1部3章 逃げる先でも災難 2

 もう、ヘトヘトだ。

 歩き出してから、そう経っていない。

 それなのに、休みたいと身体が悲鳴を上げている。

 でも、まだダメだ。まだ足を止めていられない。

 酷使しているとしても、安心して休める場所を見つけなければならないから。


 ……どこかに、どこかに休めるところは。

 川を超えてから、ひたすら真っ直ぐ歩いてきた。

 けれど、見える限り一面、草原が続いているだけ。

 休めそうなところはない。野宿するにしても、せめて、身を隠せるようなところ……岩場とか木の洞とか、そういったものを見つけたい。


 もちろん、村や町が見えてきたなら、そこに行くまで頑張れるが。もしくは、街道沿いで営まられているという宿屋や厩舎でもいい。人がそれなりの人数いて、賑わいのある、何かしら営みのある場所であれば、心落ち着けられる。

 ……地図だと、ここから真っ直ぐ行ったら、村があるはずなんだけど。


 地理は学舎で習っていたことの一つ。

 自分たちのコテキから《イツミ川》を渡って、そのまま真っ直ぐに進んでいった方向には、《ポラック》という町があるはずなのだが。

 地図上では、そんなに離れていないと思ったのに。

 あとどれほど歩けば、見えてくるのだろう。


               ※


 時々、ビクッと身体が震えて。

 自分の身体のそんな動きに、ぼーっとしていた意識がハッと鮮明になる。

 そんなことを繰り返すようになった。

 もう限界ギリギリのところまで来ていることは間違いない。

 視界は薄暗い。もう日が沈んできたからだ。そう思えるだけ、まだ頭は働いている。これが、時の移ろいなんて関係なく視界が暗くなってきたら、いよいよヤバイ。

 歩かないと。

 町はもちろん、岩場も大木も見当たらないのだから。


 ――どっ――どっ――


 オレは足を止めた。

 なんだ?

 何か、音が。


 ――どっ、どっ――どっ、どっ、どっ――


 音。

 やっぱり。

 聞き間違いじゃない。

 一定調子の音が近づいてくる。

 これは……馬の走る音?

 大地をひづめが叩く音と、とてもよく似ている。


 助けてもらえるかもしれない。

 オレは顔を上げ、音の正体を探す。

 すぐに見つかった。


 左のほうから、こっちに近付いてくる影。

 案の定、馬だった。馬には、人が乗っている。

 四頭と四人が、近づいてくる。


 ……兵士?

 馬の上にいる四人は、全員、しっかりと装備していた。


 なんとなく。

 嫌な予感。


 その根拠は、同じ装備をしていないからだ。

 全員、バラバラ。

 鎧の種類も、頭に被っているものも、違う。

 国軍だったら、どこかの都市の守備隊だったら、装備品は同じではないのか? 

 だって兵士は、守衛隊は、公務員だから。その仕事に就くことが決まれば、行政から装備品一式が配給されるはずだ。


 ウチの父親だって、ほかの人たちと同じ装備をしていた。

 中には自腹で装備を使いやすいものに変える人もいたが、だとしても、同じ装備品を身に付けることは団結力を形成する目的もあるから、守るべき定形みたいなものはあった。

 だからこそ感じた、不穏なもの。


 先頭にいた一人が、右手を掲げた。

 その手が、ギラリと強く光った。

 振り下ろされる手。


 ――ひゅん

 風を裂く音がした。


「ッ」

 次の瞬間、左こめかみに激痛が走った。

 え?

 シルキアから左手だけ離し、痛いところに触れてみる。

 ぬるっとした。


 え?

 何に触れたのか、見て確かめる。

 指先が真っ赤だった。

 血だ。


 え?


「ハッハッハ! お前外してんじゃねぇか!」

「うっるせぇよ! わざとだから! わ・ざ・と! 奴隷商に売るために生かしたの!」


 外す?

 わざと?

 奴隷商?

 聞こえてきた物騒な声。

 それを言ったのは、誰?

