1部2章 死と避 1
凄まじい音圧の雄叫びに、オレは反射的に四つん這いの体勢のまま頭を低くした。
「な、何っ今のっ!」
恐怖心のせいだろう、ネルの声は金切り声だった。
「わかんねぇよ!」
怖いのはオレも同じで。出そうとしたわけでないのに、怒鳴り声が出た。
「け、獣よねっ! そうよねっ!」
「だからわっかんねぇってば!」
「獣じゃないならなんだって言うのよっ!」
ネルの声には、もう涙が滲んでいた。
雄叫びの正体が獣だと信じたい。
その気持ちは、オレの中にもある。
でも、そうじゃないだろうなって考えも、あった。
具体的にその言葉を言いたくなくて、ネルに対してわからないと言い続けたけれど。
多分……という考えがあった。
この辺りに、あんな雄叫びの獣は生息していない。
離れたところを生息地にしている獣が移動してきた可能性はもちろんある。
けれど、あんな雄叫びを上げられる獣なんて、果たしているかどうか。
こんな、空気を、地面を、聞く者の細胞を、震わせるほどの威圧的なものを……。
いや、今は正体について考えるより、ここからどうするかを考えるべきだ。
獣だろうが別の何かであろうが、町に異変が起きていることは間違いない。
幸いにも離れたところにいるオレたちは、どう動くべきだ。
町に戻るべきなのか。
ここに留まるべきなのか。
それとも……二人で町から少しでも離れるべきなのか。
何が自分たちにとっての最善だ?
――ァァァァァ。
そのとき、遠くから、聞こえた音。
ゾワッと、背筋が震えた。
今のは、多分、悲鳴だ。
人間の、悲鳴だった。
シルキア。
妹の顔が、目の前に現れた。
すぐに消えて見えなくなったのと同時に、オレは一つの答えを出せた。
「ネル。お前、独りでここに残れるか?」
「えっ、えっ?」
「町、多分、よくないことが起きてる。煙も上がってるし、悲鳴、薄ら聞こえるだろ」
「いっ今のっ、やっぱり悲鳴だった⁉」
「多分な。だから、町に行かないほうが、安全だと思う」
「……いっ、嫌っ! 独りなんてっ嫌っ!」
オレの意図を理解したネルが、ギュッとオレにしがみついてきた。
「……わかった。じゃあ、悪いけど、自力で走れるか?」
「だっ、大丈夫っ!」
声はピンと張り詰めていて、カノジョからは一切の余裕なんて感じられない。
だから、本当に大丈夫か?と思いながらも、とりあえず背中から降りてもらった。
「きゃ」
しかし、自分の足で立とうとしたカノジョは、まだ微かに揺れている地面に適応できなくて、くずおれてしまった。すぐに立とうとするも、その身は強く震えている。
しょうがない。
「ネル。背負うから、捕まり続けることだけは頑張ってくれ」
「ごっ、ごめんっ! ほんとっごめんっ!」
一気に感情が高まってしまったのか、大きな目から涙がぼろぼろと流れ出す。
「大丈夫っ、大丈夫だからっ、なっ」
わんわんと幼子のように泣き出してしまったネルが少しでも安心できればと声を掛けながら、オレはまたカノジョに身を寄せ、上手いこと背負った。
ネルは強いヤツだ。
オレはそれを知っている。
でも、どんなに強い人だって、弱くなってしまうときはあるだろ。
そういうことだ。
そんなときは、傍にいる、動けるヤツが動けばいい。
頑張れるヤツが、踏ん張れるヤツが、やればいいんだ。
ふらつきながらも、なんとか立ち上がる。
揺れ続けている地面は、地面ではない別の何かになってしまったみたいに、気持ち悪い。
足の裏だ、足の裏を意識しよう。ちゃんと足裏を置く、接地させる、そして歩く。
歩くことだけに集中する。
そして両足を前に出すことを、少しずつ少しずつ速くしていく。
――ァァァァァ
――ォォォォォ
――ァァァァァ
町のほうから聞こえてくる幾つもの悲鳴に、何度も何度も足が竦みそうになりながら。
小走り、と呼べるくらいの速度で林の中を進んでいく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます