命を交えた大戦争が勃発してからも。
痛ましい大戦争を終え、全種族が、全生命が手を取り、時に泣き合い、時に笑い合い、時に励まし助け合って生きていく、平和を築こうとする時代に入ってからも。
邪なる存在が生まれてしまい、それらから、社会を、命を守るため、自らの身を顧みることなく戦わなければならなくなってしまってからも。
世界は、思い出す。
このときが。
何もかも、すべての。
始まりだったと。
誰も彼もが。
世界すらも。
何かに転じてしまうことになった、と。
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