 それを言ったのは、あの、近づいてくる人たちだ。


 オレはシルキアを抱き直し、駆け出そうとする。

 あの人たちは悪党で。

 自分たちが狙われているのだと、気付いたからだ。


 けれど、ちょっと走ったところで、一頭と一人が先回りして行く手を遮ってきた。

 ああっと思って方向転換するも、そちらも塞がれてしまう。

 あっという間に、囲まれてしまった。


「はぁ~い、通せんぼぉ~!」

「もうここから逃げられませぇ~ん!」

「ふぅん、男のガキと、おい抱えてんのは女か? ああ?」

「あ~あ~、頭から血ぃ出ちゃってんじゃん! いったそぉ~!」

 頭上から矢継ぎ早に振ってきた声声声声。

 オレはぐるぐると、四人を次から次に見て、視界がふらついた。


「アンタたち、何なんだっ!」

 誰が代表かわかるわけもなく、誰を見て発すればいいのか悩んだ結果、右に左に顔を振りながら、身体を前に後ろに向けながら、怒鳴った。

 くらくらする。


「何? 何ってあ~、盗賊だわなぁ」

「ばっか、そらぁ副職だろ。本業は死体漁りだっての。だからコテキに向かうんだろ」

「おいおい、オレは傭兵のつもりでもあるぜ?」

「何でも屋だ。金のためなら、何でも」


 最後の一人の言葉に、ほか三人が大笑いする。

 何が面白いのか。

「それだな。オレたちは、暴力の何でも屋だ」

「ってわけだから、大人しく一緒に来よっか。ね?」

「お前に、奴隷っていう、新しい人生をくれてやるからよ」

 四人、馬から降りた。


「……お兄ちゃん?」

 小さな呟き。怯えが感じられた。

 オレはシルキアの後頭部を左手で少し強く抑える。顔を上げさせないように。

 こんなもの……こんな、こんな汚い人たち、見なくていいから。


「んっん? お兄ちゃん? 今お兄ちゃんって言ったぁ~あ?」

「ああ、言った、言ったぜ! ひょ~~~、こりゃあ幸運だぜ!」

「悪党として誰かの役に立ってきたかいがあったってこったなぁ! うんうん! イイことすれば、巡り巡って、イイことが回ってくるってなぁあ!」

「兄妹なら揃えで高く売れるな。兄妹愛好家が顧客の奴隷商、どこのどいつだっけ」

 悪党どもが好き勝手に喋る。

 何が、誰かの役に立ってきた、だよ。

 何が、イイことすれば巡り巡る、だよ。

 ふざけんなよ。お前ら、悪事ばっかりしてきたんだろ。


 もう、ダメだ。

 諦めが胸に広がる。

 すでにヘトヘトだった身体に、この状況から逃げ出すことなんて不可能だ。

 相手は四人もいて、大人で、悪党で、馬までいる。

 もう、ダメだ……。


 涙が込み上げてきた。

「……あのっ」

 オレは両膝をついていた。意識より先に、突き動かされるように、動いていた。

 妹を強く抱き締めたまま、オレは上体を折れるだけ折って、深く深く頭を下げる。


「妹だけは、助けてもらえませんかっ!」

 オレは出せる限りの声を出していた。

 もう縋るしかなかった。

 妹だけは助けてと、懇願するしか。


 ――ぎゃはははははははははははは!


 ほんの僅かな間を置いて、濁った笑い声が響き渡った。

 それを聞いて、オレの目からは涙が溢れた。地面に雫が落ちていく。

「無理に決まってんだろ!」

「そうそう無理無理っ!」

 無理だと、悪党どもは何度も突き付けてくる。


 クソ。

 クソ、わかってたよ。

 でも、でも、でもでもでもでも!

 オレは顔を上げ、胸を反らしながら腹いっぱい、空気を吸った。

 思い付くことは、これしかもうなかった。


「助けてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえっ!!!」


 目を瞑って、顔をくしゃくしゃにして、全力で、叫んだ。

 助けを求めた。


 魔族を倒したあの人が、また声を聞いて来てはくれないだろうか。

 ……いや、無理か。

 だってカノジョは魔族を殺しに行った。《コテキ》へと、行ったのだから。

 ここからはだいぶ距離が離れている。聞こえるわけがない。


 それでも。

 それでも叫び続ける。

 声の限り、助けを求める。


 あぁ……なんて無力なんだろう、オレは。


 汚い笑い声が大きくなる。

 汚い笑い声が強くなる。

 汚い笑い声が――小さくなった。

 汚い笑い声が――――止んだ。


 ドサ、という音にオレは目を開ける。

 悪党が一人、倒れていた。

 その頭には、一本の矢が刺さっている。右目から矢じりが飛び出ている。

 え? し、死んでる?


「おいっ! おいおいおいっ!」

 一人が切迫した声を出した。

 それが伝播し、残る二人も慌てだす。

「ど、どこからっ! どこからだっ!」

「あ、あそこ、ぉ~ん――」

 右手を掲げ、どこかを示すように人差し指を伸ばしたその男が、奇妙な声を上げながら後ろに傾く。どさりと倒れたソイツの口からは、一本の矢が生えている。


「「ひぃぃぃい!」」

 残存している二人が、無様な悲鳴を上げながら、自らの馬へと飛びつく。

 しかし、実は懐いていなかったのか、乱暴に乗られようとしているせいか、馬が鼻息荒く暴れるものだから一向に乗れそうにない。おいっとか、こらっとか、悪党どもは怒鳴り散らして落ち着かせようとするが、人の焦りに敏感な獣だからこそ逆効果でしかなかった。


 あ。


 視界の上方に、煌めくものが見えた。

 放物線を描きながら、しかし鋭く飛来するそれは、男の側頭部に突き刺さる。右足を軸にしてくるりと回ったその男は、バタリと倒れた。男が乗ろうとしていた馬が、ひひぃんと嘶いて走り出す。その動作が合図となったのか、もう騎乗者のいないほか二頭も駆け出した。

「あ、ちょ、おいっ! 待てっ!」

 残る一頭も、大暴れし、悪党の手から手綱が離れた瞬間、逃げ出した。

 その馬のお尻に縋るような手を伸ばしていた男、その首に矢が突き刺さった。ごぶっと汚い赤い泡混じりの血を吐きながらふらつき、悪党が倒れ伏す。


 一人一人、オレは倒れる者たちを検める。

 動かない。

 死んでいる。

 ……助かった。

 安堵する。


 ――どっ、どっ、どっ――


 ……いや、まだだ!

 蹄の音が聞こえ、オレは気を引き締めた。

 悪党が全員死んだからといって、安全が約束されたわけではない。

 悪党を殺した存在が悪党、という危険性だって充分にあるのだから。

 どうするかと考え、オレはシルキアを左手だけで抱え、空けた右手で一番近い死体の腰から短剣を抜いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る